第10話 大きな魚
彼がメリアナの友人たちをすっかり警戒している様子なので、メリアナは口頭で彼女たちを紹介することにした。
「サーヤは、私と一番親しい友人なんです。真面目で意思が固くて、ちょっと心配症でもあるんです」
「そうなんですね。サーヤさんが一番僕を警戒している気がするんですが、あなたの大事なご友人とあらば……すみません、なんか、よけいに悲しくなってきました。こんなに疑われるなんて、僕の影が日頃から薄いばかりに……」
消えゆく語尾、うなだれるカイゼル。
「僕の名前、偽名なんです」
とんでもないことを言い出した。
「本当の名前は、フーガ・フィン・ディアレスト」
絶句するメリアナに、カイゼルは顔を上げて力無く笑った。
「冗談ですよ。あんなふうに不機嫌を撒き散らす男性は、僕も苦手なタイプです」
「あの、デイアレス卿とどのようなご関係なんですか?」
「仲の悪い、幼馴染です。昔から、何をしてもフーガに押されてしまって、いつも気がつけば彼の名前ばかりが先に立ち、僕は、名前すら書かれるのを先生に忘れ去られてしまう……それが悔しくて、勉強ばっかりしていたら、本格的に世間から忘れ去られてしまって……どうしてもフーガに勝てなくて、このまま、透明人間になってしまうのかなって思い悩んでいたところを、今の国王陛下に拾ってもらったんです」
カイゼルの存在がそこまで薄く扱われるのが、メリアナには少し信じられなかった。街を歩けば、その高身長でよく目立ち、一度取り乱すと、なかなか情緒が安定しない……悪い人ではないのだが、かなり悪目立ちしがちな人だと思う。
「僕には爵位も、家族も財産も何もありません。存在すら、誰からも思い出されない。書類の記録すら、され忘れるほど影が薄い。こんな変なヤツ、メリアナさんのご友人から気味悪く思われて、当然です……」
父が戻ってきて、イスにどっかり座った。母がカフェで偶然会った友人と、楽しく過ごせた話を聞いて、父までご機嫌になっていた。
カイゼルがイスから立ち上がり、手をバンッとテーブルに着けた。
「ですが! どんなに変な手紙が届こうと、どんなにボロクソに言われようと、僕は! 僕は……えっと……」
目にいっぱい涙を浮かべて、神経質に震える薄いまぶたを真っ赤に染めて、彼の唇は震えていた。
「メ、メリアナさんだけは、絶対に守り抜きますから! 命に代えても、絶対に幸せにしますから! だから、どうか僕を捨てないでください!!」
「わ、わかりましたから! 鼻水ふいてください」
てっきり自前のハンカチかチリ紙で、拭くものだと思っていたメリアナ、しかしカイゼルは血文字の『別れろ』をぐしゃりと掴むと、それで鼻をかんだ。
ドン引きするメリアナ親子。
「すみません、取り乱してしまいました。一番傷付いているのは、こんな物を送られたメリアナさんなのに……」
悲しげに金のまつ毛を伏せる。
「こんな手紙があなたにくるのは、僕が弱いせいです。どういうわけか、あなたの相手がフーガだと間違えられているし、きっと僕なんかより見栄えがするから、彼だと勘違いされたんです。僕に少しの時間をください。僕なりのやり方で、この怪事件を調査しますので」
怪文書と友人からの手紙を、もはや許可すら得ようともしないで重ねてまとめて、カイゼルは両手で持ち上げた。
メリアナはまだ全て読んでいない。とりあえず、しっかりと住所が書いてある封筒だけは置いていってくれるよう頼んだ。しかし彼は開封されているサーヤたちの手紙は持っていきたいと言って、離してくれなかった。
仕方がないので、メリアナは彼を……信じてみることにした。
「どうか、無理はなさらずにね」
「メリアナ、良いのか? まだ全て読めていないだろう」
「うん、任せてみます。カイゼル様、お読みになった手紙は必ず返してくださいね」
メリアナは念を押す意味もこめて言葉にした。まだまだ封を開けていない手紙が多いし、カイゼルが感情のあまり手紙を破損させないように、警戒してのことだった。
