第22話 9月16日(2)

昼休み。

 上田滋は井原椿を見つめていた。今朝から相棒……江口謙は元気がない。理由を聞いたが彼は何も答えなかった。今も机に突っ伏している。いつもなら江口の役目だが全く動きそうもないので、先ほど昨日の事件について斎藤千鶴に聞いてみた。彼女の記憶は戻ってはいなかった。誰に襲われたのか、何があったのか肝心な部分だけが抜けているらしい。『椿ちゃんが男に……』と呟いたことも覚えてはいなかった。俺の聞き間違えだろうと笑われた。『前田先生は私と椿ちゃんがふざけていて、転んだんじゃないかなって言ってた。私もそうだった気がする。誰が悪いわけでもないし。いい? 絶対に椿ちゃんを責めないでよ』と釘を刺された。

 そんな中、斎藤と談笑していた井原椿が席を立って、一人で教室から出て行く姿が見えた。

 江口を見たが、未だ机に突っ伏して動く気配もない。寝不足なのか、体調が悪いのか。いずれにせよ、彼女が一人で行動するのは危険だ。そう思った上田滋は仕方なく席を立ち、一人で井原椿の後を追った。

 

 井原は中庭に向かっていた。昼休みだというのに中庭には生徒の姿は見当たらない。井原は一人、中庭にある花壇の前に中腰で座っている。花を眺めているのだろうか。柔らかい秋の日差しが、彼女に降り注いでいる。

 季節の変わり目の所為なのか、花壇の中で咲いている花はまばらだった。植え替えの途中なのか、枯れてしまったのか花たちには元気がない。井原椿は微笑みながらポケットから何かを取り出している。

 暫くその場に居た彼女は、立ち上がろうとしたがその瞬間、よろめいて倒れそうになった。上田滋は咄嗟に駆け寄って手を伸ばし、その身体を抱き止めた。

「大丈夫か」

 井原は自分を抱き止めた声の主を確認して微笑んだ。

「あ、上田君……。ありがとう。もしかして見ていた?」

「少し前からな。ここで花を眺めていたのか」

「ええ、花壇に園芸部の人たちが育てた花があるって聞いたんだけど、みんなこの通り、元気がなくて。どうしたんだろうね。家から植物の栄養剤を持ってきたからあげようかなと思って」

 井原椿は支えられた体制のまま、ポケットから空になったプラスチック製のアンプル剤を取り出して彼に見せた。透明のアンプル剤には『植物の活力剤』とラベルが貼られている。

「そうか、花が咲くといいな。それにしても大丈夫か。具合が悪いなら保健室まで送るが」

「大丈夫よ。ちょっと眩暈がしただけ。色々な事があったから……疲れているのかな」

 彼女は支えられたままの態勢で、ゆっくりと花壇の端に腰かけた。上田滋も、彼女に手を添えたまま隣に座る。

「本当に大丈夫か。昨日、何があったのか覚えていないのか」

 心配そうに彼女顔を覗き込む。

「それが、思い出そうとしても分からないの。気がついたらあんなことに……何があったのか全く覚えてない。本当に何を見たのかも覚えていないの。前田先生は私達がふざけていて転んだんだろうって言うし。もう何が何だか……。私って疫病神なのかな。私の周りで次々にみんなが傷ついて。上田君も私になんかに関わらないほうがいいよ」

 井原椿は弱弱しく微笑んだ。

「きみは疫病神なんかじゃない」

「え?」

「実は江口から全て聞いていた。正木先輩のとのことも知っている。心配するな。俺が守るから。井原は何も心配しなくていい」

 上田滋の言葉に、井原椿は目を丸くした。

「江口君、内緒にするって言っていたのに、上田君には話したんだ。二人は本当に仲がいいんだね。上田君は正木先輩が亡くなったことや、斎藤さんのことも全て私のせいだと思うでしょう」

「そんなこと思ってはいない。それよりも井原さんが無事で良かった。昨日はもっと早くに助けられたはずだった。きみに何かあれば俺は……」

 ぼそぼそと滋は呟く。

「え? よく聞き取れなかったんだけど。何て言ったの?」

 きょとんとした顔で井原椿は滋を見つめる。真っ直ぐな瞳に見つめられた滋は思わず目を逸らした。

「いや、何でもない」

「上田君って無口だけど優しいのね。ありがとう。昨日に続いて二度も助けられちゃったね」

 井原椿はにっこり笑って、自分を支えている滋の手を包み込むように握って、ゆっくりと立ち上がった。上田滋は顔を赤らめて立ち上がり手を離した。

「心配するな。俺が絶対に守ってみせる。教室に帰ろうか」

「ええ」

 二人は歩きながら談笑を始めた。

 その様子を担任の前田仁がそっと物陰から伺っている。二人は、その事に全く気がつかないようだった。

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