第14話 黒狼の戦士 1
白く輝く文字が現れると同時、ヴァンガルムが黒い霧となってノヒンの体を包み込む。そのまま黒い霧はガチガチと形を変え、鎧となってノヒンを包み込んだ。
「……え? ヴァンちゃん? ……ノ、ノヒンさん?」
マリルは目の前で起きたことが信じられないという表情で、目を白黒させている。子犬が巨大な狼に、巨大な狼が鎧にと変化したのだから、驚かない方がおかしいだろう。
ヴァンガルムが変化した鎧は酷く禍々しく、狼を模したような兜に、肩や胸などに牙の意匠が施された
禍々しき黒狼の戦士となったノヒンが確認するように右腕を振るうと、ガキンッと黒錆の長剣が現れた。
「ちっ、気に食わねぇが……悪くねぇ」
(……コラプスは発動しないようだな。とりあえず全力でラグナスを斬れ)
「頭ん中で勝手に喋るんじゃねぇよわん公! 事象崩壊なんちゃらならまだ使えねぇ! 行くぞ!!」
ノヒンがビキビキと全身に力を漲らせ、踏ん張る足が地面にひびを入れる。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そのまま咆哮と共に地面を蹴りつけ、一瞬でラグナスの目の前まで飛び上がった。蹴りつけた地面は榴弾が炸裂したように抉れている。ノヒンはそのままの勢いで黒錆の長剣による致死の一撃を放つ。が──
「さすがノヒンだね。フェンリルとも相性がいいようだ」
ヒィンと澄んだ音がして、ノヒンの放った一撃が空を切る。気付けばラグナスが背後に回っていて、ノヒンの体の至るところからは鮮血が迸る。
「ぐぅっ速ぇ! まったく見えなかったぜ。……つーか落下するかと思ったけどよ、足場があんじゃねぇか」
攻撃を躱され、そのまま地面へと落下するかと思われたが……
(我に感謝するんだな。貴様の動きに合わせて
どうやらヴァンガルムの特殊な力で、空中に足場を生成したようだ。足場は黒い霧がその場に停滞しているような見た目だが、しっかりと体重をかけることが出来る。
「ちっ、全然理屈は分からねぇが……戦えるってんなら願ったりだ! ラグナス! ここでお前を殺す!!」
「そう熱くなるなノヒン。もう事は済んだんだ。後は時間と共に完了する。私と戦う意味はすでにないんだ。いや、ある……か」
「よく分かってんじゃねぇか!」
ガキンッと左腕の黒錆の長剣も出し、ノヒンが足場を蹴りつけてラグナスへ向けて突撃。
「お前にっ! 意味はっ! なくともっ! こっちにゃっ! 意味がっ! あんだよっ!!」
空中の足場を利用しての、まるで暴風のような縦横無尽のノヒンの連撃。だが──
ラグナスは一撃ごと的確に、鎧の隙間に剣を刺し込んでくる。
「最後に手合わせをした時は君が勝ったんだったな。正直私は君の剣に憧れたものだよ。愚直なまでに真っ直ぐで決して折れない。君と過ごした日々は楽しかった。もうこれが……私の道でいいのではないのかとさえ思えた。だが……」
ラグナスが淡々と語る。
それはまるで、昼下がりのテラスで紅茶を飲みながら談笑するかのように。
ラグナスが淡々と剣を刺し込んでくる。
それはまるで、服に付いた埃を払う日常の動作のように。
「なにが『楽しかった』だ! 勝手に過去にしてんじゃねぇ!! 俺にとっちゃあ過去じゃねぇ! 今だ! 今なんだよ!! てめぇのしたことは許されねぇ! 終わっちゃいねぇ! 過去じゃねぇんだ!! 地続きなんだよ! 浸ってんじゃあねぇぞ! ラグナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァス!!」
ノヒンの体にビキビキと体に力が漲る。傷を負い、痛みを負い、ノヒンは逃れられない戦いという呪いを負う。体からは血が吹き出し、痛みでどうかしてしまいそうになる。
だがなればこそ呪いはノヒンの歩を進める。
血に塗れ、屍で築き上げた道を進めと業を負う。
ガチンッと歯を食いしばる。
ギチギチと筋肉が隆起し、吹き出す血の勢いが増す。
