第24話 9月17日
目覚める前、更姫は誰かと話していた。困った口調で何かを訴えていた。あれがみっちゃんだったら。二人で逃げようと迫られた更姫が泣きながら断っていたとしたら。
いつもふざけているみっちゃんが鬼のような形相で、井原の首を絞める姿を想像する。背中がすっと寒くなった。
俺は意を決して放課後、一人で廊下を歩いているみっちゃんを呼び止めた。
「みっちゃん、話がある。ちょっと、こっちに来てくれ」
「ああ江口、どうしたんだ? え? おい、どこに連れて行く気だよ」
俺はみっちゃんを引きずって、人目につかない資料室に押し込んだ。動揺しているみっちゃんを壁際に押しやったあと、周囲を伺いドアを閉じた。
「おいおい、ちょっと待てよ。何だよ」
みっちゃんは、焦りと不安の入り混じった表情を浮かべ、向き合った俺と目を合わせないようにしている。やはり、やましい所があるという事か。
「みっちゃんに話がある。俺の話をよく聞いて、正直に答えてくれ」
「え、ええと。待て江口」
「みっちゃんが何と答えても、俺は受け入れる覚悟はできているから。これからの事は二人で決めよう」
「あ、あの、あのさぁ……。お、お前の気持は嬉しいよ。で、でもな。俺にその気はないから。悪いけど、その……」
みっちゃんはおどおどとした様子で、もごもごと口を動かしていた。
「気持ちってなんだよ。何の話をしているんだ」
みっちゃんは何を言っているんだ。理解できない。
「こんな人気のない所に連れてきて、告られるとしか思わないだろ。違うのか。お前の嗜好については、とやかく言わない。ただ、俺は女しか好きにならないんだ。悪い」
ああ、なるほどね。
「それはない」
断言すると、みっちゃんは安堵の表情を浮かべた。
「全く、お前が思いつめた顔でこんな所に連れて来るから焦ったじゃないかよ。それで、何だよ」
「みっちゃんって彼女いるのか。あとさ、寝ているときに夢とか見る?」
「あのなぁ、彼女がいたら苦労しねぇよ。でも夢は見るぞ。だいたいが部活の夢だな。ここぞというときに失敗するんだよ。夢の中でもなんて、ありえねぇだろ。それで、なんでそんなこと聞くんだ? 分かった。お前のクラスの女子の誰かが、俺のことが好きとか。俺が夢に出て来るとか? それで俺に色々聞きたい……」
先ほどまでの表情とは打って変わって、みっちゃんの顔はにやけている。単純だなぁと思ったがそこは敢えて言わなかった。
「それもない」
また断言すると、みっちゃんはがっかりしたように肩を落とした。
「あのさぁ、みっちゃんは井原椿ってどう思う?」
俺の質問にみっちゃんは一瞬考え込んだ。
「井原? ああ、美人だよな。へぇ、お前、井原狙い? それで俺にどうしろと?」
嬉しそうにみっちゃんは俺を小突いた。
「いや、そうじゃなくて。まぁ……」
口をもごもごしてると、みっちゃんはふぅんと呟いて、にやにやと笑った。
「俺は井原より断然、あずさちゃんだな。年上の色気ってやつ? 良いよなぁ。でもなぁ、最近前田先生と怪しいんだよ。あれはきっと、前田があずさちゃんに言い寄っているんだぜ。許せないよなぁ。教師のくせにさ」
ぶつぶつと言いながら口を尖らすみっちゃんは、やっぱりいつものみっちゃんだった。前田先生のこと、最後の方は呼び捨てになっているし。更姫と何でもないのか。それともシゲの言うように、俺たちを油断させるための演技なのか。
「それよりさ。江口、部活は? お前も上田も相変わらずどうしたんだよ。お前たちが、全然顔を出さないから、みんな文句言っているぞ。先輩たちは引退したんだ。これからは俺達2年生が部員を引っ張って行かなきゃいけないだろ」
「ちょっと色々あるんだよ。そういえばシゲを見なかったか?」
帰り支度を終えた時には、シゲは教室にいなかった。
