第25話 9月18日

 あまり気持ちのいい朝ではなかった。


  更姫が亡くなったと言われたところで目が覚めるなんて。それで、犯人は誰なんだよ。俺の夢には一番肝心なところがない。必死に夢を思い出しながら考えた。犯人はあの中にいる。俺たちがあれだけ探したのに、下手人はおろか、人が屋敷内に侵入した形跡も見つからなかったのだ。密命を受け、よほど腕の立つ人物ならあり得ないこともないが、誰にも気づかれず、屋敷内に出入りし、姫様に近づいたとなれば、輿入れに同行している誰かが犯人ではないだろうか。

 仁法師である前田先生。更姫付きの女中だったあずさちゃん。俺とシゲ。みっちゃんならやっぱり可能か。秀丸殿だった正木先輩は亡くなったから違うだろうな。それとも、俺の知っている誰かが他にいるのか。クラスの中の誰かか、校外の人間なら見当もつかない。


「行ってきます」

 今朝も母親の小言を背に受けながら、玄関を開け外に出た。朝の空気が少しずつ冷たくなっている。いつもの待ち合わせ場所、コンビニ前にシゲはいなかった。スマホを取り出して連絡してみるが、応答も反応もない。

 あいつ、昨日も先に行きやがったよな。仕方がないので俺は一人で学校に向かった。


 教室の入るとシゲはもう席についていた。

「シゲ、どうしたんだよ。俺、待ってたんだぞ。先に行くなら連絡しろ」

「ああ、すまない」

 シゲはそれだけ言うと一点を見つめている。視線の先には井原椿の姿があった。井原椿は今日も静かに席についている。そう言えば、あれから困ったことは起きていないのだろうか。


 授業前の移動時間、俺は一人で廊下を歩いていた井原椿に声をかけた。

「井原さん、ちょっといいかな?」

「あら、江口君、どうしたの?」

 井原椿は相変わらず美しい顔を向けて、軽く微笑んだ。

「いや、困ったことはないかなって思って。ほら、俺、以前変なこと言ってそのままになっていたし、えっと、その、あれから誰かに嫌がらせされていないかなって思って」

 しどろもどろになる俺に、井原椿は微笑みを浮かべた。

「それがね。あれから、嫌がらせはなくなったの。江口くんに話した途端よ。本当に守ってくれているみたいで、びっくりしちゃった。それにしても、江口君はどうして色々なことが分かるの?」

「それは……今度ゆっくりと話すよ。全てが終わったらね。今はたぶん、何を言っても信じられないだろうから」

「ええと、話がよく分からないんだけど」

 彼女は首を傾げる。その姿もまた愛おしい。二人の間に沈黙が流れる。正直に全てを話したいが、こんな場所で話す内容じゃない。どうしようかと悩んでいると、

「あ、そうだ。江口君はいいお友達を持っているね。上田君も私を守るって言ってくれたんだ」

「は?」

 聞きなれた名前が彼女の口から出て、間抜けな声を出した。上田君ってシゲだよな。いや、別の人間か?

「上田君って、シゲのこと?」

 念のために確認する。

「ええ。一昨日、私が中庭で体調崩してね。その時に聞いたんだけど、江口君、上田君に正木先輩の事を話したんでしょう。上田君がね、私のことを絶対に守るって約束してくれて、登下校も心配だからって、朝家まで迎えに来てくれて、帰りも送ってくれているの。江口くん、本当にいいお友達を持っているね。二人ともありがとう」

 動揺する俺をよそに井原は微笑んだまま、こちらを見つめている。

「そ、そうか。良かったね」

 それ以上、何も言えなかった。

「どうした」

 低い声が降ってきて振り向けば、張本人のシゲがいた。

「シゲ、お前……」

 キーンコーンカーンコーン

 授業の開始を告げるのチャイムがちょうど鳴りだした。俺はシゲに何も聞けず、教室に入り、席に着いた。

 

