第15話 黒狼の戦士 2


 殴りつけられたラグナスの頭からガランと兜が落ち、美しい顔があらわになる。艶やかな桜色の唇の端からは一筋の血が流れ落ちた。


「悔しいな。ジェシカの為になら私に対する怒りにも勝るんだな」

「黙れよ……」


 ゴギンと、もう一度ラグナスの顔を殴る。


「ジェシカは……どこだ……?」

「……イルネルベリだ。ニヴルヘイムを起動した後で逃げられた。いや……ロキが逃がしたのか……。おそらくジェシカは保護していた孤児達の様子を見に行ったのだろう」

「イルネルベリか……。そういやちょっと前にあそこも次元崩壊から抜けたな」

「困ったことにジェシカが逃げる際、ロキが余計なことをしてな。正直お手上げなんだ」

「勿体つけんなよ……」

「呪いだ。神話時代の遺物には特殊な用途の神器がある。どうやらロキが隠し持っていたらしくてな。ジェシカは呪われた。このままでは自死を選んでしまうかもしれない」

「ちっ、呪具だ神器だNACMOだグングニルだぁ……あちらだこちらだってよぉ……めんどくせぇんだよ! 御託はいいから呪いだってんなら解き方を言え!!」

「今の私にはどうにも出来ないんだ。だからこそ困っていた。なんとしても自死を防がなければ……」

「『自死を防がなければ』じゃねぇよ! ロキが余計なことをしただぁ? 元凶はお前だろぉが!!」


 ガギンッと、ラグナスの腹に強烈な拳を叩き込む。


「なにをっ! 冷静にっ! 話してっ! やがんだっ! ジェシカがっ! お前をっ! どう思って! いたかっ! 知ってん! だろうがっ!!」


 ノヒンの怒りが収まらず、めちゃくちゃにラグナスを殴りつける。その間ラグナスは抵抗する素振りも見せず、甘んじてノヒンの拳を受けた。


「スレイプニルの鎧にひび……やはり君は凄いな。ジェシカのことに関してはすまないと思っている。私も必ず解決策を見つけるつもりだ。行くのか? イルネルベリに」

「てめぇにゃ関係ねぇ!!」

「行ったところで何もしてやれないとしてもか?」

「ここで他人事ひとごとみてぇに話してるてめぇよりはマシだ!!」

「死ぬぞ? あの神器は解除しない限りは地獄が続く。私には君が死ぬ未来しか見えない」

「はっ! 今更死ぬ事が怖ぇとでも思ったのかよ! もうダメだと思ったが……そうか……ジェシカが……」

「……それとこれは君にとって吉報だと思うが……いや、行けば分かるか。すまないが時間だ──」


 ラグナスはそう言うと体が黒い霧となって消え去った。


「最後に意味深なこと言いやがって……。ちっ、殺しそこねたな……」


 ノヒンはそう呟いたが……


 実際はラグナスを前にして、殺意が揺らいだ瞬間が何度かあった。あれほど憎み、殺したいと思った相手なのだが……


 そんな自分が許せず、地面を力の限り殴りつけた。


(すまんがノヒン。我も時間だ……いくつか制限を解放出来そうだが、期待はするなよ)


 ヴァンガルムが変化した黒狼の鎧がそう言うと、黒い霧となって霧散。元の子犬のような姿へと戻る。


「ノヒン……」

「説明は出来そうかわん公……?」

「ごめん……僕の本当の名前が『フェンリル』だってことくらいしか分からない。あ! でもさっきまでのラグナスとのやり取りは覚えてるよ! NACMOとかグレイプニルとか!」

