第17話 ディアレスト卿の『レシピ』
今日は父とカイゼルと一緒に、お城へ呼ばれた。当日の結婚式には国王陛下も参加するとのことで、粗相の無いように城の一室で練習するためだった。特に最近貴族になったポルカフ一家は、特別な儀式を執り行う作法を身に付ける機会がなかったため、本番に向けて何度でも練習に付き合うとの陛下の申し出に深く感謝し、そして一刻も早く覚えなければ国の政務に支障が出るので、大慌てで礼儀作法のマニュアルを暗記した。
今日はその通しの日であり、ようやっと合格ラインまで到達できた。お城に泊まらせて頂くことにもなって、メリアナは初めてカイゼルと同じ屋根の下で一泊することに。
……と言っても、同室というわけではないし、ドキドキした感情はあんまり沸かなかった。
(気分転換って言っても、廊下を歩くぐらいしか。勝手にいろんなお部屋に入るわけにもいかないし〜……ん? げえ!? あそこにいるのってディアレスト卿じゃない? あの人もカイゼル様が化けて作った、実在しない人……なのよね?)
カイゼルと父とは、先ほど廊下で別れたばかり。父は陛下と段取りについて細かく話し込んでおり、カイゼルは化粧が溶けてきたため直したいと控え室へ。本当に、ついさっき別れたばかりである。
いくらカイゼルが早着替えとはいえ、この速度で目の前に現れるのはおかしい。おかしいついでに指摘するなら、髪のまとめ方が少々雑で、赤いリボンは長過ぎて、耳元から金色の後れ毛が垂れている。背中を壁につけて立っており、そののんびりした姿勢も卿らしく見えない。
(私の進行方向に、変なディアレスト卿がいる……)
引き返そうかと思ったけれど、目が合ってしまい、ここで無言のまま踵を返せば失礼にあたると思い、そのまま前進した。
(卿って、リラックスした姿を人前でさらす人柄じゃないような……こんなふうに不敵に笑いかけてくる人でもないし……)
本物はもっと露骨に不快感を出してくる。神経質そうに眉毛も目尻も吊り上がり、彫りの深い顔だからか怒った顔に迫力がある。
今、目の前にいる卿は、彼にしては顔の彫りが浅かった。
メリアナは卿に詳しいわけでは決してないが、だからと言って全く視野に入れていないわけでもなかった。むしろ、ある程度は入れておかないと、彼の放つ不機嫌オーラ次第では客が逃げるので、その察知のために。
違和感と気怠さをまとう謎の卿が、メリアナを一瞥するなり、ニヤリと口角を吊り上げて犬歯を見せた。
「商売人のあんたが挨拶もせずに、他人を凝視するなんてな。ずいぶんと礼節を欠いているじゃないか」
声こそディアレスト卿だったが、本物はこんなに気さくに話す人柄ではない。
「あなた、卿じゃないわね。本物の卿は、平民や平民上がりとは口を利いてくださらないの」
「ん〜? そりゃ厄介な設定の人形だな。おちおちナンパもできないのか」
聞き覚えのある魅惑的なバリトンボイスに、メリアナは大変驚いた。
「その声! あなた八百屋さんの地下にいた人でしょ」
「結婚まで秒読みなんだってな、お嬢さん。誠に残念だ、おめでとう」
「賭けには勝ったってことで、いいわよね」
「あーあー、あんたの勝ちだよ。賭けに勝ったら、アレからヘイリーとディアレスト卿のレシピを教えてもらう約束だったのに」
「レシピ?」
「そうだ。変装のレシピ。カツラの色の番号とか、いつも身に付けてる香水の名前とか、リボンの購入先とかな」
そう言ってくるくると指に巻きつける髪の一束。微妙に本物よりも暗めな金髪は、髪質がごわついていた。本物は一直線ストレートヘアーで、髪の色艶だけで人目を惹きつけるほどだ。
「卿の内面を表す細かい設定も、教えてもらう約束だった。卿は何が好きかとか、こういう時はどういう反応をするのかとか、あとは顔を作るためのメイクのやり方や、おっかない表情の作り方とかな」
ほら、ちょうどあんなふうに、と指をさされて、メリアナは振り向いた。なんと、軍服のような貫禄あるスプリングコートを羽織ったディアレスト卿が、廊下の絨毯をヒールの高いブーツでずかずか踏みながら接近してくるところだった。ストレートヘアーなのに何かの獣の立て髪に見えてくる。
(うーわ!! ど、どうすれば! これ絶対ケンカになるパターンだわ!)