 授業は全く頭に入らなかった。シゲの顔を見るのも怖かった。初めて井原椿に会った時、シゲは自己紹介すらまともにできなかった。それなのに俺の知らないところで、井原と話をしたなんてどういう事だ。昨日見たカップルは見間違いじゃなかった。あれはシゲと井原だったのか。俺に黙って登下校まで共にしているなんて。ひとことくらい相談があっても良いじゃないか。シゲは内緒でコソコソと何をしているんだ。

 必死に頭を働かせる。すると、恐ろしい仮説が浮かんできた。


『もしかしたら、シゲが更姫を殺した犯人かも』

 

 よく考えれば、シゲ、いや茂勝じゃないという確証はどこにもないのだ。確かにあいつの事は子供の頃から知っている。でも前世はどうだ。いや、現世だって俺に内緒で井原と会っていた。

 あいつには俺の知らない顔があるのかもしれない。俺にみっちゃんを疑わせて、何か企んでいるとしたら。だいたい、井原の下校中、見守りをしていることは本人には黙っておこうってあいつが言い出したんじゃないか。怪しい。絶対に何かを隠している。

 帰り道、ずっと手を見つめていたシゲの姿を思い出した。確か俺もあずさちゃんを殺しかけた時……同じ事をした。あいつも自分の手を見つめて……更姫の首を絞めた事を思い出していたんじゃないだろうか。姫を殺した事実を覚醒したのは最近で、言い出せないだけなのか。


 もう、何を信じればいいかわからなくなっていた。

 みっちゃんじゃなくて、茂勝が更姫と恋仲だったら。俺の目を盗んで、姫と駆け落ちをしようとして断られ、彼女を殺したとしたら。誰を疑って、誰を信じれば良いのか。

 俺の思考回路は崩壊寸前になっていた。


 放課後、意を決した俺はまた先に帰ろうとしているシゲを呼び止めた。

「シゲ、ちょっと話があるんだけど」

 外を指さすと、シゲは黙って頷き、俺に続いた。シゲを人目につかない中庭に連れだして対峙する。

「話ってなんだ。俺は用があるのだが」

 シゲは時間を気にしているようだった。そわそわと落ち着かない。

「用って井原の事だろ。一緒に帰っているんだろ。お前さ、抜け駆けして楽しいか?」

「抜け駆けはお前だって同じだ」

 シゲの口調は冷たい。俺が同じ? 思い当たることがない俺は聞き返した。

「何が同じなんだ」

「俺に隠れて姫に近づいていた」

「俺がいつそんなことした」

「昔だ」

「はぁ?」

 どうやら『前世』の事を言っているようだった。確かに夢の中で何度もシゲに注意されていたな。『お前はいつも俺を出し抜く』って。

「あのなぁ、そんな昔の事……って昔すぎるだろ。いまさらそんなことを責められてもな」

「お前に俺を咎める資格はない。だいたい、きみを守ると彼女に言ったらしいじゃないか。俺はそんなこと聞いていないぞ。それに、最近のお前は疲れている。前にも保健室で寝ていたじゃないか。そんな身体では、彼女に何かあった時に守れない。役に立たない奴はいらない。足手まといになるだけだ」

 シゲはいつもより強気だ。何なんだ。俺を姫に近づけないようにしているのか。もしかして、それってやっぱり……。

「まさか、お前じゃないよな」

 俺は率直な気持ちをシゲにぶつけた。

「何がだ」

 シゲの表情が曇った。

「とぼけるなよ。更姫を殺した犯人だよ」

「お前は俺を疑っているのか」

 シゲはそれだけ言うと黙りこみ、俺に背を向けて歩き出した。


 何なんだ。怪しさ満点だろ。違うなら否定しろよ。俺はその言葉が聞きたかったのに。その場に取り残された俺はどんどんと小さくなっていくシゲの背中を見つめていた。

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