2012/08 - 初めの夏は過ぎて、やがて冬となる

 寝なければいけないから眠るのか? いや、寝たいから眠るのだ と



 義務を放逐するものは権利を享受すべきではない <-> 権利を放逐したとしても義務は放逐してはいけない


 義務は果たしてそこにあり、果たされる事で権利を得られる それは末端がどんな形であっても変わる事はない


 のかなって思うんだ。ただ、こういう論理は限定的な割に広義なのであんまり意味はない



 事あるごとに競うのは仲良しの証で、事あるごとに争うのは相手を心底嫌っている事の証


 競技は純粋な勝負によって価値が決まるべきで、闘争は相手を駆逐する事にのみ価値がある 故に二つは似通った「位置」を持っても等価にはなりえない



 面と向かって相手を馬鹿にする行為は、好意によって存在するのだとか あとの可能性は「本当に相手を軽視している」ことなのだけど



 いくら微妙な位置なんだとしても、自分の故郷には故郷の友人も家族も思い出もある 個人の一時の感情で「なくなればいい」と思われてはかなわん



 確かに情は人が持つ…具体的によくわからんものの一つではあるが それは例えば「他にいくらでも代わりがいる」ときに「優秀なそれ」の代わりに「役に立たなさそうなそれ」を選択する理由になるか? きれい事だけじゃないのだ


 人という存在が「汚い」事の証明の一つが「いじめ」だろうな することもされることも、ただそれを傍観する事も全てがそうなんだと


 当然「ではお前はそれについて何も思わないのか」と問われれば「許せない」とは思う それでも自分は傍観も分析(という名の感情による判断)も止める事はないのだ



 独力で解決できない問題の如何に多い事か、と聞いた。故に「他人を味方につける」才覚が如何に重要なものかと思う


 勉学は「他人に」教えを請うものか? それだけではないはず 幾らか知っていれば、自己研鑽も決して不可能ではないかと


 とはいえ、これ以上は当人の状況など知らん自分がいっても仕方のないこと 学習内容が頭に入ってこなかった人の思考パターンも気持ちも全くもって理解できてない自分ではな



 果たして才覚とは一つではなく、皆無でもなく。それは生きる上で役に立つか枷になるかを問わず、誰しもが絶対に持っている概念なのや、と。言いかえて「個性」


 思うんだが、「これこそ何の特徴もない人」ってのはどんな人なんだろう。例えばだけど、行動理念が「感情的でも論理的でもない人」の行動って、傍から見ればカオスそのものだと思うんだ。



 価値観も信条も、行動の正しさも、相手を討ち果たすための武器であるべきではないはず



 天才は生えてくるもの。故に天才は教育できず(後天的に発生しない、という意味)、型にはまるものでは無い事が多い


 天才は教育によって出来上がるのではなく、教育により「さらに優れたもの」へ近づく。教育が必要ないわけではないし、天才は意識的か無意識的かにかかわらずやっている、はず


 天才は、殊に「したいことがある」天才は、他人に使われなくても自ら創出する事が出来る。当然だな、凡人にだって物を作るくらいはできる、会社(組織)も作れるんだ。



 グーテン妄言(妄言)

(ガチの妄言じゃねえか。晒すわ)



 自分と他人は違うものだし、自分と他人は同じものだ 両方わきまえていないと歪みになる

(個を見れば異なり、種を見れば同じだという意味だろう)



 自分は極論を言うが、事象そのものが極端な発生をしていると認識しているわけじゃない。他人は極論を聞くと、事象そのものが極端な発生を常にしていると認識しているように解釈する事が多い。


 それは別に「常に一様に正しい」ものではないし、仮に「常に一様に正しい」のであれば、それは一つの観点から見たときの解釈のパターンに過ぎないのだが。事象そのものの発生はあくまでも「傾向のように見える」に過ぎんのであって


 何言ってるか分からんって?眠いから仕方ない。こういう言葉を聞いたら眠くなる人がいるかな、と思ってつぶやいた側面は(実際のところ無いのだが体面として)あるんだけど、自分はどうもそうはならんらしい。普通に…考慮してしまう。「自分の発言なのに」な?

