第6話 結婚相手が家に来た
国王陛下からの縁談話に、具体的な期限は提示されていない。しかし待たせて良い相手でもない。
あまりに婚約者の情報がわからないので、大事な一人娘の幸せを願う両親は、人を頼って国王陛下に書状を届けてもらった。
その返事の手紙が、翌日早朝に郵便受けの蓋を鳴らした。
「陰謀の香りがする……」
メリアナの父は妻と娘も呼んで、テーブルを囲んでいた。真ん中に置かれているのは、紅い顔料の中に金粉をたっぷりと混ぜたシーリングによる封をされた、国王直筆の、封筒(A4サイズ)が。
「えっとぉ、誰がお手紙を開封する?」
「お父さん、お願いいたします」
「あ、ああ……」
木製のペーパーナイフを片手に、父が封筒を持ち上げ、静かな部屋にショリショリと開封されてゆく音が鳴る。
神妙な面持ちで、手紙を広げてゆく父。その目が、紙面の文字を追ってゆく。
「メリアナ」
「はい」
「今、何時だ」
メリアナは、父の後ろの壁に飾られた鳩時計を見上げた。さっきピヨピヨ鳴ってから、針が十六分を示している。
「十時十六分だけど」
「ハァ、大変だ、母さんお茶の用意を。メリアナは、もうちょっとマシな服を着なさい」
「え? これよりも?」
これから昨日のカフェに行って、もう一度だけカイゼルについて、やんわり尋ねに行こうかと思っていた矢先だったから、オシャレなワンピースは着ていたのだが、これでもまだ足りないと。
玄関ベルが、ピンポーンと音高く鳴り響いた。最近父が仕入れたベルだ。
「え? 誰か来た。お店のほうじゃなくて、うちの玄関のベルだわ」
「……」
「お父さん? ……私が、出てくるね? いいんだよね???」
返事がない。手紙を持ったまま、父は青い顔して座ったままだった。
(どうしたのかしら。また発注ミスして生菓子を大量に仕入れちゃったとか?)
ちょっとびくびくしながら、玄関扉へ近づいてゆく。来客の顔がわかるように、扉の上部は強固なガラス張りになっている。
「……誰かしら? 痩せてるけど、大きな男の人ね」
金髪癖っ毛の、若い男性だった。ちょっと幼さの残る顔立ちに、頬にはそばかす、鼻の頭にはこすったような赤みが。よく目立つ大きな両目は、不安そうな感情の乗った垂れ目だった。
凶暴性とは程遠い人物に見えたメリアナは、ひとまず扉を開けてみた。
扉で見えなかった全身が現れる。ひょろ〜っと背の高い青年で、水色がかった灰色のスーツ姿で、ピンクの薔薇をいっぱい包んだ花束を、不安そうにギュッと握って持っていた。
「ど、どうも、こんにちは」
猫背に見えるようなお辞儀だった。まるでプロポーズに来たかのような格好に、もしや住所を間違えているのではとメリアナは懸念した。
「こんにちは……あの、どちら様でしょうか」
「あ、すみません! カイゼル・フォーカスです」
大慌ての早口で自己紹介されて、メリアナは「えええ〜!?」と大仰天だった。
「あなたが!?」
「は、はい」
「私、あなたから縁談が来てるんですけども」
「あ、はい、すみません」
大変申し訳なさそうな様子の青年に、メリアナはどうしてよいやらわからず、
「お母さーん! ちょっと来てー!」
とりあえず応援を呼んだ。
「ご挨拶が遅くなって、申し訳ありません。なかなか時間を作ることができず、こんなに日付が経ってしまいました」
青年は、ポルカフ一家の座るテーブルに、高身長ながら小さく縮まって座っていた。
そのあまりのおどおどっぷりに、ポルカフ一家は顔を見合わせた。
青年が握りしめていたピンクの花束は、今はキッチンの花瓶にとりあえず納まっている。まだ形良くハサミを入れてないので、今にも花瓶ごと倒れてきそうな大ボリュームだった。
メリアナの父が、うほんと咳払いする。
「あー、君が持ってきたあの花には、どういった意図があるのかね?」
「あ、はい、女性の家に行くならば、花を持って行ったほうがよいと、友人から言われまして、それで、自分なりに選んできました」
「なんだって? 君、ひとの娘にプロポーズする前に、どのような段取りを踏むべきか、自分で調べようとは思わなかったのかね!?」
「はい……? プ、プロポーズ、ですか?」
青年がおろおろと狼狽しだす。その様子に、ポルカフ一家は目を点にした。
「どういうことかね? プロポーズじゃなくて、君のその格好はいったいなんなんだい」
「すみません! お詫びするときに着る服装が、よくわからなくて、手持ちで一番高い服を着てきました」
「お詫びだって?」
「はい。その、この度は、僕の不手際で皆様にご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ありませんでした」
勢い良く頭を下げられて、ぽかーんとするポルカフ一家。
メリアナは、今度は自分の口から何か尋ねようとしたのだが、それよりも早く青年が姿勢を直した。目が合い、メリアナは凍りつく。
真っ直ぐに胸を貫かれるような瞳は、宝石のように綺麗だった。
「メリアナさん、僕のこと覚えていませんか? 小さい頃に、よく追いかけっこして遊んでくれましたよね」
メリアナはすぐに返事ができなかった。幼少期にできた友達の、その親御さんをリサーチして顧客にしてきたメリアナの両親、当然顧客名簿に記帳されている。
しかし、家中の名簿を漁っても、カイゼルとフォーカスという名前は見つからなかったのである。
ここでズバッと「いいえ、覚えていません。名簿にも名前がありませんでした」などと答えては、テーブルの上の封筒に綺麗に戻されている手紙の真相が、永久にわからずじまいかもしれないと、メリアナは悩んだ。
そして、ポンと両手を叩いて、満面の笑顔!
