わたくしと結婚できないなんてお気の毒さま

 歌の息継ぎのような、一拍の。ヴィンセントの瞳の赤に飲まれる。


「どう?」


 わたくしは子山羊の手袋の下で汗をかいているのを感じた。


 本当にまずい人に目をつけられてしまったかもしれない。けれど貴族で複数の顔を持っているなどよく聞く話だし、自分が突拍子もないことをやろうとしているのだから、怪しい話に乗るくらいの度胸が必要なのかもしれない。


 わたくしはヴィンセントを飲みこみ返す気持ちで、本心から微笑んだ。


「分かりました。協力関係を結びましょう。ただし、わたくしの家族を害することだけは絶対にしないでください。破られた場合はダンス室の真ん中で叫びます。『今、ロード・ブラッドローの手がわたくしの胸に触れました! 赤き浮き名の魔王は小さな胸のほうがお好きでいらっしゃるのね!』と」


 ヴィンセントは間近にあった目をまたたかせて、思いきり吹き出した。


「ああ。構わないよ。約束しよう。やっぱり僕の目に狂いはなかったな」


 吹き出したのは演技ではなかったのか、おかしそうに口元を押さえる。近かった顔がようやく離れていって、正味三歩ほどあいた適切な距離に戻った。


「けど困っている人と女性を助けたいというのはふだんから本当に僕の主義なんだ。心の片隅にでもいいからとどめておいてくれると嬉しいな」


「頭の片隅にでしたら善処します」


「つれないね」


 ヴィンセントの表情は、もう今まで見てきた『赤き浮き名の魔王』にふさわしい軽薄な笑いに戻っていた。


 変な人を引っかけてしまったが、わたくしのやることは変わらない。絶対に胸を大きくして社交界に見せつけてからシスターになって引退してやるのだ。わたくしと結婚できないなんてお気の毒さま。悔しがれ! 悔しがれ! と。

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