第11話 『別れろ。さもなくば』
「メリアナちゃん」
父が仕事で外出してから、洗った食器を拭いているメリアナのそばに、母がこっそりと近づいてきた。いたずらっぽく足音を潜ませて、でも自分から娘に声をかけているから、メリアナは母が近づいてくるまで待っていた。
「なぁに、お母さん。にやにやして」
「うふふ、喫茶店の店長さんがね、カイゼルさんからのお手紙を預かってたの。メリアナちゃんに渡してほしいって、託されてしまって」
「え? カイゼル様なら、今日ここに来たのよ。カフェに手紙を預けただなんて一言もなかったわ」
何かおかしいと、メリアナは食器を棚に戻す作業を中断して、なぞの手紙を受け取った。白い封筒には、何も書かれていない。
「メリアナちゃんが一人のときに、渡してほしいって頼まれたの」
「ちょっと開けてみるわね」
わくわくしている母に罪悪感を抱きつつも、慎重にペーパーナイフで開封し、カイゼルのまねをして臭いを嗅いでみた。
(……変な臭いは、しないわね)
薬品臭いだとか、そういった本格的な異変は素人のメリアナにはわからない、けれど気休めにはなった。四つ折りに畳まれた紙を広げてみる。
『悲劇の乙女になりたくなくば。
年食った親を思うならば。
アレと別れろ。
お前から言い出せば、
アレもあきらめる。
我々とアレの、賭けから降りろ。
さもなくば苦しみが長続き、
いずれは首が締まるだろう。』
脅迫状だった。
「メリアナちゃん? どんなことが書いてあったの?」
嬉しそうでない娘の顔に、心配した声をかける。
「お母さん、今度からこういう手紙は受け取らないでほしいの。今ちょっと揉め事が起きててね、うーんと、簡単に説明すると、カイゼル様と私の結婚を、何か勘違いしてる人たちがいて、うちに嫌がらせの手紙が大量に届いちゃったのよね」
メリアナの懸念したとおり、母が絶句して彫像のように固まった。ふくよかな頬に両手をあてて、娘を凝視している。
「ごめんね、黙ってて」
「そんなお手紙、どこにあるの!? 筆跡鑑定に出して、どこのどなたかはっきりさせなきゃ。手がかりになる書類はたくさんあるから、筆跡を照らし合わせてみましょ!」
メリアナの母は、ポルカフ家の有能な事務員であった。父がのびのびと商才を発揮できるのは、若い頃から母が事務処理を担当して、支えてきたからだった。
「それがー、カイゼル様が全部持っていっちゃったの。絶対に犯人を見つけたいから、その手がかりにしたいんですって。すっごく張り切ってた」
おそるおそる母の反応をうかがうと、さっきまでの恐ろしい形相はどこへやら、母はふくよかな片頬をふっくらした手のひらで包んで、朗らかに微笑んでいた。
「あらあら、まあまあ、カイゼルさんはとっても情熱的な人ね。でも腕っぷしが強そうには見えないから、犯人探しの最中にお怪我をしないといいんだけど」
「それなのよねー。犯人を追いかけるための知識は豊富みたいだけど、ひょろっとしてて全然強そうに見えないのよね。一応、ケガにはお気をつけて、って忠告はしたんだけど、大丈夫かな〜」
今頃、犯人にキツイことを言われて泣いてやしないかと、メリアナは心配した。聞かん坊で感情的な一面があるカイゼル。彼が怪我だけはしないようにと、祈るしかできなかった。
昼から予定ぎっしりのメリアナ、来年建設予定が立っている新しいカフェから、お土産屋や化粧品屋、八百屋としての側面も持ちたいと相談を受けており、今日はその応談のために少し遠くまで歩いて出かけた。
「お土産屋さんに化粧品屋さんに、八百屋さんね〜。お任せあれ!」
どの店もメリアナが一度契約を繋いできた店ばかり。一度繋いだらそれっきりなんて、とんでもなくもったいない話であり、今後も互いの体調や家族の様子や、儲けを大ざっぱに報告し合い、ときには悩み相談や、新たな作戦があれば提案しあう。そんな時間を、メリアナは月に一回の訪問を設けて大事にしていた。
もっと頻繁に訪問すべきだ、とか、もっともっと会話にフレンドリーさを入れてさりげなく全てを聞き出す、などなど、よそからの助言に悩んだこともあったけど、今のところ月一のざっくり報告会がメリアナに合っていた。
あらかた応談した後、カフェで扱いたいという野菜の乾燥チップの原材料を、どこで卸したら良いかと意見を求められた。そのお悩みに応えるため、メリアナは再び街を歩きだす。
徒歩だと散歩にちょうど良い距離。すぐ目の前に好条件な店があっても、互いに詳しい情報交換ができていないと、こういう事が稀に起きる。あのカフェの若オーナーが先見の明に秀でる日は、もうしばらく先になるだろうなぁと予想したメリアナは、末長く支えてあげる所存であった。
(たぶん、あのカフェのオーナーは私の他にもいろんな人に相談してるでしょうね。いきなり大きなお店を出すんだもの、不安よね。私の出した案が少しでも採用されるように、きっちりがんばるわよ〜!)
