2013/08 - 夏の日は暑く燃えて
エンターテイナーとしての未熟さを実感する瞬間である
(当時は創作者としての発言ではないが、今でもそれは思う)
純刃でた!
(2013年8月11日のツイート。一つの物語の終焉)
どこかで「見たものをありのままに捉える技能の欠如」によって絵を描く技能が向上しない、みたいなエントリを見たような。スケッチとか苦手なのはそのせいかな。思えば小さいときから手本に沿うのは苦手だった。今もね
(ある形を真似られず、そこにある
期待をかければ幸福は逃げるような錯覚を覚えるが、期待しなければ努力もまた出来ないのではないだろうか
つまるところ、何かを欲するならば、報われないことを覚悟して全力を尽くすしかないと。運がよければ報われる。…レアドロップ狙いのマラソンとか特に
些末な事象に幸福をのぞむ、これが最上の幸福なんだろうと暑い。
(暑すぎて最後まで締められてない)
半分痩せ我慢してるけどやっぱり本当はそこまで仕事したいわけではないんですよマジで
自分のために生きるのではなく、真の意味で世のために、あくまでも主体は世のためでなくては…我欲に生きるは害悪と
主体が自分ではない人間は歪であるのやと知っていても、無謬はそこにあると信じて止まず…その実、そこには信仰なんぞ欠片もなく
(それでも、そうあるべきだと感じる
何気に今現在の業務が急がし気味なことと、今現在の自社でする業務が残ってることが割と重大な要因なんです、という愚にもつかない言い訳
でも物理的には事実よな。
まぁ、どっかに「無理と言うやつには血反吐はいてでもやってもらうし、達成の暁には『ほら、もう無理じゃないだろ?』」という主張をした人はいたか。
信念としてそうあるのは別に構わんが、人に押し付けることじゃないな。
勤勉と愚直は違うし、怠惰と賢明もまた違うもんだろうに。「やったらできました」じゃあない。「やって結果が出ました、この時のリスクリターンはこれだけであり、今回の行動は総合でプラスと判断できます」までが結論なのやと
悪意の何が嫌いって、感化されてより強く悪意に染まるのが嫌いなんですよ。アレは隠しておくものだし、声高に主張するようなもんじゃない。
いいや、論理的に正しいふりしてるドヤ顔のゴミが嫌いなだけだな。「それ以外の結論はあってはならないから」間違いない。
言ってることが正しいやつの言うことはどうにも気に食わんな。
言ってることが間違ってるやつの言うことは心底から毛先までイライラするが
誰かに劣ることにずっと怯えてるのに、「少なくとも一翼において、間違いなく劣るような」ものが、まるで自分の無謬を誇るように胸を張って生きるのを見るのはたまらなく悶々とする
(劣等感に他者を巻き込もうとするのは、あまり好ましい姿勢とは言えない)
まぁこんなことばっか言ってるからいつまでたっても足りんのだが。だもんで、ふて寝します。
twitterに常駐しはじめてからストーカー気質に磨きがかかるのが不肖私
もっと別種の暇潰しに流れていかんと精神的にダメになるかもしれん
(もうダメかもわからんね……)
ワイショーな自分自身が構ってもらうことでアイデンテテーを保ってられるのに、誰も構ってくれないからワイショーな自分を認識してしまってツラいみたいな感じの
違和感は見た瞬間に覚えておかんと、ずっと見てると忘れてしまうな
高望みではなく、段階を踏んでより高みを目指す。大事なことだが、よく忘れてしまうな
見も知らん他人の思想なんぞ知ったことじゃないし、興味がないなら考慮するにも値せんな。当然の事だったが、忘れていた
そういや4月頃に作ったコードが後輩に「よくわかりませんね!」って言われたのを思い出した。
自分では論理的に正しく、より有効な手段をもって記述してるんだけど、やっぱり他人にとってはそれがそうとは限らんのやなと思いましたね
墓王ニトとやりあってたら、次元(=ポリゴン)の狭間に落とされて再戦を余儀なくされた。強し
(ゲーム物理学:当たり判定力学に敗北させられている)
言いたいことは相手にちゃんと言うべし。さもなきゃ伝わらんでもいいことになってしまう
つまるところ、意図はあれど意志はなくただ消え行く、そういう正しさに基づく事象なんであると
オリジナリティを語る際、構成パーツの全てが他と一線を画するユニークでなければならない、とするならば。この世には既に純然たるオリジナルは顕現しえないんじゃなかろうか
こういう結論が容易に想像できる場合、まずは仮定の時点で間違っているのだと思う方がよい
何をもってオリジナルの作品とするか、ねぇ。取り敢えずは「完全に一致した原作らしいもの」がないこと、とするか
渇望はすれど努力は足りず、恵まれることを心待ちにと
