手の温度

 本当に楽しみにしていたのか、ヴィンセントがいつになく声を弾ませる。いつものようにわたくしの手を腕にかけさせようとして、「ああ違うか」と呟いて、手をつながれた。面食らっていると、何事もなかったかのように歩き出す。


 そうね? いつも腕に手をかけているのと同じ原理だし、庶民は腕に手をかけないからこうなんでしょうし、ダンスのときには手をつないでいるし、動揺することなんてひとつもないわね!


 けれど。いつもはつけている手袋を、今日はお互いにつけていない。少しひんやりしたヴィンセントの手の温度に、跳ねてしまった鼓動を元に戻そうと、わたくしは必死に深呼吸をした。




 たくさんの人に、連なるテーブル、そしてその上に並ぶジュエリーや、鉱物や、ジュエリーになる前の宝石。


 中流上位階級の屋敷を開放して行われている宝石市は盛況だった。誰でも出入り自由で、庶民から中流階級までさまざまな人がいるように見える。慣れない熱気に圧倒されながらも、わたくしはヴィンセントに手を引かれて入口から部屋へ足を踏み入れる。


「何の宝石が好き?」


 ざわめきのなかで、ヴィンセントが振り返って声を張る。


「宝石は詳しくないのよ」


「じゃあぐるっと回ってみようか」


 ヴィンセントが器用に人のあいだを縫って先導してくれて、わたくしたちはそれぞれの宝石商のテーブルをのぞいて回る。


 かごいっぱいに入ったアクアマリン原石のつかみ取りや、宝石のはまっていない金銀のネックレスやリングの枠だけや、小さなケースに入れられた宝石のみがびっしり陳列されていたりなど多彩だ。窓からの自然光と、置かれたランプの明かりでどれも美しく主張している。


「疑問なのだけど、宝石とか原石を買ってどう使うのかしら?」


「飾ったりするんじゃないかな。美しいし」


「そのままコレクションとして楽しんだり、原石をご自分で研磨してルース枠にとまっていない宝石にされる方や、好きなルースを買って職人に依頼してジュエリーにされる方などいらっしゃいますよ」


 かたわらのヴィンセントに尋ねたら、商品のテーブルを挟んで向こう側にいる宝石商も答えてくれた。眼鏡をかけた中年の男性で、隣には同じ年頃の女性が立っている。


「そうなのね。ありがとう」


 家にある宝石はもうネックレスやイヤリングになっているので、こういう世界があることを知らなかった。そのジュエリーも、代々家に受け継がれているものとか、新しく選ぶときも自分の好みというよりは家の名に恥じないものをという基準だったから、心躍ることは少なかった。


 そうしてあらためて見てみる。この宝石商のテーブルは研磨した宝石、つまりルースが主のようで、色や形の違うルースがケースに入って整然と並べられている。


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