「上田ならさっき下駄箱の近くで見かけたぞ。あいつも、またサボるみたいだな」
いつの間に帰ったんだ。気が付かなかった。一緒に井原の下校を見守ろう約束したはずなのに。図書委員の井原も、さっき図書室を覗いたらすでに帰っていた。
俺はまた適当な理由で部活を休み、みっちゃんと別れて正門を出て帰路についた。
一日中眠いから、今日も帰ったら早々に眠ろう。今夜はどんな夢が出てくるだろうか。そろそろ体力的にもきつい。怪しい奴は何人もいるし、もう今夜あたり犯人が出てきてくれないかな。そしたらそいつに張り付いておくのに。
欠伸をしながらそんなことを考えて歩いていると、俺の150メートルほど前に見慣れた高校の制服を着たカップルが歩いていた。長身の男と黒髪の女だ。なんだ、俺と同じ制服着てこの違いは何だよ。俺なんか数百年前に起きた殺人事件の犯人を捜しているんだぞ。関係者は全員死んだはずなのに、また生きているって訳の分からない状態に巻き込まれているんだぞ。夜も寝ないで犯人を捜しているんだぞ……って、いや、一応寝てるのか。
思わず目の前にあった空き缶を蹴った。勢いよく蹴りだしたはずなのに、空き缶はつま先を掠めただけでコロコロと転がった。みっちゃんにも責められたけれど、最近、部活行ってないな。まぁ真面目に行ったとしても俺の実力はこんなものか。才能のあるやつはいいよな。サッカーで食べていける奴って細胞の一つから俺とは違うんだ。イライラしながら何気なく前を見る。
前方のカップル、男の方は女を守るように歩いている。彼女がいる奴はいいよな。こいつら付き合い始めた頃か? 俺から見ると親指先程度の大きさの二人の顔は見えない。二人は寄り添いながら角を曲がった。その瞬間、二人の顔がなんとなく見えた。ん? シゲと井原椿? 俺は目の前の光景を疑った。慌てて駆け出し二人の後を追ったが、角を曲がった先には誰もいなかった。
まさかな。俺はきっと疲れているんだ。俺は自分にそう言い聞かせて家に帰った。
夜、いつもの光景。そう、ここは俺の夢。
「誰かっ、更姫様が……」
女の叫び声が聞こえる。
しばらくすると、兼成があずさちゃんにそっくりな女中に何かを尋ねている。
「この騒ぎは何事ですか。いかがされた」
「更姫様が井戸の前で倒れられていまして……」
「なんと。それで姫様は」
「今、医学の心得のある仁法師が介抱しておりますが、どうやら何者かに首を絞められたらしいと……」
「なんという事だ」
「あってはならぬことだぞ」
「下手人が付近にいるはずだ。お前たち捜せっ」
「はっ」
英丸殿――正木先輩が俺たちに指示を出している。屋敷の裏、草むらの中、それぞれが手に刀を持ち、怪しい人物がいないか捜しているようだった。
しばらくすると英丸殿が皆に声をかけている。
「怪しい奴はいないか」
誰もが首を横に振って俯いている。
「それが……」
「鼠一匹おりませぬ」
「だいたい、何故に姫様をお一人にしたのだ」
「誰か、姫様のお傍にいなかったのか」
「お前が部屋の外にいたのではなかったのか」
「いや、俺は屋敷の外にいた。お前が見張っていると言ったではないか」
「屋敷の外は誰もいなかったのか」
「居眠りをしていたのではあるまいな」
「それよりも姫様の容態はどうなんだ」
俺たちが責任のなすりあいをしていると仁法師が現れた。
「更姫様がお隠れになられた」
その言葉に一同は静まり返った。月明かりだけがやけに綺麗だった。兼成は黙って空を見上げていた。空に浮かぶ満月はただ静かに俺たちを見下ろしていた。寡黙な月は、ただそこにいて、俺たちに何かを伝えようとしているように思えた。
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