第3話 祖父の怒り
「また、ぼーっとしている」
赤鬼の祖父に怒鳴られた。
「今日もか。あいつは、玄関から出入りしない。ウチに入るのも出るのも、かあさんの部屋の縁側からだけ。1ヶ月に1回、パンと牛乳、バナナを持ってくる。それを放り込んで帰る。ワシが生きているかどうか見に来るんだろう。かあさんの病院の日は車で連れて行く。ワシは車に乗せない。病院で、かあさんとあいつを見たよ。こうやって」
何かが始まった。私に背中を見せた。それでいい。あっちを向いてて。左手に杖。右腕を、何かを囲むように肩の位置に挙げた。
「こっちが、あいつ。あいつの役はやりたくないが仕方ない。こっちが、かあさん。あいつが、かあさんを抱きかかえて、まるで、女優よ。看護師さんや患者たちも見ていた。死にそうな重病人を介抱するように、ギッコンバッタンしながら歩いていた」
太った祖父が、リビングルームまでの3メートル位をギッコンバッタンしながら歩いいていった。あっ、ターンして戻ってきた。
「こうやって。何か企みがあるんだろう。ワシ、診察まで時間があったから追いかけた。あいつ、病院を一歩出た時、かあさんをどうしたと思う?」
「わかんない」
「わかんないわな。かあさんの肩を抱いていた手を離した。かあさんがヨロッとしても気にしない。さっさと歩け、みたいに、見下ろした。今度は、ついて来いみたいに
顎でしゃくって車まで歩いて行った。かあさんが一生懸命追いて行ってたよ。あいつは助手席のドアを開けて待っていて、かあさんが乗ったら、すぐ、ドアをバーンと閉めて車を出した。恐ろしい奴よ。あー、しんどい」
祖父は、階段の下から2段目に座り込んだ。
「何度か見たよ。声をかけた時もあるが、あいつが聞こえない振りをして、かあさんを急がせた。ふたりは女子トイレに入った。ワシは中に入れないから、女子トイレの外で待った。10分経っても出てこない。Dr.の診察が、もうすぐなので、その場を仕方なく離れた。
ワシ、かあさんに封筒に金入れて渡しとるのよ。診察代と薬代で2袋。
あいつのやっている事、凄いよ。かあさんの財布から金を抜き取って支払う。ワシが渡した封筒の金は封筒ごと自分のものにする。腹が立つのは、領収書の名前が”小川強子”なんよ。なんで?それはそうとあいつ、”天野強子”じゃないんか?」
「知らない」
「離婚したよな」
「はい、母から離婚届けを渡されて、ずいぶん前に兄とサインしました」
「なんで”小川強子”か、娘が知らないのか。ロクでもない家族だな。あいつ、あの家を出る時、身ひとつで出たと言うから、潔いのと不憫に思って170万円やった。中古マンションの内装費に使う、と言ってた」
「えーっ」
外から聞こえた車のドアの音に祖父が反応した。素っ頓狂な声をあげた。
「帰るなよ。正座、正座しとけ」と睨みつけて、祖父が急に立ち上がった。
祖父が、祖母の部屋を開けた。エアコンの冷たい空気が心地よかった。
祖母は、庭に出ているので部屋にいない。前回来た時そうだった。母と私を見送る為に庭に出ている。
「お前、車のドアをバーンとやって威嚇しただろう」
祖母と一緒にいる母に向かって言ったのだろう。
「病院の領収書、自分で書け。自分の名前くらい書けるだろう」
祖母に向かって言ったのだろう。
「お前、ワシの遺産は一銭もやらないからな。かあさんと奈津にやる」
向こう三軒両隣に響き渡るような大声だった。
祖父が戻ってきた。「言った通り正座してるな」
ドアを閉めたのでもう涼しい空気は流れてこない。
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