第23話 9月16日(3)

一方、こちらは江口謙。


 気がつけば、教室の机で突っ伏していた。どうやら休み時間の間、うたたねをしていたようだ。始業のチャイムと同時に頭上から低い声が降ってきた。

「お前、具合が悪いなら保健室に行けと言っただろう」

 顔を上げると、シゲが仏頂面で見降ろしている。

「ああ、そうだな。5限は休むわ」

 ぼーっとしている頭を少しでもすっきりさせようと立ち上がり、廊下にある水道に向かう。蛇口を捻り水を一杯に出して顔を洗った。くしゃくしゃになっているハンカチをポケットから出して、適当に顔を拭いた。それでも昨夜夢で見た光景は俺の頭から離れなかった。


 夢を思い出した俺は両手を広げてじっと見つめた。女の細い首を絞めた感触が生々しく残っていた。そして本日、何度目かの溜息をついた時だった。

「元気ないわね」

「え?」

 振り向くとあずさちゃんがニコニコして立っている。

「もう授業は始まっているのよ。こんな所で何をしているの」

「ちょっと風邪気味で保健室に行こうかと……」

「そう、お大事に」

 あずさちゃんはもう怪しくないんだよな。俺は何といえばいいか分からず、曖昧な笑みを浮かべて、ぼんやりとそんなことを考えた時だった。

「それにしても、江口君、いいえ兼成殿」

「へっ?」

 突然、別の名前で呼ばれ俺は変な声を出した。一方のあずさちゃんは動揺する俺を涼しい顔で見つめ、ふっと距離を縮めた。先生は用心深く周囲を見回して、誰もいないことを確認しているようだ。

 次の瞬間、結城先生は俺の耳元に口を近づけ、小声で囁いた。

「私をあんなに責めても、知らないものは知らないのよ。首に手をかけて脅すなんて、今回はやめた方がいいわよ」

 首に手をかけて脅す? 責めた? あれは……あずさちゃんだったのか。俺の中の記憶が蘇る。

 更姫が殺されたことで、前世の俺は疑心暗鬼になっていた。俺が手に掛けたのは姫付きの女中。姫を殺した犯人を躍起になって探しているうちに、女中……あずさちゃんを問い詰めて首を絞めたのか。ん? と、言う事は……俺は恐る恐る尋ねた。

「俺は前世で……あずさ……いや結城先生を殺したんですか?」

「いいえ、仁法師が止めたから。でも、もう少しで殺される所だったわ。今回は暴走しない事ね」

 よかった。殺していなかったのか。ほっとして涙が出そうだ。だが、俺じゃないとなると、誰なんだ? 気を取り直して俺は聞いた。

「先生はどこまで知っているんだ」

 あずさちゃんは黙り込んだ。

「更姫を殺した犯人を知っているんだろう」

「いいえ、それはわからないわ」

「だいたい仁法師って前田先生だろ。二人はどういう関係なんだ。何か企んでいるんじゃないのか」

「自分で考えて。見たものだけを信じちゃだめよ」

 前田先生と同じ事を言って、あずさちゃんは俺に背を向けた。


 更姫を殺したのが俺じゃないことが分かり一安心したが、何一つ解決していなことには変わりなかった。

 一体、誰が更姫を殺したのか。誰と誰がこの世に生まれ変わり、更姫……いや、井原椿を殺そうとしているのか。正直、もう俺の手には負えないと感じていた。

「なぁ、井原椿に本当のことを話さないか」

 学校からの帰り道、また部活をさぼった俺は、これまた部活をさぼったシゲに言った。井原の下校を見守る活動は既に終了している。

「本当の事?」

 怪訝な顔でシゲが俺を見る。

「きみは前世に誰かに殺された。そしてまた命を狙われているって」

「それは反対だ」

 シゲは殊更はっきりと言った。そして続けた。

「彼女がもしも前世を覚醒していたら、俺たちの事も思い出すはずだ。何も言ってこないというのは、彼女はまだ何も知らないということだ。覚醒していない彼女を巻き込むのは賛成できない。そうじゃなくても、正木先輩や仲の良かった斎藤があんなことになったんだ。彼女はそれを自分のせいだと思っている。これ以上、彼女の負担を増やすべきじゃない」

 いやいや、お前はそう言うけれど、俺たちだけではどうしようもないだろ。しかし、こいつ今日はやけに饒舌だな。俺はシゲの意見に真っ向から反論した。

「でもなシゲ、闇雲に怪しい人物を疑ったところで何も解決していないじゃないか。井原に真実を話して、彼女自身に危機感を持たせる。そうしたら思い出すかもしれないだろ。自分を殺した人物を。俺たちは実際、殺す場面を見ていないんだ。井原が思い出した犯人を、俺たちが問い詰めたほうが早いだろ」

「それは彼女にとってかなりの負担だ。思い出していないのだから、そっとしておくべきだろう」

 シゲは自分の手をじっと見つめている。さっきから何度もシゲは自分の手を見つめていた。手に何が書いてあるんだ? ひょいと覗き込んだが、それはいつものゴツゴツしたシゲの手だった。手を見つめたままシゲは言った。

「自分が殺されるシーンなんか誰が見たいんだ。井原の気持ちを考えれば話すべきではない」

 確かにシゲの意見も一理ある。俺だって、あずさちゃんを殺しそうになった夢を見た時は焦った。自分が殺される夢なんて、気持ちの良いものではないだろうな。それにしても今日のシゲは饒舌だ。

「怪しいのは前田先生、そしてあずさちゃん」

 俺は怪しい人物の名前を出した。一番怪しいのは前田先生だが、あずさちゃんも何か知っているようだから、共犯の可能性は否定できない。

「国島だってわからないぞ」

「国島って、みっちゃんが?」

 シゲの口から意外な名前が出て驚いた。俺はいつもふざけているみっちゃんの姿を思い出した。あのひょろひょろのみっちゃんが犯人?

