苦いコーヒーと藤岡美咲

 授業のレポートを書くために、一人でカフェに立ち寄って、コーヒーを頼んだ。あたしはブラックコーヒーに角砂糖をいれるのが好き。でもコーヒーの上に写る自分の顔に、あの水族館の一日を思い出してしまった。コーヒーが苦くなった気がして、あたしはいつもより多く砂糖を入れた。


 美咲と距離を置いてから、日々は静かに流れていった。夜は寂しく、スマートフォンの画面を見つめることが多くなった。美咲にメッセージを送ろうとして、でも同時に怖くて。どんな言葉が返ってくるのか、分からないから。あたしは身勝手だった。そのことがよくわかっているから、苦しい。


 毎日が淡々と過ぎていく中で、何をしていても美咲のことが脳裏にチラ付いていた。美咲の声、困ったように眉が下がる笑顔、そしてその優しさ。彼女が私をどれだけ思ってくれていたか、今になって初めて理解できる。


 そんななか、あたしの憧れのふわりさんが軽く炎上した。自分のチャンネルにコメントした人にやんわり注意しようとしたら、界隈全体の話という風に広げられてしまい、心ない言葉も受けているようで、みていて心が痛かった。リプライをしてから、思い切ってダイレクトメールを送ってみた。余計なお世話かなと思ったけれど、ふわりさんはとても喜んでくれて、活動歴もうすぐ四年にして初めての活動者友達ができた。


 美咲と距離を置く原因にもなった、あたし自身の活動はといえば、まあぼちぼちといったところ。変なコメントはあれからついてないし、荒れず伸びず活動を続けている。美咲といさかいになってしまったことですっかりモチベーションは落ちていたけれど。


 そんなある夜、スマホが振動した。画面に美咲からのメッセージが表示される。目の前が一瞬、まばらな光で照らされたように感じたのは、スマホが眩しかったからだけじゃない。メッセージを開く手が、自分でもおかしくなるくらい震えていた。


「元気?」


 たったそれだけの一言が、私の心を揺さぶった。美咲が私に声をかけてくれたこと、そして何よりも美咲から声をかけてくれたこと

で、私の中で何かが動き出した。


 私は画面に向かって、しばらく何も返さなかった。いや、返せなかった。言葉が見つからなかった。でも、美咲のことを思い浮かべながら、何度も何度もメッセージを打ち消しては消してを繰り返した。


「美咲、ごめんね」


 送信ボタンを押す瞬間、何かが胸の中でほどけていくような感覚がした。これからのこと、それから彼女との未来について考えると、少しずつ心が軽くなっていくようだった。


 しばらくして、美咲からの返信が届いた。


「私もごめん。まゆりの気持ちを尊重しなかったし、言い方が悪かったよ。でも、距離を置いてみて、私も色々考えたんだ。会って話がしたい」


 その言葉を読んで、私の頬から涙がこぼれ落ちた。私たちの気持ちが重なっていることに気付いた瞬間だった。


「美咲、ありがとう。その一言が、本当に嬉しい」


 私はそう返信し、画面を見つめながら微笑んだ。ぐちゃぐちゃになった感情が嘘みたいに穏やかになっていく。終わらない自己嫌悪も解決策がない悩みも、美咲の一言で吹っ飛んでしまうんだから、恋って不思議。


 根拠なんてないけど、これからは、私はもっと成長するし、お互いを尊重し合って歩んでいく道が待っている。美咲との未来を信じながら、私は心を込めて一歩を踏み出す覚悟を決めた。


 そして、次の日の夕方。私は一人、この前と同じカフェの窓辺に座っていた。窓から差し込む暖かな夕日が、カフェの中に穏やかな光を届けていた。


 テーブルの上には、蒸気を立てるコーヒーカップが置かれている。その香りが、私の心をほんのりとほぐしてくれるようだった。私はカップを手に取り、その温かさを感じながら深呼吸した。コーヒーにあたしの顔が写る。面白いくらい朗らかな顔になっている。あたしって単純だなぁ。


 美咲から連絡がきてから、笑っちゃうくらい心が穏やかだ。彼女とのコミュニケーションが戻ることで、安らぎが戻ってきたような気がする。ツブヤイターもコメント欄も、今日はまだ見ていない。気にならなくなってしまったのだ。もっと大切なものを壊しかけてようやく、闇雲に焦ることをやめられたのた。もっと早くやめたかったけど、自分を責めても良い方向にはいかないのでそれももうやめることにしよう。


 窓の外をいろんな人々が通り過ぎていく。笑顔を交わす人々の姿を見ながら、私は美咲との未来について考えていた。彼女との喧嘩から学んだこと、そして私たちの関係がどれだけ大切なものであるかを感じていた。


 カフェの中には穏やかなバラードが流れていて、それが私の心地よい空間を演出しているようだった。私はコーヒーカップを持ち上げ、口に含んだ。


 温かなコーヒーが喉を通り、心地よい余韻が広がっていく。私はそんな風に、一口ずつコーヒーを楽しんでいた。


 その瞬間、スマートフォンが振動した。画面に新しいメッセージの通知が表示される。私はスマートフォンを手に取り、メッセージを開いた。


「もうちょっと待っててね」


 美咲からのメッセージに、私の唇がほんのりと上がる。彼女との時間を楽しみに、私は少し笑顔を浮かべながら返信を入力した。


「急がなくていいよ」


 送信ボタンを押すと、私の心は軽やかな喜びで満たされていった。これからの日々を、あたしは心から楽しみにしていた。

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