「それで? そいつぁいったいなんなんだ?」

「う、うぐ……」


 ヴァンガルムの耳と尻尾が垂れ下がり、申し訳なさそうに俯く。


「ちっ、使えねぇわん公のまんまじゃねぇかよ」

「で、でもね! これは出来るよ!」


 ブンッとヴァンガルムの体が鈍く光り、巨大な狼の姿になる。


「どうどう? すごいでしょ? フェンリルって感じでしょ?」

「使えねぇ上にでけぇなんて邪魔でしかねぇな」

「くぅーん……」


 やれやれとノヒンがため息をついたところで、廃墟と化した闘技場の隅、怯えて縮こまったマリルの姿が二人の視界に入る。


「ああ! マリル! ほらノヒン! ノヒンのせいで怯えてるんだ! 謝ってきなよ!!」

「お前のでけぇ図体に怯えてるんじゃねぇのか?」

「ば、ばかなこと言うなよ! このプリティーでラブリーなヴァンガルムに怯えるわけないだろ!」

「気高き孤高はどこいったんだぁ?」


 そんな会話をしながらマリルの元へと二人が向かう。マリルはノヒンの顔を見ると安心したのか、ぽろぽろと涙をこぼした。


「……いつものノヒンさんだぁ……うぅ……ひっく……」

「すまなかったなマリル。今回はマリルのおかげで助かった」

「うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん! ノヒンさぁん! ノヒンさぁぁぁぁぁぁん!!」


 マリルがノヒンに抱きついてわんわんと泣く。抱きつかれたノヒンは体の至る所が痛んだが、マリルが泣き終わるまでは優しく背中をさすった。



---



「落ち着いたか?」

「は、はい。でももう少しこうしててもいいですか……?」

「ちっ、俺は保護者じゃねぇんだがな」

「いいなぁいいなぁ。僕もマリルに抱きつかれたい!」

「俺としちゃあ変わってくれりゃあ助かるんだが」

「ノヒンさんひどい……うぅ……ひっく……」

「あーあー! ノヒンがマリルを泣かしたー! 最低! マリルもそんな人でなしじゃなくて僕のとこに来なよ!」

「キャンキャンわーわーうるっせぇな……」

「じゃあヴァンちゃんもこっちきて?」

「えー? 結局マリルが抱きつく相手はノヒンなのー?」


 そう言いながら巨大な狼の姿をしたヴァンガルムが、ノヒンとマリルを包み込むように横たわる。


「そういえばヴァンちゃんって『フェンリル』って名前なの? フェンちゃん?」

「なんとなくの記憶だと……『フェンリル』の別名が『ヴァナルガンド』で、ヴァン川? のガンドって意味らしいよ? それで『ガンド』は悪霊? 狼? って意味で、魔獣の狼は『ガルム』って呼ぶから……ヴァンガルム? 確か……そっちの方がかっこいいってだけで名乗り始めた記憶が……あれ? 飼い主がヴァンだっけ?」

「私に聞かないでよ! それよりヴァンちゃんは『ヴァンちゃん』と『フェンちゃん』どっちがいい? 」

「うーん……今更『フェンリル』ってしっくりこないからなー。ヴァンちゃんでお願いします!」

「『ちゃん』って面かよ。わん公でいいんだわん公で」

「うるさいよノヒン! 僕のおかげで助かったくせに! ……っと、それより……」

「真面目な顔してどうした? でけぇ糞でも漏れそうか?」

「ち、違うよ! ノヒンはこれからどうするのかなって!」

「俺は……」


 ヴァンガルムにそう問われ、ノヒンは逡巡した。ラグナスを目の前にし、何度か殺意が揺らいだのは確かだ。それでもやはり……


 殺す。


 許せるわけがない。


 だがジェシカが生きていると聞き、ラグナスに対する殺意よりも、ジェシカの元へ向かいたいと思う気持ちが大きい。


「とりあえずジェシカの所へ向かう。明日バランガのとこで弓を受け取って、その足でまずはルイスの所へ行こうと思う。あいつにもジェシカが生きてたって伝えてやらねぇとねぇからな」

「じゃあ出発は明日ってことだね!」

「そうなるな」

「それなら……話してくれるよね? ラグナスのこととか……ノヒンが置かれてる状況を」


 ヴァンガルムとマリルが真剣な表情でノヒンを見つめる。


「ちっ、めんどくせぇ。だがまぁ……お前らには助けられたからな。とりあえずバランガの家まで行くぞ。わん公にもたれかかったままなんて勘弁して欲しいしな」


 ノヒンがゆっくりと立ち上がり、歩き出す。その背中はどこか悲しみをたたえているようで──


 ヴァンガルムとマリルは声をかけることが出来なかった。



 ──第一章 ヴァンズブラッド/プロローグ─夢の残火編─(了)








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ここまでで第一章『プロローグ─夢の残火編─』は終了となりますが、最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございます。

誤字脱字などあるかとは思いますが、よければ以下のリンクから評価や感想など頂けると更新の励みになります。


https://kakuyomu.jp/works/16817330659777539961/reviews


次回からは第二章『夢の灯火─少年、青年期篇』に突入です。

もしよければこのままお付き合い頂ければ幸いです。


鋏池穏美

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