「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
黒錆の長剣による渾身の一撃。
空気が裂け、突風が巻き起こる。
斬鉄──
ルイスが黒錆の長剣に付けた名前だ。
斬鉄は文字通りラグナスの剣を両断し、鎧の肩当に直撃。ガギンッという音と共にラグナスが地上へと落下し、地面は隕石が落ちたように抉れた。
「……ぜはっ……はぁ……はぁ……」
(これはやったのではないか? 見事な一撃だったぞ)
「ちっ……やれてねぇよ。斬れた感触がねぇんだ。とんでもなく硬いもんを素手で殴りつけた感覚だ」
ラグナスが落下した地点にもうもうと砂煙が立ち上がる。砂煙の中には涼やかに屹立する影。
「本当にさすがだよノヒン。まさかスレイプニルを全開放することになるなんて思わなかったな」
砂煙が風に掻き消されてラグナスが姿を現したのだが……
その姿は地上へ落下する前とは違っていた。
全身を覆う輝く
(あれは……スレイプニル! それにあの剣は……)
ノヒンの頭の中でヴァンガルムの驚いた声が響く。
「スレイプニルだと? ちっ、つまりおめぇと一緒ってことか?」
(あれは我と同じアースガルズの置き土産だ。あの槍のような剣に気を付けろ。違和感を感じたらとにかく体を反らせ)
「さてどうしようか。まだこちらに長く留まれるほど安定はしていなかったからな。名残惜しいが戻らなければいけない」
「なにぶつぶつ言ってやがんだぁ……よっ!」
ノヒンが空中の足場を蹴りつけて、ラグナスに向けて飛び込む。
「悪いなノヒン。
ぞくり──と嫌な予感がし、ノヒンが体を反らす。と同時、ノヒンの心臓の横すれすれに穴が穿たれた。肺には穴があき、呼吸が乱れる。
「ごはっ……ひゅ……ひゅぅ……なん……だぁ? なに……が……」
(だめだノヒン! やはり
「ちっ……んなこと言われ……つぅっ!!」
ラグナスの腕がぴくりと動き、ノヒンが大きく体を反らす。直後、ヒィンと澄んだ音がしてノヒンの脇腹が抉れる。
そのままラグナスは流れるような動きで、流麗な刺突の動作を繰り返す。
「ぐぅっ! ……がっ! ……つぅっ! ちっ、なにがっ! どう……ぐぅっ! なってやがんだ!!」
ラグナスが刺突の動作を繰り出す度に、ノヒンの体が抉られる。だがノヒンは信じ難い動体視力と身体能力で、絶対死、必殺必中の刺突をギリギリで躱す。
「相変わらず凄いなノヒンは……これを躱すのか? 少しずつだが……完璧に躱し始めている。あながちジェシカが言ったことも間違いではないか」
「……ジェシカだと……?」
ノヒンがそう呟くと、ズシンと空気が重くなる。
ただ実際に重くなったわけではない。
ノヒンが
「おい……ラグナス……」
絶え間なく続く絶対死の刺突が、バキンと音を立てて掴まれる。見れば鉄甲に巻かれていた鎖が伸び、絶対死という事象を掴む。
「……グングニルを掴むだと?」
一貫して涼しい顔をしていたラグナスの表情が曇る。
グングニルは物理的な刺突ではない。揺れ動く死を確定する一撃。放たれれば最後、絶対死の事象。本来ならば躱すことも不可能。だがノヒンは躱し、あまつさえ物理として実態のない一撃を掴んだ。
ラグナスがグングニルを引こうとするが引けない。グングニルを放ったという事象を掴まれ、その場に固定される。
(怒りで
「命……? 知ったことかよ……。応えろやラグナス。ジェシカは生きてんのか……? てめぇがこっちに来たってこたぁ……」
「ああ生きているぞ。『弱き者』を護るのが私の務め。ジェシカには私の子を孕んで貰わねばならんのでな。ノヒン……君だって『弱き者』だ。共に歩いてくれると思っていたんだがな」
ノヒンが腕を振って斬鉄をしまい、絶対死の事象を掴んだまま、ゆっくりとラグナスに向けて歩を進め──
ゴギンと顔を殴りつけた。
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