「ああ、はい! そう言えばありましたね、そんなことも。まさかカイゼル様とも遊んでいただなんて〜」
カイゼルが、ホッとしたように見えた。
「じつは僕、陛下から、早いとこ身を固めないかと、催促されていまして。でも僕、女性に対してどうしていいのか、わからなくて……そんなとき、いつも僕を引っ張ってくれていた女の子が、いたなぁって、思い出しまして……」
彼は照れ臭そうに、そばかすのほっぺたを掻いた。
「メリアナさんに、相談したいと陛下にお願いしたんです。そしたら、勘違いをされてしまって……急な婚姻の催促になってしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「そうだったのか。どうりで、おかしな縁談だと思ったよ」
張り詰めていた空気が抜けるような、深い深いため息とともにイスの背もたれに沈む父。
しかしメリアナの母は、片手を頬に当てながら残念そうに青年を眺めていた。
「そう……間違いがあってのことなら、仕方ないわねぇ……」
母が愛娘に顔を向ける。
「メリアナちゃんみたいな元気な女の子には、こういう男の人がちょうどいいと思うんだけど」
「ええ〜? ちょっとやめてよ、お母さん。この人は謝罪しに来てるだけなんだから、困らせちゃうでしょ?」
もう、とメリアナがカイゼルを一瞥すると、彼はますます真っ赤になって、小さくなっていた。
「へ、へい、陛下からは! 常々メリアナさんの気立ての良さを、伺っておりました。ぜひ、再会したいと、僕自身もいつの間にか、この日を楽しみにしてしまって……今こうしてご連絡できて、僕の訪問を温かく迎えてくださり、お会いできたこと、その全てに今、大変感謝しております」
ご連絡なんて、受け取っていないぞとばかりに無言になるメリアナに、父が「手紙に、本日の今時分に訪問させると書いてあった」と耳打ちされて、目が回ってきた。今朝届いたばかりの手紙である。
「今回の不祥事は、全て僕の不手際が原因です。メリアナさん御一家を振り回してしまった、そのお詫びをしたいと考えてはいるんですが、まだ何も思いつかなくて……あ、すみません! ぼ、僕、何言ってるんだろ、今日は謝罪しに来ただけなのに、つい自分の思ったことばかりしゃべってしまって……難しい、ですね、ご挨拶って……」
耳まで真っ赤にしながら、語尾がへなへな消えてゆく。こんなに恥ずかしがり屋で、今までどうやって生きてきたのかと、メリアナはあれこれと想像してしまう。
(きっと、この人を放っておけない親切な人たちが、陰日向に手助けしてくれてるのね。こんなにぺこぺこした人が近所にお引越ししてきたら、私も何かしらのお世話を焼いてあげちゃうかも……)
青年の指には、なんのアクセサリーもはまっていなかった。せっかく綺麗な指なのに。
(背も高いし、顔も良いのに、この軟弱そうな態度が、きっといろんな女性陣をイライラさせてしまうんでしょうね……)
青年は次に用意していた台詞をド忘れしたのか、あわわわ、と言葉にならない怪音を発している。
メリアナの父が、うほん、と咳払いして場を仕切り直した。
「一人で来たのかい?」
「はい」
「失礼だが、君、ご職業は?」
「あ、陛下の秘書官です。いつも家を留守にしがちで、誰かしっかりした人が奥さんになってお留守番してくれたら、大変助かるんですが」
青年が両手をぎゅうっと合わせた。目もぎゅうっと閉じて、くしゃくしゃの顔になる。
「メ、メリアナさん! 人脈が広くて社交的な貴女にしか、お願いできないんです、ぜひ僕に合う女性を、紹介していただけないでしょうか!」
今日来ていきなりそんなことを言われても。
なにもリサーチできてないメリアナは、今この場ですぐの返答は無理である旨を、やんわり伝えねばと熟慮した。そもそも、このカイゼルという青年について何もわからないのだから、合う女性にも見当がつかない。ひとまずこの人とは、時間と距離を置こうと考えたそのとき、父がガサガサと手紙を取り出して広げた。
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