第9話   この人は、誰

 カイゼルまで同席する事態に、かなりの気まずさを覚えながらも、悪気があってのことでなし、むしろ未来の妻の心身を気遣ってのことなのだからと、無理に脳内変換したメリアナは、まず自分が開封して読み終わった手紙から、順にカイゼルに渡して読ませることにした。


(読んだだけで、誰が書いたかなんてわかるのかしら)


 怪文書を真剣に黙読しているカイゼルの顔は、かなり険しくて、まるで別人のように見えたが、集中しているようなので、声はかけないでおいた。


「この筆跡には、見覚えがあるな」


 ぽつりと漏らした彼の言葉も、聞こえないふりをして次の手紙をペーパーナイフで開封した。


(あら……? この封蝋シーリングの型は、いつも大きな羽飾りのついた扇でひらひらやってる、女の子の家のものね。たしか伯爵令嬢だったわ。そんなお家が、私になんの用かしら)


 大きな扇で顔を隠すと小顔に見えるだとか、けばけばしい色の羽を使うと逆に顔が清楚に見えるだとか、メリアナにはいまいち効果が感じられないが、上流階級で流行っているらしい。これにいち早く目をつけたメリアナの父は、猛禽類愛好家団体に寄付をする条件として、抜けた羽をタダでゆずってもらうことと、それを扇職人に買ってもらうを繰り返し、ちりも積もれば、山にした。


 本物の猛禽類の羽は、それはそれはゴージャスかつ苛烈な印象を扇に付与し、一筋縄では攻略できそうにない高嶺の花たちの手に渡ったのだった。


(私は可愛くて持ち運びしやすい小さな扇がいいけどね。あ、でも、両手は空いてるほうが商談時の印象がいいから、やっぱり何も要らないわね~)


 お父さんには言えないけど、と心の中で吐露しながら、手紙を広げた。


『かわいそうなメリアナへ


あなたの結婚を風の噂で耳にいたしました。お相手は爵位がないうえに子供が二人もいる四十三歳の、しがない男性だそうですね。あなたの日頃のお上品な態度の賜物ですわ! おーっほっほっほ!


どこかの麗人より』


 なーにが麗人かと、メリアナは鼻を鳴らした。高笑いまで書いてあるあたり、書記を雇ってご自分の独り言を全て手紙に書かせたのだと思われた。封筒には送り主の手がかりになる家紋付きの封蝋を使っているのだから、匿名にしたいんだか自己主張が激しいんだか、よくわからない。


「メリアナさん、その手紙は」


「ああ、これは読むだけ時間の無駄ですわ。幼稚で暇な相手もいるものです」


 彼の目の前で破こうとしたら、かすめ取られてしまった。驚くメリアナの視線の先で、すでに真剣に黙読されている。


「あ、あの、カイゼル様」


「年齢、名前、子供の人数。犯人は城で我々を観察し、軽薄な女性を使って印象操作を図っているようです。犯人の目星に何人か候補が挙がりました。作業を続けましょう」


 メリアナの顔をのぞきこむ穏やかな顔には、有無を言わせぬ圧が。さっきまであんなに取り乱していたカイゼルが、いなくなっている。


(この人、仕事関連になると人格が豹変するのかしら。感情の起伏が極端に激しい人は、好みじゃないわ……。でも王様からの命令だし、この場合どうやって婚約を白紙にできるの? もう私の人生は、お先真っ暗なのかしら)


 一緒にいて心休まらない夫は、メリアナ的にお断りであった。外での商売で気を張ったり、ときには精神をすり減らすほど難しい交渉を終えて帰宅すると、情緒不安定な夫の奇行が待っているとあっては、想像するだけでメリアナはゾッとした。


 気を取り直して、何か気分の上がる相手からの手紙はないかと、紙の山を漁った。


 しっかりと宛名と送信元の住所が書かれた、手紙らしい手紙を何通か見つけて、大変ほっとした。


「ふふ、友達からお祝いの手紙もちゃんと来てる。みんな近くに住んでたらねぇ、結婚式の招待状を出すのに」


「出せばいいじゃないか」


「そーお? 迷惑じゃないかしら」


「向こうだって都合がつかないときは、無理せずに欠席するさ。ならば、無理せず来てくれる友人だけと、祝えば良いじゃないか」


 あれこれと世間体を気にして友人を呼ばないつもりだったメリアナ、もう一度、よく考えてみた。今度は友人と自分の立場を、逆にして想像してみる。


「……う〜ん、そうね、私も友達の結婚式なら、都合をつけて駆けつけたいわ。うん、やっぱり彼女たちにも招待状を作るわね。仕事上で付き合いのある近所の人たちだけ呼ぶつもりだったけど、サーヤたちに祝ってもらったら、きっと嬉しい気持ちも二倍だわ」


 想像の中で純白のドレスを身に付ける自分を想像したら、自然と顔がにやけてしまった。ハッとしてカイゼルのほうを振り向くと、なんと勝手に手紙の封を開けているではないか!