前門にバリトンボイス、後門では怒髪冠を衝く卿の接近。どこに避難したらいいか思いつかないメリアナ。
あれよと言う間に、サンドイッチに。
「表に顔を出すとは珍しいな。物陰に隠れて腹話術にいそしむ貴様らしくもない」
「ふふん、ご機嫌斜めだな」
ヘラヘラしている偽ディアレスト卿。こうして二人の卿を見比べてみると、偽物のほうは全く似ていない。
「ご婚約おめでとう。これでお前も人生の墓場送りだ。骨はしゃぶってやる」
ひらりと脇をくぐろうとする男の胸倉が、ぐわりと掴まれた。眼前に卿の顔が迫る。
「貴様の悪趣味な茶々入れのせいで、ヘンリーとカイゼルが大衆の目に触れたんだぞ! 陛下の護衛のために長年かけて製作した人形が! どうしてくれる!」
メリアナの鼓膜に、怒声がビリビリと轟く。思わず耳を塞ぎたくなってしまうが、そうすると今度は偽物男の話しが聞こえないから我慢するしかない。
「ふふ、不可抗力だ。そして賭けの代償だ。未来の嫁さんに隠し事は少ないほうがいいだろう? 夫婦間では大事なことだ。この俺が少し手伝ってやったと思えばいい」
「貴様のしでかしたことは反逆罪で裁きを受けるに値するぞ。五体満足で帰れると思うなよ!」
「あー、ご心配なく、お嬢さん。こいつと喧嘩になるのは、いつものことさ」
急に話を振られても、とメリアナは狼狽した。目の前に広がる情報量に脳がついて行けない。
本物から突き飛ばされるように胸倉を放されて、偽物はそのままだらだらと去って行くのかと思いきや、グルリと頭だけ振り向いて、
「バウワウ!」
歯茎を剥き出して、威嚇してきた。獣そっくりの唸りのまじった声、そこに人間味が全く感じられなくて、メリアナはゾッとした。
今度こそ歩き去ってゆく偽物。メリアナは思わずカイゼルを見上げた。
彼は、苦虫を噛み潰したかのような横顔だった。
(卿に変身しないと、あのバリトンボイスさんを倒せなかったかもしれないわね)
カイゼル本来の性格は、言い合いが苦手なのだった。
(もしかして、私の代わりに怒ってくれたとか?)
根拠はなくとも、ここはお礼を言わねばと鯱鉾った。
「助かりました、カイゼル様」
メリアナが卿を見上げると……偽物が立っていた。そこに威厳も威圧感もなく、おとなしい青年カイゼルが、ディアレスト卿の恰好だけ真似ている状態で、所存なげに立っていた。
「…………」
しばし無言で立っていた二人。先に我に返ったのは、メリアナだった。他に目撃者がいないかと廊下を見回し、カイゼルの腕を小突いて耳元に口を寄せた。
「カイゼル様、卿は平民上がりの娘とは絶対に口を効きません。ここは私を無視して、颯爽と去ってゆくところですよ」
「あ、そっか」
途端にカイゼルの雰囲気が掻き消え、踵を返す際に卿の着衣の一部がメリアナに激突。謝ることなく、肩を怒らせて足早に去ってゆく。周りの空気を読みもしない卿らしい去り方だと思った。
(私もお芝居に協力しますか。未来の妻ですものね。我ながら厄介な人を捕まえちゃったな〜)
メリアナはおろおろしながら右往左往することしかできない、繊細でか弱い乙女を演じつつ、舞台から退場した。
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