第8話   僕の大事なメリアナさあああん!!

 両親や、親しい人たちから、嫁入り支度を教えてもらう片手間に、友人たちへ婚約の報告を手紙にして送ることに決めた。一人、自室の文机を前にして筆を取る。


「うふふ、きっとみんな驚くわね。なんだか、いたずらを仕掛けてる気分」


 友人たちと一斉に、婚期が一番遅れるのは誰でしょうか~なんて意地悪な順位付けをしたことがあった。無論、冗談の通じ合う間柄になってからだが、満場一致でメリアナが一位を勝ち取ってしまったのは、不名誉かつ納得できた思い出だった。


 友人一人ひとりに宛てて、丁寧に手紙を書いてゆく。字が美しいと印象が良くて商売にも役立つので、メリアナは親しき仲でも丁寧に書く。


 奇妙で気弱で、それでいて一所懸命な婚約者、カイゼル・フォーカスの名も記して。



「メリアナちゃん、あなた宛てのお手紙がこんなにたくさん! きっとパーティで頑張ったから、たくさんお友達が増えたのね」


 朝食のサンドイッチを大皿で運んできてくれた母が、今度は尻の敷物に使えそうなほど大量の手紙を重ねて、テーブルに持ってきた。


 ざっと目視で数えるに、ゆうに五百枚は超えている。ぶよぶよに湿気っていたり、シミだらけだったり、とんでもなく大きな封筒もあった。


 メリアナは内心で眉をひそめつつ、母に笑顔でお礼を言った。


(なにかおかしいわ、どれも手紙の作り方がすごく雑だもの)


 テーブルの半分くらいあるとても大きな封筒だったり、四隅の角がぐちゃぐちゃに折れ曲がってたり、正気を疑うような筆圧の殴り書きだったり。


「お母さん、ちょっといいかしら」


 繊細な母にはカフェへ出かけてもらい、メリアナと父だけで、手紙を開封していった。


「なに、これ……」


 十通ほど開封して、メリアナは気持ち悪くなってテーブルに手紙を放った。メリアナの婚姻話に対する、苦情や不平不満を記したものだった。


 大きな紙の裏表にびっしりと、自分がいかに「ディアレスト卿」を愛しているかを懇々と書き綴った怪奇文章。「抜け駆けした!」「泥棒猫!」とメリアナをボロクソに書き連ねた狂気の文面。「別れろ」と血文字で書かれた紙とともに、トカゲの尻尾らしき物体が、大量に入っている封筒まで。


「なんで私の婚約者が、ディアレスト卿だと勘違いされてるの?」


「お前まさか、ディアレスト卿にしつこく商品の宣伝をしたんじゃないだろうな」


「しないわよー。私あの人の攻略法なんて見当もつかないもの。いつも雰囲気がピリピリしてて怖いし」


「ああ、まあ、確かにな……」


「なりゆきで身辺をお調べしちゃったけど、ご職業や、お城での立場もはっきりしない人なの。卿と呼ばれてるのも、この人だけだし……。こんなにモテモテで大注目されてるのに、謎しかなくてびっくりしたわ。お住まいも、荒野の大きな教会なんですって」


 んん、とわざとらしく父が喉を鳴らした。


「お前も私も、将来有望そうだという偏見だけでカイゼル君を選んだじゃないか。それと同じで、周囲が卿に将来性を見出し、今のうちから気に入られようとしているんだろう」


「私は仲良くなれそうにない人には、無理に声をかけないけどね。時間の無駄になっちゃうし」


 ハァ、とため息でテーブルの上の手紙が揺れた。


「きっと、もうすぐディアレスト卿もご結婚されるのよ。私とカイゼル様と時期が重なったから、周りから誤解された、とか? この手紙攻撃も、卿が身を固めれば治まるわよ」


「あまり憶測で物を語るものではないぞ。ディアレスト卿について、もっときっちり調べなければ」


「あら、私の妄想癖はちゃーんと家族の中だけにしてるわ。今まで、反応に困る話題を他人に投げかけたことないし」


「カイゼル君相手にも、控えているようにな。婚約破棄や離縁などされたらたまらない。今の彼は平民のようだが、きっとそのうち、陛下から爵位とか何か貰えるだろう。男爵の爵位を買い取った、私みたいにな」


「ふふ。カイゼル様の件は、ずいぶんな賭けに出た先行投資よね。我が家らしくないわ」


 カイゼルなら大丈夫だろう、という奇妙な信頼が、ポルカフ親子をずいぶんと積極的にさせていた。


「メリアナさあああん!!」


 血相変えて玄関扉を叩くのも、恋人兼婚約者になったばかりのメリアナを大事に想っている態度そのものを表しているようで、父と顔を向けて微笑んだ。


「はぁ~い、今開けますね、カイゼル様」


 用心のためにいちいち鍵を掛ける習慣が身に付いているメリアナ、内鍵を回して扉を開けると、身を震わせて立っているカイゼルを見上げた。


「おはようございます、カイゼル様」


「あの! 街で偶然に聞いてしまったんですけど! メリアナさん僕というものがありながらどうしてディアレスト卿と結婚だなんて噂が立つんですか説明してください!」


 朝から婚約者が掴みかかってくるので、メリアナは笑いをこらえながら押し返した。


「あ〜、なんでか私とディアレスト卿が、噂になってるみたいですね。でも、どうか安心なさって。私があんな無愛想でツンケンした人と、二重結婚なんてできるわけないでしょう?」