「ちょっ何して――」


「あ、すみません、お話のお邪魔をしてはダメかと思って」


 だからって他人の手紙を許可なく開けようとするだなんて。それともカイゼルの価値観では、恋人や妻の一大事には先陣を切って手紙も開けてしまうのか……未来の夫について何も知らないメリアナは、もっとデートを重ねてから婚約を結べばよかったと後悔した。


『メリアナへ

あんたの相手がカイゼルって名前なのは、届いた手紙でわかったけど、なんでかあたしの周りでは、あんたがディアレスト卿と結婚するって噂が立ってるよ。これ、ヤバくない? だってあのディアレスト卿だよ? 超イケメンで、いろんな意味で厄介な人だよ。早いとこ誤解を解いたほうが絶対にいいよ。火の粉は早めに払わないと、大変なことになるんだからね。』


 この次に開封した友人の手紙にも、その次も、メリアナの婚約者が二人もいることについて言及する内容が続いた。さすがにメリアナも気味が悪くなって、テンポよく開封し続けていた手が止まってしまった。


 一方、しっかりと受け取って一枚一枚吟味してゆくカイゼル。メリアナが彼を信じて手紙を見せているのは、奇妙な噂を流した犯人の特定に繋がるならと、思っていたから……だけど、ここにきて友からの手紙を読ませることに、とてつもない罪悪感を抱いた。


 メリアナの父は、とうに二人に任せてしまって、今はカフェから戻ってきた最愛の妻と居間で過ごしている。


(私も将来、お母さんのような愛され奥様になれるかしら)


 横目で盗み見るカイゼルの、伏せ目がちに手紙を読む顔が、驚くほど端正でメリアナはギョッとした。愛くるしい表情が消え、薄いまぶたに長い金色のまつ毛がけぶるような密度で生えており、繊細な芸術品のように見えて、いよいよメリアナは彼が誰なのかわからなくなってきた。


「ふぅん、どれもディアレスト卿のことばかりですね……彼は身軽な立場を好む男性ですから、身を固めることはありえません」


「そうなん、ですか」


「あなたのご友人にまで、不穏な気持ちになる噂を流すだなんて、絶対に許せません。一緒にがんばりましょう、メリアナさん」


 片手を重ねられ、ぎゅっと握られて、不安な気持が揺らいだ。


「……では、次の手紙にいきますね」


『聞いて、メリアナ。

あなたの嫁ぎ先の住所には、民家がほとんど建ってないの。メリアナの夢って、自分のお店を持つことじゃなかった? その土地でお商売するのは、考えたほうがいい気がするわ。』


 また、とある手紙には、


「サーヤからだわ」


『メリアナへ。どうか、この手紙はカイゼル様のいないところで読んでほしいの。結婚間近のあなたに、こんな手紙を書いてしまった私を、どうか許して』


 不穏な書き出しだった。


『あなたが結婚すると手紙で知ったとき、私も嬉しい気持ちになったのは本当です。お相手の男性のことが、お名前しか書いてなかったから、いったいどんな男性があなたに選ばれたのかと、気になって調べてみたの。』


 サーヤらしい、とメリアナは思った。友人の身内も把握し、そこから商売関連の交流をもっと広げることができるのを、サーヤは知っている。彼女のきめ細やかな気遣いは、ゆっくり、だけど着実に、利益として身を結んでいる。


『一週間かけて、私と両親が持ってる情報網から辿ってみたんだけれど、カイゼル・フォーカスという名前の男性は、存在しなかった。』


「……」


『おそらく、偽名を使われているんだと思うの。彼が本当に誠実な男性なのかどうか、心配になって、この手紙を書きました。大事な友人の晴れの日の前に、嫌な手紙を送ってしまったことは申し訳なく思っています。でも、どうか、あなたの結婚相手ともう一度だけでも、たくさん話し合ってほしいの! カイゼル様は、とても怪しい人だわ。どうか、お返事の手紙にあなたの気持ちを詳しく書いて、私を安心させてください。


これからもあなたの友人でいたい サーヤより』


 メリアナの婚約者カイゼルの目に触れないようにと、注意書きがされている。どの友人も、メリアナが一人で部屋で読んでいると思って、ふみをしたためているのだ。まさか張本人に黙読されているだなんて、夢にも思っていない。


「良いご友人を、お持ちなんですね」


 笑顔のカイゼルに責められているように感じたメリアナは、ふと、天井の照明を眺めた。天窓から降り注ぐ天然の明かりを、複数の鏡と空色のガラス片を螺旋状に組み合わせて、今もキラキラと部屋中を照らしている。


 メリアナが気に入って、遠方の職人から仕入れた家具だった。初めて難しい交渉に挑み、頑固な職人たちを納得させ、数年前に城下町で大流行させたメリアナの自信の源にして原点。


(ここで投げ出したら、一生この人を理解できないまま会えなくなる気がする……ふふ、珍しくって価値の高そうな商品に弱いのかしらね、私。カイゼル様には失礼になるけど、一人の男性じゃなくて、こういう商品なんだって思ったら、もっともっと詳細が知りたくなるし、手放すのが惜しくなっちゃう。私はやっぱり恋愛より商売なのかも)


 我ながら狂ってるな〜と、自身を客観視してから、また現実へと戻ってきた。


 両腕を組んで、深くイスに腰掛け、目を閉じて何か思案している彼は、ずっと年上に見えた。


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