第49話 王の裁き

 

 楼蘭と鈴音が縄に縛られた二人の男を連れて戻ってきた。

 一人はダイス伯爵。縫われていた口の糸はなくなり、口元にはいくつかの保護のガーゼが張ってある。

 その表情には精彩さはなく、憔悴しきっているのがみてとれる。


 もう一人の男にも見覚えがあった。

 私の知っている姿よりも老けてはいるけれど、あれは長くミュンデロット家で執事長として働いていた男だ。 


 私が十歳の時にお母様の葬儀の場所に付き従い、そのまま姿を消した男。

 ちいさく、体が震えた。

 まさか。まさか、そんな。という言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 私はなにも気づかなかった。

 何一つ、できなかった。

 お母様の傍に、ずっといたのに。


「ゲオルグ様は優れた武人だった。賢く慎重な方だ。おそらく、毒を少しづつ、気づかれないように食事に混ぜるなどして飲まされたのだろう。体の異変に気付いたときには、手遅れだったのだろうと思う」


 ルカ様は祭壇の上に現われた男たちを一瞥して、再び視線を群集へと戻した。


「ゲオルグ様とラスティナ様に毒を盛ったのは、昔、ミュンデロット家の執事長をしていた男だ。……そうだな?」


「……金に、目がくらんだのです。……ローレン様に、命じられるままに、食事に毒を。ラスティナ様が臥せられてからは、薬だと偽り侍女に渡して、衰弱死にみせかけるために、少しずつ、毒を飲ませました」


 執事長の男は掠れた声で答えた。


「ラスティナ様は、聡明な方でした。それが薬ではない事に気付いていた。けれど、誰にも言わなかった」


 掠れたか細い声で、男は言う。

「そんなに自分が邪魔だというのなら、体に盛られた毒についても、誰が行ったかについても誰にも言わずに死を選ぶから、どうかマリスフルーレだけは助けてと、私に泣いて縋りました。私はラスティナ様を、殺しました」


「お母様……っ」


 泣いてはいけないと自分に言い聞かせても、勝手に涙があふれてきた。

 ルカ様が私の体を引き寄せて、涙に濡れた顔を隠す様にきつく抱きしめてくれる。「もう少しだから」と小さな声で耳元で囁かれて、私はかすかに頷いた。


「そうしてゲオルグ様とラスティナ様の命は失われ、幼いマリスフルーレだけが残った。ローレンとアラクネア、クラーラはミュンデロット家を支配し、マリスフルーレを屋敷の片隅に追いやり、ミュンデロット家の財産を食いつぶしながら、暫く遊んで暮らしていた」


 私を抱きしめながらルカ様は言う。

 その言葉には苦い後悔が滲んでいた。


「全てお姉様の作り出した妄想ではないのですか? ルカ様は、お姉様の妄言に惑わされているのです!」


「ミュンデロット家はあっという間に借金まみれになったようだな。そこに都合よく、マリスフルーレと第二王子メルヴィルとの婚約の話が持ち上がった。一度甘い蜜を吸ってしまえば、もう一度と思うものだ。お前たちは、そして再び許されない罪を犯した」


 クラーラの悲鳴じみた言葉に取り合わず、ルカ様は続ける。


「国王ディーア様は東国との戦いの矢傷が悪化し、療養されていた。それは治る傷だった。俺の判断では、数か月すれば問題なく回復する程度のものだった。しかし状態は悪化の一途をたどり、ついには亡くなってしまった」


 メルヴィル様のぼんやりとした瞳に感情が戻るのが分かる。

 救いを求めるように、縋るように私を見ている。


「お前はクラーラから、薬を渡されたな。どんな傷でも治す薬とでも言われたのだろう。最初はそれを信じていたのだろうが、薬を飲ませるたびにディーア様の状態は悪くなっていった筈だ。お前はそれが、薬ではなく毒だと途中で気づいていただろう、メルヴィル」


 ルカ様に尋ねられても、メルヴィル様は何も言わなかった。

 お父様と同じように、ただ俯いただけだった。


「ディーア様がお亡くなりになり、今度はマリスフルーレが邪魔になった。……だが、相次いでミュンデロット家の者が亡くなっては不審に思われかねない。そこで、お前たちは――マリスフルーレを貶めて、生きてはいけないぐらいの恥をかかせることにした」


 ルカ様に睨まれて、ダイス伯爵ががたがたと震える。

 がちがちと歯が鳴り話すことができないダイス伯爵の背中を、楼蘭が蹴り飛ばした。

 情けない声をあげて祭壇の上に倒れ込んだ男の上に、楼蘭は足を置いて強く踏みにじった。


「そこの女が! クラーラが、マリスフルーレを襲うだけでいい、好きにしていいと言うから……! ミュンデロットの女たちは魔女だ! アラクネアは私に近づき、関係を持ちたがった。そして社交界でマリスフルーレを貶める言葉を言いふらせと……私は頼まれただけだ!」


