第14話 嘘ばかりの恋人
次のデートの日なんて、カイゼルが直接家に来て、そこから父の許可を取ってのお散歩デートという、行き当たりばったり型。次の予定日なんて決めてないし、どうすれば彼と連絡が取れるのかもわからない。
彼からメリアナに会いに来てくれないと、こちら側からは何も仕掛けられない状況だった。
「噂話なんて馬鹿馬鹿しいと思っていたが、質問や問い合わせが後を絶たないな」
外出先から戻るなり居間のソファで足を伸ばす父に、メリアナもうなずいた。売り上げががっくりと落ち込む程ではないにしろ、気持ちの悪い評判の付いた商品を買う際に「コレ買っても大丈夫なの?」と尋ねたくなる購入者の気持ちもわかる。
「メリアナ、ちょっといいか。となりに座りなさい」
「はーい、なぁに〜?」
明るい声とは裏腹に、どこか浮かない顔で歩いてきた娘に戸惑いが生じたが、心を鬼にして、何よりも大事に思っている愛娘のために、集めてきた資料の束を渡した。
「これ、なあに?」
「以前からパパもカイゼル君について調べていたんだが、何一つ手がかりがなかった。しかし今日仕事でお城に入った際に、王様にあれこれと聞いてみたら、こんなに詳しい書類が出てきたよ」
詳しいと聞いて、メリアナは瞬く間に書類に釘付けになった。あんなに調べても一切の詳細が見つからなかったカイゼルの、生年月日から職業、家族構成、身長、体重、好きな食べ物や苦手な食べ物、などなど。もっと早く知りたかった情報が山盛りであった。
「どうして縁談の封筒の中に、この書類も入れてくれなかったのかしら。あの王様ぽやぽやしてるから、入れ忘れちゃったのかしら」
「……メリアナ、少しやつれているようだが、この際、結婚の話は無しにするか? お前がカイゼル君のことを考えるだけで気分が悪くなるとお伝えすれば、王様も考え直してくださるだろう」
もやもやはするが、気分が悪いのかと問われると、よくわからない。
「う〜ん、カイゼル様のことは、自分でもなんだかよくわかんなくなってきちゃって……あ、お父さんは何の用でお城に行ってたの?」
すると父は、少し気まずそうに顎ひげを撫でながら、うほんと咳払いした。
「先週から交渉中の、インテリアと宝石を組み合わせた少し値の張る家具が、お城にいる女性たちに需要があるかどうか、尋ねに行ったんだ。まあ、アンケート調査だな。王様とは、そこでたまたまお会いしたんだ。これ幸いと、カイゼル君についていろいろ聞いてみたら、執事さんからこれを渡されたよ」
くれぐれも厳重に保管するようにと、やたら厳しく釘を刺されたそうだ。写しは厳禁で、よく目を通したら返却するようにとも命令された。
まるでカイゼルという人間を紹介するイベントが、たった今発生したかのようだった。
「そう……。カイゼル様の住所が、あの荒野の教会なんだけど、まさかディアレスト卿と同棲してるんじゃないわよね」
「あの地区は立ち入りが禁止されているそうだが、最近は道路の舗装の案が持ち上がっているそうだ。うちの国はなかなか道を整えてくれないから、行商に困るよ」
舗装しようがない険しい崖やら、希少種の獰猛な大型肉食獣やら、何も整備しない故の大自然の恩恵を受けて、ほとんど戦争に巻き込まれない不思議な国であった。国境付近にはすぐに氾濫する大河が何本も寝そべり、よく肥えた土をたんまり分け合う形で隣国と仲良くしている。その代わり橋や砦まで流されてしまうので、ふいうちで兵士なども送られてこなかった。この国は奇跡的に孤立しながら、周辺国となあなあで仲良しである。
男手が頻繁に戦争へ駆り出されることに比べたら、行商困難で足がへとへとになるなんて、いくらでも耐える国民性。おかげでどんなに道が悪かろうが舗装を後回しにされようが、不便さを強く訴える者はほとんど出ないのだった。
(この紙に書いてあること、ぜんぶ嘘な気がするわ……)
一度強く芽生えた不信感が、目の前の大事な書類を、無意味な紙切れに変えていた。
カイゼルが珍しく店の
「あの」
いつものお散歩デート。彼と組んでいた腕に、ぎゅっと力がこもった。
「あなたの名前、偽名ですわよね」
流暢に喋っていたカイゼルが、黙ってしまった。不愉快に思われたのは確実だった。気圧されして、うつむいてしまったメリアナだったが、それでも口は止まらない。
「王様は貴方の情報を出してはくれますけれど、貴方の存在を証明する確たる証拠が、どこを探しても見つかりませんの」