カイゼルが、ぽかんとしている。
「僕にそんなふうに笑いかけてくれるなんて、なんて強い人なんだ。あなたにそんな顔をさせておいて、ここで引き下がるだなんて、未来の夫失格です」
カイゼルは表情を引き締めると、ジャケットのポケットの中から、折り畳み式の手提げを取り出して、手紙の束を入れてゆく。
「必ず返却しますので、しばらく僕に預からせてください」
「わかりました。でも、くれぐれも危ないことはなさらないでね。あなたがケガしたら、結婚式の日程が遠のいてしまいますわ」
メリアナが小首を傾げて微笑むと、しばらくぽかーんとしていた青年は、その意味に気付くなり赤面して縮こまった。
「……ぜ、善処、します……」
その後は、また何かあったらすぐに駆けつけますと真剣な眼差しで宣言されて、しかし相談相手にはあのカフェの店長を指名された。メリアナはカイゼル本人の連絡先を聞いてみたのが、
「今、ちょっと家と仕事がごたごたしていて。落ち着き次第、必ず教えます」
真剣な顔ではぐらかされ、大量の手紙の束とともに、帰ってしまった。
父と、呆然としていた。
「変わった青年だったな。悪い男ではないんだろうが、少々、落ち着きと配慮というものに欠ける」
父は疲れたため息とともに、イスの肘掛けの片方を使って頬杖をついた。ニヤリと口角を釣り上げる。
「お前が手綱を握ってやりなさい。ああいうバタバタした男は、もう何年かすれば落ち着くだろう。根気強く支えてくれる誰かに恵まれれば、どこまでも伸びる。大勢の従業員を雇ってきたこの私が言うのだから、間違いないさ」
「ふふ」
すっかり冷めたお茶を飲み干しながら、メリアナも微笑した。
「お父さんがこのお茶をお出しする相手だものね。冷めても美味しい」
「今日の彼を観察して、どう思った?お前の好みまでは、わからないからなぁ」
浮いた話と無縁だった娘の、本当の気持が知りたいのだとメリアナは察した。父は仕事一筋だけど、その内側ではなによりも家族を愛している。そんな両親の気持を、大切にしたかった。
そして両親と同じくらい心配してくれるカイゼルも、その中に加わろうと一所懸命だ。今度は彼女自身が、両親のような家庭を作る番がめぐってきたのだと、カップを眺めながら考えた。
「正直に言うとね、カイゼル様はいろんなことを隠してらっしゃる気がするわ」
「それはパパも気付いてたよ。ずいぶんと難しい立場の職に就いているようだ。我々のような成り上がり貴族には、言えない秘密が多々あるのだろう」
「前の王様の時代までは、貴族同士の秘密主義ごっこは、とてもひどかったですものね」
メリアナの父のように、爵位を大金で買うだなんて、ありえない時代の話であった。選ばれし血筋は
「私たちみたいな、貴族相手にも物怖じしない商人がいなかったら、今頃この国は庶民の不満が爆発して、内紛だらけで崩壊してたかもね」
「我々が遠慮することなんか一つも無いさ。今は新しい時代と、新しい価値観をお持ちの王様がいる。王様が直々に側近の婚姻を世話してくださるのならば、これはポルカフ家今世紀最大のビッグチャンスだ! 逃すお前じゃあるまい」
「もちろんよ。でも、お父さんが心配する気持もわかるから、もう少しカイゼル様とは時間を重ねるわ。お城で雇われてる人なんだし、そこまでひどい性格じゃないと思いたいけど、もしも手に負えないくらいだったら、そのときは、また相談に乗ってね、お父さん」
「ああ、それこそもちろんさ。どんな利益よりも、お前の
その言葉が聞けて、メリアナはホッとした。店や両親のことを考えるならば、自分の気持ちを犠牲にしてでも掴むべきチャンスだけど、不安がないわけじゃなかったから。
「うふふ、次のデートの時間が楽しみだわ」
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