第14話 9月12日(1)
クラス内でまたちょっとした事件が起きた。教室に貼られた掲示物が、何者かの手によって破られていたのだ。
朝、俺たちが登校すると教室の後方に貼りだされていた校内テストの順位や、校内球技大会の賞状、各委員からのお知らせ……そういった類の物がびりびりに破かれていた。犯人はどうやら夜間、校内に忍び込んだらしい。
担任の前田先生も最近続けて起こる事件に頭を悩ませているようだったが、犯人は分からずじまいだった。
嫌な予感がした。もしかしたらこの嫌がらせも、井原に対するメッセージかもしれない。
「神社にでもいくか。こうなったら神頼みだ」
俺は下校途中、唐突に切り出した。
「神社?」
シゲが怪訝な顔で俺を見る。
「ああ、近所にある神社だよ」
「だが、それは……」
シゲが言いよどむ。
「神社仏閣とかそういった類の古いものに触れれば、俺の中にある何かが覚醒するかもしれない」
「都合の悪い時だけ祈りに来る奴なんか、神様は助けようと思わないんじゃないか」
「なんとなく昔の雰囲気を味わえば、何か思いつくかもしれないだろ。苦しい時の神頼みって言うだろう」
「そういうものではないと思うが」
シゲはやれやれといった風に首を振った。
登下校途中の道路脇に神社がある。子供の頃に秋祭りがあり、子供神輿を担いで宮入りをした場所だ。小学生の頃はシゲとよく遊んだ場所でもあるが、あの日を境に、もう何年も行っていなかった。
俺たちは神社に向かった。ここに来るのは6年ぶりか。
道路に面して、朱色の鳥居があり、その先に古い石段がある。朱色の鳥居と言っても鮮やかな色ではない。長年、雨風に晒され、それでも健気にそこにいた証のような、歴史を感じさせる色だ。鳥居をくぐり、石段を上る。確か真ん中を歩いちゃいけないんだよな。
石段を登りきったところに、苔の生えた狛犬が左右に鎮座していた。大きな目で前を見据えた石の顔は『ここから先はご神域だ』と告げているようだった。拝殿に向かって、色あせた玉砂利が敷かれている。周囲に手水舎は見当たらない。社務所のようなものもなく、巫女も神主もいない。確か、宮司は他の神社と掛け持ちしていると聞いたことがある。あちこちに落ち葉があり、雑草も生えていた。
神社には先客がいた。スーツ姿の男が、さい銭箱の前で手を合わせて拝んでいる。
「こんな寂れた神社でもお参りに来る人はいるんだな」
「そうだな」
邪魔にならないよう、お参りが終わるのを背後から見守った。男はしばらく手を合わせていた。長いお祈りだな、そんなにお願いすることがあるのか。見た感じ、身なりはきちんとしている。リストラにでもあったのかな。家族に言い出せないとか。そんなことを考えていたら、男がこちらの方を振り向いた。白髪交じりの黒髪、細身で眼鏡をかけた……。
「あれ、校長先生」
その男は、俺たちが通う高校の校長だった。
「校長先生、ここでなにをしているんですか」
「きみたちは2年生か。ここで何をしているんだ。部活はないのか」
校長先生はどうやら俺たちがつけている名札で学年が分かったようだ。怪訝な顔で俺達を見比べる。
「俺たちこの近所に住んでいて、子供の頃からよくここに来るんですよ。それより、先生は何をされていたんですか」
「ああ、いや。校内であんなことがあったからね。生徒が亡くなるのは辛いよ」
「俺達、正木先輩と同じサッカー部だったんです。先輩はとても良い人でした。まさか屋上から落ちるなんて。本当に事故だったんでしょうか」
校長先生は小さく溜息をついて「実はね」と切り出した。
「正木君の死は自殺だったんだ。彼には悩みがあったようだから。きみたちは何か知らないかな。正木君が何か悩んでいたとか、友達とトラブルがあったとか」
「えっ?」
自殺? そんなはずはない。数日前、会話を交わしたばかりだ。先輩はいつもと何も変わらなかった。自殺するほどの悩みがあるようには見えなかった。校長先生は事故かもしれないと言っていたじゃないか。
「正木先輩はみんなに好かれていました。誰かをいじめたり、いじめられたりとか、そんな事には無関係の人です。数日前に話した時もいつもの明るい先輩でした。本当に自殺だったんですか。あの明るい正木先輩は自殺するはずはないですよ。だいたい、先生は集会で事故だって言っていたじゃないですか。何か、みんなには言えないことがあったんですか」
慎重に言葉を選んだつもりだったが、語気が強くなった。校長先生は伺うような視線で俺を見る。
「きみたちは本当に正木君を慕っていたようだね。ここだけの話だと思って聞いて欲しい。
一呼吸おいて、校長は続けた。
「彼のご両親が話してくれたんだ。あの日彼は両親には内緒で、夜中にこっそりと家を抜け出したんだ。正木君は二学期が始まった頃から様子がおかしかったようだ。もしかしたら、悩みがあったのかもしれない。体調を崩していたのかもしれない。病院に連れて行けば、ちゃんと話を聞いておけばよかったと両親は言っておられた。彼は眠るのが怖い、嫌な夢を見るともこぼしていたようだから」
「夢? どんな夢をみていたかは聞いていないですか」
俺の問いに、校長先生は静かに首を横に振った。
「ご両親も夢の内容までは知らないと仰っていたな。ただ、朝『おかしな嫌な夢を見た』と何度か零していたらしい。家ではいつも疲れた顔をして、思いつめていた節もあったと。学校で何かあったんじゃないか、調査して欲しいと言われたんだよ。学校としてもご両親から依頼された手前、友人関係や進路のことなどこれから調査するつもりだ。もしも、きみたちが何か思い出したら教えて欲しい。それより、きみたちは部活には行かないのか。もう始まっている時間だろう」
「正木先輩の御霊が安らかに眠れるようお祈りしてから、部活に向かおうと思って。先輩が亡くなってから毎日そうしているんです」
曖昧に微笑むと、先生は深く頷いた。
「そうか。それは正木君も喜ぶと思うよ」
ポンと俺たちの肩に手を置いて、校長先生は立ち去った。
「おかしな夢、か」シゲが呟く。
「先輩はきっと前世を覚醒していたんだよな。そんなそぶりはちっとも見せなかったのに。夢も見ないって言ったんだぞ。ただ、今の井原が好きなんだと思っていた」
「彼女に好意があったからこそ、助けようと思ったんだろう」
一呼吸開けてシゲは続ける。
「もしくはお前を巻き込みたくなかったか」
「そんなこと……」
空を見上げれば、木々の間から青空がのぞく。さあと風が吹いて木々を揺らした。木も空もあの頃と何も変わってはいない。そう思うとなんとなく胸が苦しくなった。
俺たちはしばらく無言だった。
「小さい頃、ここによく来たな」
静まり返った空気を壊すように、シゲが零した。
「ああ、秋祭りの神楽。あれは無駄に練習させられたよな」
自嘲気味に笑った。
小学校低学年の頃はよくシゲと自転車でここに来て、秘密基地を作った。小学5年生までは毎年、秋祭りが近づく頃になると、祭りに披露する神楽の練習をここでやっていた。いや、やらされていたと言うべきか。
あの頃から俺たちはずいぶんと変わった気がするが、この景色は少しも変わっていなかった。
「もう、ここに来ても大丈夫なのか」穏やかな口調でシゲが尋ねた。
「ああ、もう6年も経つからな。それに、神社の神様が悪いわけじゃない」
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