第13話 ラグナス 2
ラグナスがその桜色の艶やかな唇で、鈴の音のように澄んだ言霊を紡ぐ。紡がれる言霊は聴く者を魅了し、誰もがラグナスに目を奪われて息を呑む。
そうしてラグナスの目の前には、先程と同じように白く輝く文字が浮かぶ。
「ぐぅぅぅぅぅ!! て、てめぇ! ふざ……!!」
ズシンとノヒンの体が重くなる。めしめしと骨が軋み、凄まじい勢いでそのまま地面へと叩きつけられた。
「がはぁっ!!」
地面へと叩きつけられたノヒンは全身の骨が砕け、息を吸うことすらままならない状態へ。自力で起き上がることが出来ず、駆けてきたマリルに抱き起こされた。
「ノヒンさん! 大丈夫ですかノヒンさん!?」
心配そうに覗き込む潤んだ瞳のマリル。必死に声を絞り出してはいるが、ラグナスの得体の知れない雰囲気に当てられ、体は小刻みに震えている。
「ノヒン! なんだよあれ! 誰なんだあの綺麗な女の人は!! き、綺麗で見とれちゃうけど……凄く怖い感じ!!」
「……ぐぅ……女じゃねぇ……男……だ。やっぱ覚えてねぇのかよわん公……ありゃラグナスだ……俺が絶対に殺す相手の……なぁ!!」
めしめしと音を立てながら気力でノヒンが立ち上がる。バキバキと骨が補強されるが、気を失いそうなほど痛む。
「む、無理だってノヒン! なんだかよく分からないけど……手も触れずにノヒンのことぶっ飛ばしたじゃないか! あんなの相手に出来るわけないよ! とにかく逃げよう!!」
ヴァンガルムがノヒンの服を噛み、ぐいぐいと必死の形相で引っ張る。ヴァンガルムも得体の知れない雰囲気に当てられ、耳と尻尾が垂れ下がっていた。
「あれは魔術ですか……? でも私が知ってる魔術とは全然違う。あんな簡単に……」
「あれは導術だ……だが導術だろうが魔術だろうが関係ねぇ! ようやく目の前にラグナスが現れやがったんだ!!」
「導術ってあのソールの王族の……? 魔術より全然発動が早い……。あんなの勝てるわけがない! 私もヴァンちゃんに賛成です! 今は逃げるべきです! ノヒンさんは万全じゃないんですから!!」
二人の言うことはもっともだと思う。ラグナスは空中にいて、ノヒンは地べたを這いずっている。加えてラグナスは導術という特異な術を使い、一方的に攻撃が出来る。
どうしようもない現実。
そんなのは分かっている。
だがラグナスを前にして引くことなどは出来ない。
あの胸を焦がすような熱くかけがえのない日々を──
仲間と語らったなんでもない日常を──
そして……
二度と訪れないと思った愛した相手と描いた未来を──
全て奪い、踏みにじったのはラグナスだ。到底許せるはずがない。
もはや問答も不要。
絶対に殺す。
殺したところで、全てが元には戻らないのだろうが──
殺す。
「はっ! 随分と導術が上手くなったようだなぁ? 前よりだいぶ重かったぜ? ……だがぬるいんだよ!! 『アクセプト』だろうが『豚のクソ』だろうが俺がたたっ斬ってやる!!」
ノヒンがそう叫んだところでブンッとヴァンガルムの体が鈍く光り、黒い霧が爆発するように発生した。
「……何故かは分からんがようやく元に戻れたわ! だがやはり
霧が晴れるとそこには──
『気高い』という言葉を体現したかのような、身の丈五メートルはあるであろう漆黒の巨大な狼がいた。
「……えぇ? ヴァンちゃん……だよ……ね?」
困惑した表情のマリル。状況が理解出来ず、ヴァンガルムであろう黒き狼を見つめる。
「すまんなマリル。説明してやりたいのだが時間がないのだ」
ヴァンガルムが鼻先でマリルを小突く。マリルは目の前の狼が本当にヴァンガルムだと理解したのか、首の辺りに顔を埋めてさらさらの毛並みを堪能する。
「よぉ、わん公。ようやく元に戻ったんだな? 今度はちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「ちっ、ルイスに聞いておればそんな手間はいらんというのに……」
「ルイスを巻き込んだてめぇがそれを言うってのか? こっちゃあまたてめぇとやり合ってもいいんだぜ?」
「貴様……そろそろ我も我慢の限界だぞ!」
「うるっせぇよわん公! いいから説明しやがれ!!」
「なんて面倒くさい奴だ。説明したいのはやまやまなのだが……まずはあれをどうにかせねばなるまい。見たところ虚像のようだが……軽く小突いてやれば消えるだろうさ」
「ちっ、何を偉そうに。ご主人様の恨みを晴らしてぇんならそう言えや」
「何を言う。これは貴様の戦いだろう? まあだが……我にも因縁のある話ではあるがな。それよりよいか?
「だからそのNACMOってのがそもそも知らねぇんだよ! ちゃんと説明しろ! それともてめぇは脳みそもわん公並なのかぁ?」
「相変わらず口が悪いな。NACMOとは……避けろノヒン!!」
ズガンッと音を立て、ノヒンが今まで立っていた場所に巨大な氷の塊が落ちる。ヴァンガルムが叫ばなければ直撃していただろう。
「やはりあの時の黒き影はアースガルズのフェンリルだったか。狭間を越えて来たのだとすればいい傾向だ。人造魔石の回収に来ただけなのだが……興味深い」
相変わらずの鈴の音のような美しく澄んだラグナスの声。そうして溜め息が出るほどに美しい顔でヴァンガルムを見据える。殺意や敵意などはまるで感じられない。感じられないのだが……
腹の底から込み上げる恐怖はある。
ラグナスが細身の剣をスラリと抜く。
ヒィンと空気が静まり返るような、美しい刀身。
何より剣を構えたラグナスが……
一枚の荘厳な宗教画のようで息を呑む。
「やはり説明している時間はないようだ! ノヒン! 『アクセプト』と唱えて我を装着するイメージを持て! 何を言っているかは分からんと思うが……我が漆黒の鎧となる姿を想像しろ! イメージするのだ!!」
「ちっ、訳分かんねぇ……分かんねぇが……俺も導術が使えるってことかぁ!? くっぞぉっ! 『アクセプトォォォォォォォォォォォォォォッ!!』」
ノヒンがヴァンガルムに言われた通りに叫び、漆黒の鎧をイメージする。すると目の前に『/convert armor nohin』と、白く輝く文字が現れた。
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