第3話

 それ以降僕は湯来さんと喋ることなどなかった。

 もう2ヶ月経ってしまって、季節はもうすぐ梅雨入りといったところになっている。自分では早く喋りかけなければならないとは思っている。というのも、湯来さんというのはこのクラスでもやはり美人な方で、今日のようにクラスの醜い男子どもに噂をされてしまう。


 早く自分のものにしなければならない。なんて、そんなことを考える。

 そうしなければ、誰か、薄汚い人に取られてしまう。そうして湯来さんは汚れてしまう。その前に僕が救わなければならない。


 だから、僕はじっくりと釣り糸を垂らして彼女が釣れるのを待っていた。だけれども一向に釣れる気配などない。そんなの当たり前か。だって僕の釣り糸は小さな水溜まりにポツンと引っ掛けているようなものだもの。


 そうやって時が過ぎていく。だけれども、まだ僕の心には余裕があった。あれほどの聖女が男と付き合うはずがないと思っていたからである。アイドルは恋愛をしないと同じ理論である。そんな馬鹿な話などあるはずないのだけれども、アイドルに夢を見ている。幻想を抱いている。


 いつかはその夢が壊されるかもしれない。そんなのは心の奥では分かっているのだけれども、逃げるようにそっと目を瞑っている。その目を開けなければ現実なんて見えない。そのことを信じながら。


 そう思い、僕は今日もチラリと彼女の背中を見てそっと机に伏していく。


 しかし、僕は案外早く現実に向き合わないといけなくなった。

 いつかは現実に向き合うのだろうとは自分自身でも知っている。しかしもう少しの猶予が欲しかった。

 高校生なのだから後、2年もすれば自然な恋が芽生えて、新たに好きな人が出来るかもしれない。そんなことを考えていたからだ。


 その日は雨であった。昨日も雨であった。またその一昨日も雨であった。

 瀬戸内気候に恵まれたこの阪神地域でこれほど雨が続くのは珍しかった。この地域、1ヶ月、通り雨はあるけれどもそれでもほとんど雨が降らないということはザラにある。


 これほど珍しい気候には絶対に何か不吉なことがあると思った。

 僕は食パン一枚咥えながら、テレビを見る。占いを見る。


「世知辛いねぇ」


 なんて独り言を見る。


「どうしたのさ。兄貴」


 と僕の妹が聞く。彼女は必死に茹で卵の殻を割っていた。


「今日の占い、山羊座最下位だって」


「ふーん。兄貴は占いとか信じるんだ」


「いや、普段は信じないよ。だけれども何故か今日の占いは信憑性がある」


「占いの信憑性って毎日一緒じゃない?」


「それが一緒じゃないのさ。占い信用できる日と出来ない日がある」


「ふーん。それってどう見分けるの?」


「どう見分けるのって。そんなもの知らんよ」


「何だ、そりゃ」


 そうして、妹は綺麗に茹で卵の殻を割った。それに対して優越な顔をしている。


「そうだ、兄貴」


「どうした」


「犯罪しないでね」


 と、唐突にそんなことを言ってきた。驚いた。確かに僕は普段死んだ魚のような目をしている。思考だってきっとサイコパスなそれだ。えぇ、絶対にそうに違いない。


 だけれども身内からそのようなことを言われたのは初めてであった。

 雨は一層強く降り注ぐ。大雨洪水警報はまだ出ない。


 いつもの僕であれば、そこで苦笑いを浮かべながら「しないよ」と言っただろう。だけれども今日は違う。絶対に何かが起こると思っていたからその約束は出来なかった。


 そうして僕は学校へ向かう。

 それにしてもどうして雨は憂鬱なのだろうか。この雨は一体いつになったら止むのだろうか。なんてそんなことを考えていると。


 あぁ、運が悪い。もう少し学校に行く時間をずらせばよかった。

 目の前に湯来さんがいた。いや、湯来さんがいただけなら別にいい。もしそうだとしたら僕はそっと彼女の後ろに張り付いて、その空気を吸うだけなのだから。


 問題はその隣に男がいたということであった。

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