第一章  会食パーティの目的

第1話   蝶の羽耳

 時間に遅れてはならないと、余裕を持って優雅に、でも心の中では走りだしたくてうずうずしながら、廊下の絨毯をかかとが高めの可愛いミュールで歩く。


「何度来ても緊張するわね」


「半年ぶりだもの。久々にお会いする方々のお名前を間違えないか、すっごく心配」


 そわそわする友人たちに、メリアナも同感の意を示す。


 そのとき、鼻先をかすめるベリーの甘い香りが。ジュースをもらい損ねていたメリアナだから、よけいに貪欲に嗅ぎ分ける。


「すみません、子供がぶつかってしまって」


 メリアナたちが少し歩いた先で、ぺこぺこと謝っている男性の後ろ姿が。周辺にはベリーソーダが絨毯の上にいくつも染みを作っていた。周りにはグラスがたくさん転がっている。


(あらら、飲み残しのグラスを回収してた給仕さんに、お子さんがぶつかっちゃったのかしらね……)


「おじさん、ごめんなさぁい」


「な~に大丈夫だよ、すぐに集まるさ」


 かがんでグラスを拾い集める給仕の男性に、男の子がしょんぼり顔で謝っていた。


 もう一人、さっきの男の子と瓜二つの男の子が、清掃員ふうのおじさんの手を引いて案内した。


「おじちゃん、だいじょーぶ? これキレイになる?」


「ああ、任せてくれ。ここはおじちゃん達がやっておくから、あんたらはパーティが始まる前に、トイレで手を洗っておいで」


 男の子二人は、手にジュースがかかったのかベタベタに濡れていた。


(わんぱく盛りの双子ちゃんかぁ。従者も連れずに、お父さん一人でお子さんを見てるのかしら。奥様は? お手洗い? ……な〜んて、想像するだけなら自由よね)


 ちょっとした推理をして遊ぶのがメリアナの趣味。そして趣味を楽しんだ後は、お礼としてお手伝いをするのがメリアナ流であった。


「ごめーんみんな! あの人たち、助けてくるね」


「ええ!? もうパーティが始まるわよ!」


 正気を疑う友人の視線が、メリアナの意思を大きく揺らした。会場に遅刻なんてしたら、田舎者だの無作法だの成り上がりだの成金だのヒソヒソ言われるに決まってる。そんなことで弱るメリアナではないが、友人たちや父の評判にまで傷が付いたらと不安がよぎった。


(しょうがない、あの子たちには気の毒だけど、見捨てるしか……)


 苦渋の決断を下したメリアナの視界の端に、グラスが一つ、飛び込んできた。廊下の端を飾る観葉植物の鉢の、後ろ側に転がっている。


(よくもまああんな狭いところに、すっぽりと。これは一声かけなきゃ気づかれないかも)


 そのときメリアナに天啓が舞い降りた。彼らの救助も、パーティを充実させることも、両方やってしまえば良いのだと。


「私なら間に合うわ。なんとかする」


「そーお? それじゃあ、その、あたしたちは先に行くけど、遅刻しても恨まないでよねー」


「そんなことしないって。それじゃ、会場でね」


 友人たちと別れた後、メリアナは植木鉢の後ろにあるグラスを彼らに指摘した後に、双子に声をかけた。


「今からお手洗いに走っても、きっとパーティには間に合わないわ」


「ええ!? マジで!? じゃあどうすんの!?」


「おねーさん、だぁれ?」


「私はメリアナ・ポルカフ。ポルカフ男爵の娘よ。あなた達の手のベタベタは、会場にあるおしぼりで拭いちゃえば大丈夫よ。このまま会場に向かいましょう」


 メリアナは双子の父親らしき男性を見上げた。濃い茶色や紺色の色合いで正装する男性が多い中、白に近い淡い紫のマントと、同色のジャケット姿。くしゅっとした柔らかそうな髪まで、そのような珍しい色をしていたのだから、メリアナはどうして彼が社交界の噂にならないのかと驚愕した。鮮やかなイエローアンバーの双眸が、嬉しそうにメリアナを映している。


(金色の髪しか見た事なかったけど、そんな髪色もあるのね。しかも、ずいぶんお若いわ。おいくつなのかしら。私と歳が変わらない気がするんだけど、まさかね……)


 男性の年齢を正確に言い当てる自信は、ないのだった。


(この人、こんなにもよく目立つお姿してるのに、私も友達も全く違和感に思わなかった。双子ちゃんがグラスで騒いでなかったら、私も気付かず通り過ぎてたかも……)


 青年の耳の片方には、大きなイヤーカフ……だろうか、蝶の羽のような装飾のアクセサリーが、薄い透明な膜をキラキラと揺らして……まるでゆっくりと呼吸しているかのようなゆらめきを見せている。


 ハッと我に返ったメリアナ。危うくパーティに遅刻するところだった。


「そ、それじゃあ会場に急ぎましょうか。絨毯がふかふかだから、転ばないようにね!」


「うん!」


「はーい」


 ストラップ多めのミュールにして正解だった。長ーいスカートの両端をつまんで、豪快に駆けて行く。子供の頃、手加減なしの追いかけっこに興じていたのを思い出す。


(小さい頃は、あんなに走るのが好きだったのに、わりとすぐに追いかけっこを卒業しちゃったのよね。お店の手伝いのほうが、面白くなっちゃって)


 なんだか後ろが、やたら静かであった。


(え? 足音がしないんだけど、ちゃんとついて来てる?)


 走るのが早かったかしらと、立ち止まって振り向いてみると、双子が小走りで追いかけてくるところだった。保護者の青年は……なぜか髪も服も揺れておらず、すぐ隣りできょとんとメリアナを見下ろしている。


 メリアナは危うく悲鳴を上げそうになり、必死に飲み込んだ。


「よ、よかった、しっかり付いて来てたのね。急に立ち止まってしまって、ごめんなさいね」


 大の男の足音も振動もなかったのは、絨毯のふかふかだけが理由ではないような……メリアナは小首を傾げながらも、先を急いだ。


(まさか空を飛んでた? って、そんなわけないわよね、幽霊じゃないんだから)


 失礼な想像をしてしまった手前、必ずや全員で会場へ収まろうと、決意したのだった。


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