第4話

 まぁ、落ち着け。とバクバクした心臓を抑えながらそう言う。

 たった男と女。2人が仲良く歩いている。それだけの話ではないか。それで付き合っていると断定するのはあまりにも早計過ぎる。そんなことは分かっている。でも……


 その2人は楽しそうであった。あんな湯来さんの顔。見たことがない。

 へぇ……湯来さんはあんな顔を見せるんだ。初めて湯来さんと喋ったあの日。今、思い返すとあんな顔をしていなかった。確かに笑顔ではあったけれども、それは心の底から笑ってなどいなかった。マネキンのような、作り笑顔。こっちの方が幾分にも自然な笑顔。


 僕は立ち止まった。どんな会話をしているのか気になった。だけれどもそれを知ろうとしない。もし、知ってしまったら僕自身が二度と立ち直れなくなるようなそんな気がしたから。


 そうして授業中にも、その光景が頭の中でグルグルと思い浮かんでしまう。

 集中など出来ない。だからだろうか。


「あっ」


 休み時間。階段から転げ落ちてしまった。

 雨で床が濡れていたというのも原因の一端ではあったのだと思う。

 膝には真っ赤な血の池が出来ていた。こうやって自分の血を見るのは小学生以来随分と久しぶりなものであった。


 しかし小学生の時に見た血と言うものはもっと鮮血であったような気がする。今の僕の血はドロドロと濁りきっていて気持ち悪い。


 ともあれ、僕は保健室へ向かうことにした。

 そこは静かであった。保健室の先生はいなかった。恐らく職員室にいるだろう。しかしただ絆創膏をもらうために来たのであるから別段、先生に会う必要性がなかった。


 保健室には二つのベッドがある。そのベッドの横に棚がありそこに絆創膏と消毒液がある。それは前に一度来たことがあるので把握していた。

 だからベッドのところへ行こう。そう思った。そこで気づいた。


 一つ。入り口がわのベッドのカーテンが閉められていると言うことに。さらにそのカーテンの下には上履きが置かれていた。小柄な上履きで明らかに女性ものであった。


 その上履きの先端部分。黒ずんでいる。それが不思議であった。どうも僕には「女性は汚れを纏わない」と言う聖人君子のようなマリア様のような、勝手なイメージを女子に押し付けているようだ。


 そういえば、この職員室に入った時薬品の匂いなどは不思議としなかった。代わりに女性の柔らかい甘い香りがした。一体どんな女性が入っているのだろうか。恐らく、その女性。そこで横たわっているだろう。


 すっかり僕は傷のことを忘れてしまっていた。ただそのカーテンを開けてみたい。そんなことを考えるようになる。


 しかし、それはダメだダメだ。

 僕は理性を保った。どんな犯罪なのか分からない。だけれどもそれは犯罪のような気がする。僕の世界では死刑に相当するようなそんな重大犯罪な、そんな気がする。


 もう傷のことなんてどうでもよくなっていた。大人しくその場を去ろう。そう思う。それが賢明な判断だと思った。そうして、僕は踵を返した。


 その途端、シャーっというカーテンの開く音が聞こえた。

 振り向こうか少し躊躇った。やや一間開けて振り返ってみる。


 やはり女がいた。ベッドの上で座っていた。恐らくずっと寝ていたのだろう。髪の毛は乱れている。だけれどもその先端は黒く艶のある髪だ。


 さらに、目つきはキリッとしていて鋭い。身長は、座っているから正確には分からないけれど恐らく高い。その靴が小さいのだからもう少し小柄だと思った。


 その少女の表情。怒っているようにも見えた。睡眠を邪魔されたからだろうか。よくみると目元は赤く充血している。


 その少女のこと気になった。だけれども、僕は何も声をかけることなく軽く会釈をしてその場を去ろうと思った。それが賢明な判断だと思った。


「何」


 しかし少女が冷たく、低い声でそんなことを言うものなのでどうも逃げれなかった。

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