第15話 これが彼の誠意
白い大きめレースのスカートに、ブルーの太めリボンをアクセントに巻いて、ふっくらワンピースのウエストを絞る。
「コルセットは苦手なのよね。帰りのカフェで食べるスイーツが苦しくなっちゃうもの」
悲しいときは無理やりにでも楽しいことや好きな食べ物を思い浮かべる。ずーっと思い浮かべている。そうすると気乗りがしない外出であっても、じわじわとやる気が出てくる。今日は数日前からずっと取り掛かっている商品の宣伝に、歩き回る。本当は進めたい商談もあったし、商品の下見に行きたい予定もあったし、今日会いに行く予定の人もいたけれど、全て事前にメリアナから断っていた。
父は噂話など自然に消滅すると言うのだが、一家の誇りである店が侮辱される日常なんて、メリアナには耐えられなかった。今日は会っても大丈夫そうな顧客や、人の多い場所に行っては、精一杯のぶりっ子声で自らの店の宣伝に勤しむ。これまでも、このやり方でお客を増やしてきた。
「ふふん、看板娘を舐めるんじゃないわよ」
いざ参らんと玄関を開けたら、お隣りさんがご自慢の花壇の気になる葉っぱを剪定しているところだった。
「あらメリアナちゃん! オシャレしちゃって〜」
「お、おはようございます……」
やましい事があるわけじゃないのに、メリアナは声が小さくなる。
「メリアナちゃん、聞いた? 外に出たら会えるかもしれないわよ、生身のヘイリーさんに」
「え……?」
今度はなんの悪評かと、嫌な予想が頭をめぐりだす。ヘイリーの幽霊が〜、呪いの商品が〜、廃墟の教会が〜、と散々な目に遭っているのに、さらに子供関連の良くない噂まで流されたら……子供の健やかな成長を願う親御さんから購買意欲が削がれる。
「その、生身のヘイリーさんが、何をされてるんでしょうか」
「ふふふ! 会ったらびっくりするわよ〜。ヘイリーさんの幽霊にそっっっくりな人が、朝から街中を歩いてるの。あんなに幽霊に似てる人っているのね〜。目の前にいるのに、いないみたいなのよ。上手く言えないんだけど、なんだか透けるような儚い透明感があって、男の人なのかしらね? 中性的なお顔立ちで、とても礼儀正しい人だったわ」
メリアナはどこで男性を見かけたか訊いた後、情報提供に深く感謝して駆けだした。
※ ※ ※ ※
「そうだったのかい。それじゃあ最近よく聞く呪いの噂ってのは、あんたを幽霊と勘違いした誰かが流した嘘かい」
「はい。僕がヘイリーに似ているばかりに、ご迷惑をおかけしております」
深々と頭を下げる青年に、店主は慌てた。
「いいってことよ。うちのチビも怖がって外に出たがらなかったけど、今日は尻引っ叩いて、散歩にでも連れ出すよ」
青年は次の場所へと向かった。
朝の涼しい公園のベンチに腰掛ける若いママさんたちのもとへ。小さな子供たちがルール不明瞭な追いかけっこにいそしみ、砂場では浅いクレーターが現在進行系で量産されている。
「あら、メリー・メリー・ショップに取り憑いてる、子供を呪う幽霊とかいう噂は、デマだったの? でしょうね〜、私たちもいい歳して呪いとか信じるなんて恥ずかしいなぁとは思ってたんだけど、でもほらねぇ? 子供ってすぐに体調を崩したりするじゃない? ただでさえ不安でいっぱいの子育てなのに、呪いとか縁起が悪い物に近づいちゃったら、もしかしたらそれが原因かも〜なんて思っちゃうのよね、わかる?」
「はい。やっぱり不安になってしまいますよね」
「そうなのよ〜! あ、話が長くなっちゃったわね、もうどうして子育てって愚痴っぽくなるのかしら」
「僕のほうこそ、お時間を取らせてしまってすみません。僕の見た目のせいで、友人の店にあらぬ風評被害が出ていると聞いて、居ても立ってもいられなくなって、お話させて頂きました。あの店は子育て関連のグッズも豊富に揃っていますよ。どうかご贔屓に」
「わざわざありがとね〜。また安心してあの雑貨店に頼れるわ〜」
若奥様の集まる公園を後にし、次は呪い・不吉・幽霊などが禁句である病院へ。特に小児科病棟へは急ぎ向かうことにした。
手汗でやや湿ってきた地図を片手に広げて、目的地への最短ルートを確認する。地図上には、黒いインクで丸がいくつも描き込まれていた。
「ハァ、まだまだあるな。メリアナさんのお店が、こんなに手広く卸してるなんて……事前に調査していたとはいえ、実際に辿ってみると驚かされるな」
メリアナが街中を歩き回る理由だった。いずれは己の店を持ちたいメリアナは、父の店から暖簾分けしてもらって、王都から離れた少し不便な田舎で、始めようと思っていた。父が出店しようか長年悩んできた難しい立地であり、例に漏れず道の整備がやたら後回しにされていて、馬車が荷物を運ぶときに中身が高確率で粉々になっている。クッキーなどの硬さのあるお菓子どころかガラス商品まで。個別に包装する時間がかかり、発注にすぐ対応できたことがなかった。メリアナはこのために、王都最高級の荷馬車の開発に着目しているのだが、荷台が重すぎて車輪が傷む難点が何年も改良できず、計画は頓挫気味であった。