(十年経った、今でもそうだ)



 額の汗さえ炭素(ダイヤモンド)… 物凄い高圧で生成されたのかね、汗

(歌詞か何かへのツッコミ? 聞いたことはある気もする)



 気合いで勝てるならこの世界は全て上手くいくんだよ… と言ってる人間は、存外いままでに死ぬ程の気合いで物事を成した事がないという傾向が。気合いで勝てるなら(略



 確固たる意志をもつものほど盲目で、何の意志も持たない人間ほど目は見える。ただし後者は何も捉えていない。



 毎日同じことの繰り返し… だが、それがいい。それほど過酷でもなく、厳しくもない。「やりたいことができる」…とは流石に(声を大にしては)言えんな


 真面目ではあるが勤勉ではなく、曖昧だが厳密でもあると、矛盾ではなく「そう在る」のかなって



 「出来るからやる悪意」は最も嫌いな概念のひとつだ。誇りも信念も何もなく、誰かの権利を奪っていく行為は。悪意が無ければある程度は構わんが



 信念の人は周囲から認められない事も多々ある、ということなのかな


 いや別に自分がそうであるという意味ではなくて



 ネームバリュー、魅力…ねぇ。難しいところだろうけど、何らかの方法で拡散させる必要はあるだろうな>知名度


 それ(=広告。商業では必須だ)を怠って「人気でない;」というのも可笑しな話だろうけど


 二次創作ってのは作者の「夢」で、それが受け入れられやすいのは「元々の知名度に乗っかっている」のに過ぎない。別枠で広告すればそれなりの違った効果が得られるんじゃないかな(知らんけど)

(当時は創作には特に首を突っ込んでいなかったはずだが、そういう話題に触れていること自体はあったようだ)



 時間は金じゃない。金で時間は買えないし、時間が金に変えられるわけでもない。時間があれば、金を紡ぐ事は可能だが。



 自分の意思、あるいは意志を言いたがる奴は基本的に否定されるのを好んでいない、そういう傾向があると思う(これは別に言いたがる奴に限った話ではないが



 もうこんな時間だ。今日はありえないくらい怠惰で無意味な休日を送ってしまったが、たまにはいいか

(それはいずれ日常となる)



 耐えがたい悪意に身を引き裂かれそうになることがある、とかアレな事をつぶやいてみる



 世の中には自分のわからん価値観がいくらでもあるな、流石に人は多様と見える


 生命の継続は大した価値でなければならないのか?「こんなクソみたいな世界で」?


 命は、生存は。間違いなく苦行だからな…

(厭世観は、いつでも傍にあった)



 ご飯を食べたらおなかが減る現象に名前をつけるのはどうだろう(妄言

(これ、一般的感覚ではないっぽい?)



 選挙に行かない理由のうち「行く意味がない/面倒」について、知識人はどうも勘違いしているようだ… 現代日本における選挙が、多くの有権者にとって「その程度の価値しかない」ものであるという認識なだけであって、まずはそこを正さんと話にならん

(まぁ、グダグダ言わずに選挙には行きましょう。大事)



 一人でいる事が悪いとは思わんが、そのせいでいずれ一生寂しいまま、というのは流石に嫌だなと

(2012年12月25日のツイート。クリスマスだから?)



 狭量だなぁ、自分も、他人も



 普通にレジィほど幸せな日は無いと思うんだが、それは恵まれてる証拠なんだろうか…

(多分そう)



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 そして年末を迎える模様。一旦ここで切るとしよう。


 当然、私は私なので、呟きの内容には今の私に通じるところが多いが、一方で心変わりや、より穏和マイルドになった部分もあるように感じる。それは成長だったのか、それとも老化だったのか、あるいは錆びつくが如きものだったのか。


 たとえ、それが錆びつきであったのだとしても。

 有益も無益も、結果に過ぎず、結果とは振り返って確定するものでしかない。


 ならば、そこに後悔はなく。今の自分に妥協しようと、それが悪いことだとは思わない。



 私が厳守すべきことは、昔から一つだけ。


 それは、こと。即ち、人の道理に正しく生きること。道を踏み外さないこと。


 過去の自分を裏切るなら、私はきっと過去に殺される。

 私は、今も昔も、そしてこれからも。それだけは、決して許すことはないから。

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