今日のことは今日の雅郎さんに任せるので、昨日の雅郎さんは寝るとしますよ
プログラマにとってはコードって第二の顔なんやと思いますがね。
だからこそ美醜の感覚も人次第だし、気にしない人は気にしないんだけどさ。じゃあ実際何も間違ってないじゃねぇか
その実やりたいようにやるのが一番の正解であり、定められた型に入るのが最良であると。前者は腑には落ちんが、かといって他に案があるわけでもない。感覚的に他者を否定するなんぞ愚の骨頂なので、語るべくは無し
弩級って元々、戦艦ドレッドノート級のことだったんだな。知らなかった
(2013年8月19日のツイート。今ではずっと覚えているけど、当時は知らなかった、ここで初めて記憶したのか)
播州弁とかわかりませんし(無学
(地元言葉、意味が分かっても話せるとは限らない)
最低限度の、とか心がけてる割には「最低限度」を知らないというあたり、まだまだ全然足りんよなと思う
別に完璧でなくても物は作れるし、完璧なんぞ端から目指さない方がいい結果が生まれるのも真実か
思考よりまずはもの作れとよく言われるくらいには巧遅を尊ぶタイプ
言われるってのは嘘。人望ねぇもんよ
(誰に言われるか、というと。もちろん私に、だ)
なんかやっても披露とか自慢できる機会がねぇとやる気でないんですよ、しかも対象が友人限定という閉じた人なので死ぬ
(酒を吞み、やさぐれて。創作とはそういうものなのであろう。可能なら外にも向ければいい)
物理的に可能というと本当にできそうなので、物理的には不可能ではないと言い直しましょう(提案
(どちらにせよ都合よく解釈されそうではある)
網膜は可視範囲の電磁波を信号として脳に伝えるんだと思うが、どこで齟齬が発生するのかな。感覚とは誠によくわからん
だからこそ、常に一定の品質を求める上では「感覚に頼る」のは危険なんだよな。専門者は代えがきかぬ
赤≒黒を「波長の差」と一言で表してもいいものかどうか。
明るい色というのは、要は可視範囲の電磁波をより多く(=広範囲に渡り)反射しているということだしなぁ
赤黒い色が赤外線に近い範囲を反射して、青黒い色が紫外線に近い範囲を反射してる、とかあり得んと思うが、実際どうなんだろう。
そういや黒っぽい色は大部分の電磁波を吸収してるんだったか
(そのようであると視える、ということに対する疑問。気にしなければどうでもいいが、気にするなら科学的に説明されていても理解出来ない、そんな不出来を知る)
愛宕(アタゴ)ね。でもきっとまた忘れるな
(重巡洋艦『愛宕』。あいいし、ではない。今でも忘れてはいないし、なんならそういう話になったきっかけすら覚えている。彼が覚えているかは知らんが、忘れていそうな気はする)
需要が違うなら好まない人が出てくるわな。万人に好かれるものなんかほとんど無い
こういうことを考えるときに、別の人の発想が大事なんだよな。異なる発想は、時に考えもしなかった方法を教えてくれるのだ
(プログラムの実装方法について考えている最中の発言。他者との交流の必要性、有益性については確かに感じられる)
やっぱあれこれモノ考えるのが一番イキイキする瞬間なので、プログラムとか作るのは割と向いてる仕事なんかなと思う
まぁ納期前に大全力、は日本人の華かも知れんな…
それをもって「日本人は勤勉」とかいう意見には首を捻らざるを得ないのだが。本当に勤勉なやつは普段からやってるだろ
(それはそう)
本質を見るとき、任意の対象と「比較して」はかる手法が嫌いで。
当然一つの視点なのだが、往々にしてそれは「誰よりはマシ」に成り下がるから誇りに欠けると思う
(だが、完全なものの見方というものは、現実にはおそらく存在しない)
とはいえ、明確な基準の無い概念については、相対的にはかるくらいしか有効な手段もないのよな。
相対手法は基本的に切磋琢磨による向上しかできんので、友人に恵まれなければより高いところを目指しにくいのが事実だろうし
(弁えてはいるようだ)
詳細は自分で参照されたし。聞かれたら知ってる範囲で答えられるけど、やっぱり調べた方が速いケースのが多いな
特定の需要に関する手法の共有とかは調査よりも聞く方が早い場合が多いかも知れん。得る情報の質によって採るべき行動をわけるのが上策なのかも知れんね
ネット巡回してると、プロの人も遊んでるんだろうなと思うとなんか凄いなと思うが、極めて普通のことでもある
(プロになれば人でなくなる、という訳ではないので当たり前だ)
国の偉い方は我々のような、架空を追い求めて現実を疎かにしてるような阿呆どもは、すべからく駆逐するべき害悪に過ぎんと思っておられるに違いありますまい
現実ありきでの架空であろうに、何をバカな。 目に映る気持ち悪いものを駆逐したいと思う、その根元的な願いは理解できるものではあるがな?