「おいおい。シゲ、それはないだろう。だって……」

「俺はずっと前からあいつが怪しいと思っていた」

 俺の言葉を最後まで聞かず、太い声ではっきりとシゲは言い切った。確か、正木先輩が殺されたと話していた時、シゲはずっと黙っていたな。こいつはずっとみっちゃんを疑っていたのか。

「あのな、みっちゃんは腹を壊して出発早々帰ったじゃないか」

「腹を壊したふりをしていたという事もあり得るだろう。戻るふりをして俺たちの後をつけ、頃合いを見て更姫を殺す。本当のあいつは前世に気が付いている。俺達に悟られないようにふるまっているだけかもしれない。この前、正木先輩のことを口にしたのも怪しい」

 いつもより饒舌にシゲは言い切る。

「何のためにそんなことするんだよ」

「それは分からん。だが、可能性はあるだろう」

 俺は自分の夢を思い出した。出立する俺たちを申し訳なさそうな表情で見送っていたみっちゃん。みっちゃんが更姫を殺すなんてあり得るのだろうか。

「前世で国島と更姫が恋人同士だったら。この世で、今度こそ更姫を手に入れようと考えていたら。それが失敗に終わったら何をするか分からんぞ」

「はぁ?」

 唐突に飛び出したシゲの妄想を聞いて、俺は間抜けな声を出した。しかし、こいつの話も否定はできない。


 もしも、みっちゃんと更姫が恋人同士だったら。身分違いで周囲に反対されるからと誰にも秘密にしていたら。他の男へ嫁ぐくらいならと、みっちゃんは腹を壊したふりをしてそっと後をつけ、頃合いを見て姫を殺すこともできる。

 いや、あとで落ち合って二人で逃げようと相談していたかもしれない。しかし直前になって更姫の気持ちが変わったとしたら。

 俺の頭の中では井原椿とみっちゃんがいちゃいちゃしていた。二人が恋人同士? そして二人は……。


「まぁ、どれも想像の域は出ない」

 あれやこれやと想像していた俺はシゲの声ではっと我に返った。頭の中に浮かんでいた井原椿とみっちゃんがいちゃついている姿は、頭を左右に振るとかき消された。

「それにしても、今日のお前、あれはなんだ。体調管理はきちんとしろ」

 咎めるような口調で俺を睨む。

「いや、体調が悪いというか、色々と思うところがあってさ。もう解決したから大丈夫だよ」

「夢ばかり見て、疲れているのは分かる。しかし、実際に正木先輩は亡くなり、彼女と斎藤は襲われたんだ。もうちょっと危機感を持て」

「わかってるよ。なんだよ、偉そうに」

 俺はお前の部下じゃねぇよ。と思ったが、口には出さなかった。

 

 また今夜も夢がやって来た。今回も夜、輿入れの道中か。

「更姫様、どちらに行かれていたんですか」

 兼成は姫に声をかけた。

「同行している方に嫁ぎ先の様子を伺っていたのです。皆さん働き者で、お城勤めの方たちも良い人ばかりだと聞きました。今から楽しみです」

 ぎこちない笑顔で更姫が答える。彼女の頬は濡れていた、泣いていたのだろうか。

「そうでしたか。それにしてはお顔の色がすぐれないような」

 姫の表情を読み取った兼成が心配そうに尋ねた。

「少し風に当たりすぎたのですね。部屋に戻ります」

 俯き加減で更姫が去った後、兼成の背後からザッザッ草を踏み分ける足音が聞こえた。

「本心は国が懐かしいのだろうな。もう戻れないのを分かっているから、ああやって気丈にふるまわれているが」

「茂勝、お前いつから……」

「おまえは何時もそうやって俺を出し抜く。姫様がお部屋にいらっしゃらないと女中が騒いでいたから、俺も捜していたんだ。そしたらお前たちを見つけた。姫様、泣いておられたようじゃないか。お前は何を言ったんだ」

「何も……俺は声をかけただけだ」

「ふん、まぁいい。手の空いた者で酒を飲もうと言う事になった。お前も来い」

「分かった」

 兼成は空を見上げた。漆黒の夜空に浮かぶ満ちる上弦の月は傍らの雲をまとい、うっすらと霞んでいる。

「まるで俺の心のようだ」

 兼成は呟いて屋敷の中に入って行った。


 少し間があり、別の場面。

「私には……やはり……できません」

 更姫の声が聞こえる。彼女は誰かと話しているようだ。

「ですが……どうか……」

 相手は何かを頼んでいた。姿も見えない。名前は……やっぱり見えない。どうして、こういう肝心な所で出ないんだよ。

「私は……」

 更姫は誰と話しているのだろう。相手は男のような声がした。でもよく聞き取れない。誰の声かも分からない。更姫の声は悲しそうだ。せめて相手の顔が見えれば……。


『お前が見た物が全てではない』

 また声が聞こえた。そこで俺は目を覚めた。変な夢だった。なんだよ、良い所だったのに。更姫と話していた相手。あいつが犯人だ。確証はどこにもないが俺はそう思った。せめて名前が分かれば良かったのに。

 目覚める前に聞いた言葉、先生達が言っていた言葉だ。誰の声だ? 俺自身から聞こえたような気もする。

『見た物が全てではない』

 漠然とした言葉の真意が俺には全く分からなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る