カイゼルが無音を切り裂いたのは、しばらく歩いてからだった。
「おそらく貴女が僕の本名を知る機会は、一生無いでしょう」
さらっと言われて、メリアナはカッとなって顔を上げた。
「そんな結婚がありますか!? もう何もかも不確かで、私はいったい何を支えにして貴方を信じればいいんですの!? 名前も職業も住所も、年齢も子供の人数も、本当はお城でどういう立場にいる人なのかも、何もはっきりしない! せめて貴方の本名だけでも知りたいわ!」
ついにメリアナの口から、ついて出た。喉元まで出かかっていて、いつもカイゼルに遠慮して訊けなかった事が、想いが口から、目の縁から、溢れて止まらない。
周りの通行人が振り向いて、立ち止まる。カップル二人に注目が集まりだす。
小柄なメリアナを見下ろす長身カイゼルの、追い詰められ見開いた両目が、焦燥に駆られて神経質に揺れている。
……だが、何かの拍子にフッと消えた。感情らしい感情が、メリアナを見下ろすときの少し戸惑うような謎の気遣いが、神経質な体の痙攣が、全て消え失せた。唯一残ったのは、ゾッとするほど冷徹な視線を向ける、知らない大男。大きな片手で鬱陶しそうに前髪を掻き上げ、現れたその貌は、ディアレスト卿だった。メリアナが縋り付いていた袖を、叩き落とすかの勢いで振り払う。
あまりの衝撃に、メリアナの体が石畳に崩れた。いつぞやの、階段を数段踏み外して転びかけた時と同じような感覚だった。恋人の仕打ちにショックを受け、立ちあがろうとしたが、何故だか足が上手く動かない。どこも痛めてはいないのに、なぜか。
漆黒のジャケットを大きな肩幅に引っ掛け、長い金髪を真っ赤なリボンで一つにくくり、とても人に向けて良い形相ではないディアレスト卿が、見下ろしている。
「貴様にはほとほと嫌気が差したぞ。もっと
天から轟くような怒声に、メリアナは目を丸くして見上げているしかできなかった。王家の事情が絡まった複雑な陰謀に、自分から片足を突っ込んでいる自覚はあった。メリアナはそれすらも利用し、貴族と王家の秘密の花園に、大商家ポルカフの名を連れて行こうとした。利用しようとしていたのは、お互い様だった、そのはずだったのに。
(私、今、泣いてる……絶望してる……)
嘘をつかれて、たくさんの秘密で壁を作られて、いつだって会えなくて、本当はもっと、声が聴きたいのに。
「見込み違いって、なんですの!? 何が狙いで私に近づいたの! 私はっ、私は本当に貴方と――」
結婚する気でいたのに
その言葉を伝える前に、目が覚めた。しっかりと掴んでいたのは、シーツの端っこ。枕が冷たいのは、溢れた感情のせいだった。
シーツを離して、その手で涙を拭った。夢を見ながら泣いたのは、初めてのことだった。
「なんで、私……あんなに悲しくて、泣いてたの……?」
打ちひしがれて、必死に縋って、自分がいかに傷付いているか、いかに貴方を慕っているかを涙ながらに相手に訴えるだなんて。負けず嫌いなメリアナだったら、絶対にやらない。しかし不穏な夜に心細さを抱きながら、会えないカイゼルのことを思い浮かべながら無防備に微睡み、己の深層世界へと舟を漕ぎ出し、本当の自分の気持ちに遭遇した。
怪文書を送ってきた相手のことを、笑えなくなってしまった。
「そうか……私、不安だったんだ。寂しくて、カイゼル様にいろんなこと相談したくて、これからのことも、たくさん話したくて……とにかく、お話がしたかったのね」
それができなくて、静かに積もった腹立たしさが、メリアナの気付かぬうちに強いストレスに変わり、構ってくれないカイゼルを前にして夢の中で喚いてしまった。起きてたら絶対にそんな姿、他人に見せなかった。
「カイゼル様……私は今、貴方にとってもお会いしたいわ……」
自分でも、いったいいつ恋に落ちたのかわからない。どこを好きになったのか、具体的に言えない。何一つ真実味の無い相手なのに。商売を大きくするために近づいた相手なのに。今、とっても会いたい。自分が傷付き、泣いている姿を見てほしい、大慌てで涙を拭いに来てほしい。困り眉毛で、謝ってほしい。
「さーて! 起きますかっと!」
なんでもないように、上半身を勢いよく起こした。ねちゃねちゃになった目を軽くこする。
「今日も変わらず、頑張るわよ!」
起きて動き回ってたら、いつもの自分に戻れる。そう信じて、顔を洗いにバスルームへと急いだ。
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