「でも! だって、でも! 街で!」


「あなたとの結婚は、王様からの命令でもありますから、ここで私が妙な浮気なんてしたら、王様のメンツに泥を塗った罪で財産を没収されてしまいますわ。そのような一銭にもならない恐ろしい大事件、起こす価値があると思いまして?」


 メリアナは彼の両腕をさすって落ち着かせた。カイゼルの興奮気味な呼吸が、じょじょに戻ってゆく。


 メリアナもつられて、改めて彼を眺める余裕が持てた。仕事着なのかおとなしめのジャケットと、シャツを腕まくりしており、本当に走ってきてくれたのかズボンの裾の片足がめくれたまんま。癖っ毛の金髪はぼさぼさになっていて、前髪が少しおでこにくっついている。


 やがて、彼が小さく「すいません」と謝罪する声がして、メリアナは「ありがとうって言葉に変えたほうが、ずっといいですよ」と助言した。


「僕も彼も、仕事上、敵が多くて、ああ彼っていうのはディアレスト卿のことです。僕、こんな意地悪な噂を広めた犯人を、必ず捕まえてみせます! だから、だからメリアナさんは、安心してください」


「え? つ、捕まえ……あの、私は気にしていませんよ? 手紙を送った犯人なんて、街中で探していたらキリがないでしょうし」


「はい? 手紙?」


 聞き返されて、メリアナはギョッとした。


「僕は街で聞いた噂の話をしていたんですが」


「あああの、えっと~」


「お手紙の話は初耳です。是非その手紙、僕に見せてください!」


 勝手に玄関を上がってきた。背が飛び抜けて高くて、力も強い彼を押さえることができないメリアナは、彼の腕にハンドバッグみたいに掴まって、引っ張られていった。


「お父さ~ん!」


「おはようございます、お義父とうさん!」


「え? あ、おはようカイゼル君。良い朝だね(困惑)」


 朝から腕を組んで台所に入ってきた未来の娘婿の、改めてその身長のでかさに、座っていた父が一瞬すごくびっくりしていた。


 カイゼルはテーブルの上の紙の束に、もっとびっくりして目を剥いていた。


「こんなにたくさん! これ全部メリアナさんへの嫌がらせの手紙なんですかぁ!?」


「声が大きいです、カイゼル様。今ちょうど開封している最中ですから、全部がそうなのかは、わかりかねますわ」


 突然イスを引いて、カイゼルが座ってしまった。大きな体の彼が動くたびに、メリアナにはどうにもできなくなる。


(どうしよう、商売以外で男の人と接したことがないから、こういうときどうしたらいいか、わかんないわ。なんでイスに座っちゃってるんだろ)


 メリアナの疑問は、すぐに晴れた。


「これは僕たち二人の問題でもあります。僕も、手紙の開封を手伝います!」


「ええ? そ、そこまであなたにして頂かなくても、ほら、我が家の個人的な手紙も混ざってますし、商売人同士でしか通じない特別な書類も混ざっていますから――」


「奇妙な噂を流している犯人を、必ず見つけないと! これらの手紙は、犯人の手がかりに繋がると思うんです。お願いします、メリアナさん、お義父さん、僕も一家の一員として、助力させてください!」


 起立して深々と頭を下げる、大きな男。その勢いと風圧で、手紙が数枚テーブルの上を滑っていった。


(こ、こんなに頑固な一面があるなんて……私、この人と上手くやっていけるのかな)


 熱意に押されに押された親子は、とりあえずイスに座ってもらった。



 カイゼルは手紙の束をまとめて掴むと、まるでサンドイッチを丸かぶりするような顔の角度で、手紙の臭いを嗅いだ。


「……開けたら爆発する仕組みはないようです。火薬の臭いはしません」


「爆発しますの!? 手紙が?」


「ええ、今回は大丈夫ですけど。ですが、少量の薬品のような臭いがします。古いインクや紙からただよう刺激臭なのか、怪しい薬が染み込んでいるのかまでは、すみません、数が多すぎて判断ができません。念のため、ハンカチや手袋を使って作業します」


「なるほど。失礼だが、君はこういう事態に慣れているようだね」


「はい、国家の主要人物の秘書ですから、不審物のチェックは怠りません。ああ、メリアナさんたちの肌に何かあっては大変ですから、手紙の件は、全て僕に任せて。これは全て預かりますね」


「ああ! お待ちになってください、まだ全ての封を開けてないのです。私の仕事絡みの内容かもしれませんので、私も同伴で、確認させてくださいませ」


 メリアナに大慌てで制止されて、カイゼルもハッとした顔になった。


「す、すみません、僕、ついうっかり。仕事柄、迅速に対処する癖があって、すみません、ほんと、メリアナさんのプライバシーになんの配慮もしておらず、無神経でしたね……」


 しょぼーんと前髪を揺らすカイゼルに、父が立ち上がって、自慢の紅茶とこだわりのクッキーを娘夫婦にふるまった。まだ婚約段階とはいえ、もはやそのように映っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る