くだんの大きな八百屋に到着。さっそく商談に入りたかったメリアナだったが、オーナー兼店長が、完成したばかりの自慢の倉庫を見せたいと言うので、メリアナも興味が沸き、ぜひ見せてもらう流れに。
地下への階段は、四角い木製の重たい蓋で閉ざされており、二人がかりで横にずらした。四角い大きな穴が、ぽっかりと現れる。
「まあ、とっても深そう」
暗所でしっとりと湿度があり、なにより涼しい。このような場所を、にぎやかで暖かな城下町の真ん中に生み出せるだなんて、メリアナは感激していた。
(もっと地下室の在り方について勉強しないと。そうだわ、この地下の片隅を、倉庫代わりに代用できないか店長さんに提案してみよう。私の予想だと断られる気がするけど、店長さんの持ってる知識と私の持ってる経験は違うし、もしかしたら採用してもらえるかも)
店長のおじさんを先頭に、階段を下りていった。
「深いですね〜。これが涼しい空間を維持する秘訣ですか?」
「企業秘密だよ」
「ですよね〜。この空間の一部を、倉庫代わりに他者へ貸し出すお商売も成り立ちそうですね。荷物だけ預かって、地下の涼しい場所で保管してあげるだけで、利益になりますよ」
「う〜ん、まだ野菜以外を保存する予定はないんだ。ああでも、暗所で育つキノコ類を、この隅で栽培してみようかな〜とは思ってるんだ。費用の見積もりがあんまり芳しくないから、当分先の話になるけどね」
「まあ! 自家製のキノコを、それはステキですね」
などと盛り上がっていると、
「店長! ちょっと来てください! 変な客が来て看板娘が絡まれてるんです!」
地上から、バイトさんの大慌てした声が届いた。
「なんだって!? うちの娘にケガさせたら、タダじゃおかないぞ!」
店長はその場にメリアナを残して、急傾斜な階段を駆け上がっていった。気迫に圧されたメリアナは、少ない光源の一つであった手燭をオーナーが持っていってしまったことに、さらに呆然としていた。
「足下が暗すぎて、戻ることも進むこともできないわね……」
とりあえず、しゃがんでいれば転ぶこともないだろうと思い、スカートと膝を折り曲げて、ちょこんと腰掛けた。あの店長が来客の存在を忘れ去ってしまうことはないだろうという、信頼からくる落ち着きだ。
階段の下は、真っ暗。地上へ続く床板を外してもらうと、一階からの明かりが天窓のように差し込み、そこからわずかな明かりを得て段差を確認できる仕組みだ。現在真っ暗なのは、バイト君が人数確認をミスして蓋をしたからである。
(しょうがないわ、誰だって最初は大慌てのミスだらけだもの。今は娘さんの大ピンチみたいだし。私はここでお昼寝でもしてようかしら。朝からいろいろあって、ちょっと疲れちゃった)
目を閉じて、うつらうつら。ひんやりと心地よい空間で、ゆっくりと船を漕ぎ出すメリアナを岸辺に戻したのは、野太いバリトンボイスの静かな嘲笑だった。
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