 大騒ぎするダイス伯爵を、再び楼蘭が蹴る。

 ダイス伯爵はくぐもった呻き声をあげて、べたりと床に沈んだ。


「マリスフルーレの名は穢された。そうして、俺が貰った」


 私を抱きしめるルカ様の腕の力が強くなる。

 私はその胸に額を押し付けて、目を伏せた。


「悲劇はそれだけでは終わらなかった。野心か、金か。その両方か。王妃ロゼッタ様と、第一王子ルネス様が亡くなれば、王位はメルヴィルのものになる。メルヴィル、お前はロゼッタ様にも毒を渡した」


 ルカ様の言葉に怒りが滲んでいる。

 ルネス様は一度悲し気に目を伏せた。それから、深い溜息をついた。


「メルヴィル。お前は……優しく真っ直ぐな人間だった。私はお前を信じていたよ。……でもお前は、いつの間にか変わってしまっていたんだね」


「兄上……」


 メルヴィル様ははじめて言葉を発した。

 空虚な瞳から、涙が一筋零れる。

 デビュタントの時に私を助けてくれたメルヴィル様の姿を、私は思い出した。

 確かに――優しい人だった。

 どこで、間違えてしまったんだろう。


「母上は、お前の罪に気づいていた。父を殺した毒を母にも渡したんだね、メルヴィル。母は薬と偽られて渡された毒を、それが毒だと理解して飲み続けた」


 ルネス様の言葉は、悲しみに満ちている。


「母は私にメルヴィルを救って欲しいと言っていたよ。マリスフルーレにも申し訳ない事をしてしまったと泣いていた。……でも、私にお前は救えない。お前は、もう引き返せないところまで行ってしまったんだよ」


 悲しみと諦めと、怒りの混じった声でそう言うと、ルネス様は一際大きく声を張り上げた。


「さぁ、長い話はこれで終わりだ。ルネス・ローゼクロスの名の元に、二人の魔女と魔女に操られた男たちに、裁きをくだしてやろう!」


「全て嘘です、言いがかりです! 私たちは何も、何もしていません……!」


 クラーラの瞳から、大粒の涙が散った。

 けれど、貴族たちからはクラーラたちに向けられた瞳には、侮蔑と嫌悪が籠っている。

 もう誰も、クラーラに同情する者はいないように見えた。


「――この場所は、かつて何人もの魔女を殺し、焼き、吊るしてきた場所だ。俺のマリィを傷つけた罪は、重い。辺境の流儀に乗っ取って裁いていいと言うのなら、火に焙った鉄の梁にその体をくくりつけてやろう。炮烙と呼ばれる、東国の処刑方法だ。聞いた話によれば、じわじわと体が炙られ焼かれて無残に焼け死ぬらしい。罪人がどれ程苦しむのか、一度見てみたいと思っていた」


 薄く笑みを浮かべながら、ルカ様が言った。

 残酷な言葉に、貴族たちから悲鳴があがる。

 美しく残虐な辺境の吸血伯の姿に、皆恐れ怯えていた。

 ワーテルの人々だけは、そんなルカ様の姿に歓声をあげている。


「戦の時代は終わったよ、ルカ」


 ルネス様がたしなめるように言った。


「……マリスフルーレ。君は長らく、苦しく辛い思いをしたと思う。……君は、何を望む?」


 ルネス様に尋ねられて、私はルカ様の胸から顔をあげた。

 私を睨むクラーラと、虚ろなお父様と、私に縋るようなメルヴィル様、つまらなそうなアラクネアの顔を順番に見る。


 怒りも、憎しみも、湧き上がらなかった。

 失われてしまった命が、私を守ろうとしてくれた沢山の命が、ただ悲しかった。


「王の名の元に、裁きを。――犯した罪の分だけの、しかるべき、裁きを」


 私の返事に、ルネス様は優しく微笑んだ。

 ルネス様の指示で警備兵が現れて、クラーラとメルヴィル様、お父様とアラクネアに縄がかけられる。


 クラーラは泣き叫んでいた。メルヴィル様とお父様は何も言わなかった。

 アラクネアはけたたましい笑い声をあげて言った。


「私は、憎き王国の民の王を殺した! 殺してやったわ!」


 ワーテルの街の美しい広場には、いつまでも最後の魔女の笑い声が響き渡っていた。

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