自殺やらなんやらの報道について、まぁかぎ回るのは意味わからん行動だし、親族の方々はさぞかし不快ではあるだろうが、一人の受け手としては…大して何も思わんな、残念であったはずだ、くらいしか思わん
つまるところ、人が大して重要視もしない事柄について、それが重要である親族方が不快に思うのを押し切ってまで「敢えて」報道を行うという行為には、本質的にクソのような価値しかないのかなとはさっき思った
(それでも一向に「それ」がなくならないのは、現にこれを重要視している人間が、無視できない数存在するということなのであろう)
時間ってのは目的に対して消費するもんよね。当然ながら、勝手にどんどん減っていくわけだが
時代遅れの技術、ねぇ…まぁわかるけど。しがらみに囚われて新しいものが見えなくなるのは論外
あくまでも旧代技術は、新しいものを正確に捉えるために学ぶべきものだわな
(温故知新、というやつ)
発展と言いつつ、中身がガラクタを組み合わせた、歪で代用も変更も効かない「究極」になってるなら、そこから進むことなんぞはあり得んので…
誰がどうとかじゃなくて、自分がやらなきゃならんからやる。作戦行動ってのはそういうもんであるべきよね
趣味と雑談のアカウントは分けた方がいいんですかね。どちらにせよ、誰も聞いてないからどっちでもいいですかね。寂しい
(目的に指向するなら、きっとそう。だが、言葉を書く先としての運用なら、別に分けなくていい)
時折「識別子に誤字あっても、毎回同じ名前つけたら問題ないだろ」という人がいる。やめたほうがいい。
さっき普通に追加分の要素にスタイル反映されない理由がクラス名のスペルミスだったんで…
原作ありで物を作るなら、少なくとも原作の本質とやらを欠いてはいけないわけか。
本質ってなんぞい。「それそのもの」じゃないのか?
重視する要素の、価値観の相違に過ぎんとは思うが、まぁ言わんとすることはわからんでもない。飾らず表現するなら、それは「好みじゃなかった」と、ただそれだけなのだろう
(いわゆる二次創作に対する、何らかの主張への反応と見られる。何を概念の本質と見るかは、見る目によって変わるもの)
トーテツの意志をもって事を為さんと、眠い時はやりようもない。つまり早く寝ろってことだ
てか連絡来ねぇな。そんな「瞬間的じゃない限り反応がない」みたいな、シビアな入力受け付けの技コマンドじゃあるまいし、とりあえず返事くらいは欲しいもんだが
(一部例外もあるだろうが、基本的に返事は早いほど良い)
家にあったセント千尋の神隠しを見ながら開発を進める構えで
でもあいつそんな聖人って感じしないな
(セイントじゃねえよ)
温泉宿の人、金集めてどうするんだろう。使えるんだろうけど
(素朴な疑問。まぁ経済活動はあるんだろうし、それこそ温泉宿の支払いにも金が使われるのだろう)
結局ニガダンゴの効用って何なんだろう
(良薬は口に苦しというが、そもそも何に作用しているのかは自明ではない)
ジブリ映画はいいなぁ。何で良いと思ってるかについては、説明すらするつもりはない。
理解してないもんそんな部分
そりゃエンターテインメント作品の創出においては、ここがロマンやというのは把握してるに越したことはないし、実際そうあるべきなんだけど、そこまで分析的じゃないと一般人ですら「娯楽を楽しむ権利がない」とか言い出したら、娯楽を享受する権利のある人なんかほんの一握りだと思うぞ。
中身がある/ないでしか価値を判断しないような方々にとっては、現実なんてものは至極楽しくないゴミのような瞬間の連続であらせられると思いますが、如何ですかな
本当に頭で考えるべき場面、時間、場合なんぞは人それぞれ異なってくるんだと思いますがね。だからこそ、万人が好きに判断して行動すればいい。
「ポイ捨てはあなたのマナーを捨てています」と聞いて。実際のところ、捨ててるのは誇りじゃね?まぁ誇りを持たんからこそやってるんだとは思うが
「動いてくれない」んじゃない。「期待した動作をさせてやれるコードを書けなかった」んだ。履き違えちゃならん。悪いのはコード作ったやつだ。
昔俳句を読んでた人たちって、一句どれくらいのペースで読んでたんでしょう。
さて、この文章には間違いがいくつありますか?