※ ※ ※ ※
目撃情報を辿って辿って、ついに近づいてきたと思ったらまた遠のいて。辿り続けるうちにメリアナは、彼の行き先の全てがメリー・メリー・ショップと濃い繋がりのある場所であることに気が付いた。彼が自分の容姿を理由に「誤解」を解いて周っており、中にはメリアナを見かけるなり謝罪する人まで現れた。
あの会食パーティで偶然に出会った、蝶の羽耳のアクセサリーを付けた不思議な青年。あれは人前に出るために作られた「人形」じゃないのでは。陰で子供たちの面倒を見る用の、子供たちにしか見えない魔法の妖精だったのでは。汚れた人間世界に広まる誹謗中傷に、自ら赴いて撤回するような表立った役回りの「人形」ではなかったのではないか。
ソレが今日、メリアナの店のために、街中を歩き回っている。幽霊だのなんだの言われながら、一日中。
「カイゼル様……」
呼んでも振り向いてもらえないかもしれない、そんな不安を抱えながら、それでもメリアナは、病院の裏玄関から出てきた恋人に声をかけた。耳飾りが付いていないのが妙に気になったが、振り向いた彼は間違いなく、会食パーティで出会った不思議な青年であった。薄紫色の髪色に、同色の質素かつ清潔感のある僧衣、魅入ってしまいそうな鮮やかさのイエローアンバーの双眸……開きかけた唇が、メリアナの名を口にしかけた。
「私、あなたのお仕事が本当はどんなものなのか、想像するしかないのですけど、そのお姿は人前に出す用ではないのだと……それだけはなんとなく、わかります」
メリアナが何を言おうとしているのか、彼が察するまでに少し時間がかかった。素人の彼女にそこまで深く調査されていたことにかなりの危機感と、なぜか不思議と喜びを覚えた。
「いいんですよ、貴女はお気になさらずに。たとえこの姿が仕事上で使えなくなっても、また別の姿を創作しますから」
「そんな簡単に手放して良いものではなかったはずです。そこまでヘイリーさんそっくりに作ったのには、理由がおありだったのでしょ?」
「……」
「ごめんなさい、私が未熟なばかりに、あなたに尻拭いさせてしまって。もっとこう、噂など吹き飛ばすほどの快活さが、私にあれば」
「人は噂好きなものですよ。貴女がどんなに魅力的でも、おかしな噂はどこからか発生してしまいます」
不安がるメリアナの両手を取って、子供相手の手遊びのような、おかしな握り方をした。でも不思議とメリアナは嫌じゃなかった。
「これから
メリアナは腕いっぱいに彼を抱きしめた。病院の裏口でなかったら、結婚間近の娘が浮気したように見られたかもしれない。
びっくりしている青年を、メリアナは見上げた。
「賭けに勝ちましょう、カイゼル様」
「はい?」
「同業者の方々から、結婚を反対されているんですってね。賭けにまでなってるそうじゃないですか。もしも負けたら、貴方は何を失うのですか? そのお姿すら失う羽目になったというのに、これ以上いったい何を」
「誰から聞いたんですか、そんな話」
「お声の素敵な男性からですわ」
すぐに心当たりが沸いたのか、青年が口を引き結んで髪の毛をガシガシ掻いた。カツラかな、と注視したメリアナだったが、前髪の生え際から掻き上げられた毛根の様子からして、なんと地毛!
呆気にとられたけれど、今はこの程度でショックを受けている場合ではない。彼の人柄の良さは今ここで明らかになっている。王様のお墨付きでもあるし、メリアナは意を決した。
「カイゼル様、これ以上賭けが長引けば、うちの店への営業妨害も続きますわ! 式の日程を早めましょう! いっそ今日から貴方の姓を名乗ります。どうせ偽名なのでしょうけど」
カイゼルはきょとーんと見下ろしていたが、やがて嬉しそうに笑った。なんだかそのまま光となって消えてしまいそうな雰囲気である。
「僕の仕事がこんなに早く理解してもらえるだなんて。貴女を諦めないでよかった」
「まあ、諦めるおつもりでしたの?」
「貴女に嫌われてしまったら、そのつもりでした」
冗談なのか本気なのか、苦笑しながらほっぺたを掻いているその顔は、カイゼルだった。長らく会えないだけで枕を濡らすような少女であると、気づいてなさそうなので、いつも通りメリアナから腕を取った。
「私もお供しますわ。次はどちらに?」
二人並んで、丸二日かけて呪いの噂を払拭したのであった。都合良く様々な呪いを持つヘイリーの噂は、そのまま放置していたらメリー・メリー・ショップの従業員のボーナスに響くところであった。
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