(唐突にクイズを始めるな)
成果物を自信無さそうに出してくる奴は、大抵本当に自信がないけど何か無駄にプライドは高くて否定されるとイラッとしながらも何も感じてない体でクールに振る舞おうとして顔を真っ赤にするタイプだ。ソースは不肖私
誰に強制されてるわけでもないのに「拙作ですが」から始めるのは何でだ?客人に料理を出すわけでもあるまいに
やっぱり普通のことしか発想できんし実行もできんね。ほら、根が真面目だから。
…色んな人が首をかしげそうな発言であるわけだが
真面目ってか勤勉ってか、何らかのルールに則ってしか動かんのは事実。一般的な規律規範には限らず。
(口語的な真面目や勤勉ではなく、定められた規則に従順であることを「真面目」と表現している。価値観のズレは、扱う言葉のズレに由来するのだろう)
勝負は時の運というけど、あからさまに期待値に裏切られると納得いかないのも世の常よね。負けた側はね。
どんだけ良いように見ようとしても、許容できんものは許容できん。見方を変えりゃ受け入れられるものは、そういうレベルの位置にいなかったというだけだ
自分にとって直接的に利益になるかならないか、だけで短絡的に物事を考えるのは愚かよね。まぁ間接的な影響とかリスクリターンも含めてすべて計算し、その上で利益を求める姿勢であれば流石と言わざるを得ないにせよ
努力ってのは「成すべき事のために必要な労をはらい、実際に事を成すための準備」のことであって、ただ無為にそれっぽいことをやるという意味ではないので…
思うに、ある程度確信をもって発言している内容は大抵信じられてないのに、全くもって完璧に嘘の発言内容はどういうわけか信じられてしまうのは何故?人徳の問題か?
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多い。想像以上に多い。これでやっと八月が終わるのである。
当時は、FirefoxOSのアプリ開発に関する話をよくしていた。とても懐かしい。あの頃はjQuery……大雑把に言えば、ウェブ画面上で動くなんかそれを集めたやつ、なんかの理解も乏しく、色々と学ぶことが多かったようだ。
それに比べると、今は非常に多くを知っている。
卑屈になる必要はない。あの頃から、既に十年もの月日が流れている。それは、決して無為な時間ではなかった。普段から、何もしていないと思っていても。求められる仕事に対する、真摯な姿勢は、着実な成長へと繋がる道筋を歩ませた。
ああ、そうだった。昔から、何でも出来ていた訳ではない。むしろ、今でも出来ないことは多い。それでも、以前は出来なかったようなことが、今では出来るようになっている。
それは、誇るべきことだった。どうして、忘れていたのだろう。歩んできた道は、無駄なんかではなかった。無駄がなかった、とは言えなくても、やってきた事には、確かな価値があったのだ。
過去があって、今があり。今はきっと未来に繋がっている。この瞬間にも、死ぬかもしれないけど、きっとそれは少しは先の話で。
それならば、今の私も。過去の私がそうしてきたように、未来の……明日の、あるいは数瞬先の。至るべきところへと進む歩みを、止めないようにしたい。
それはきっと、明日への活力で。日々を無意味と投げ捨てない、いずれは終わる我が身に、意味をもたらす意志の力だった。
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