第47話 蘭花の毒

 


 ルカ様の過去とミュンデロット家の関係を知った日の翌日は、夕方近くまで眠ってしまって、ルカ様と一緒に起きた私は調理場にあるもので夕食を作った。


 ルカ様は宣言通りずっと私の傍にいた。

 約束通り何回も好きだと伝えると背後から抱きついてくるので、包丁を持っていた私はちょっとだけ怒った。ちょっとだけ。


 ダイス伯爵とエミリアさんがどうなったのかは、私は知らない。

 楼蘭もルカ様も何も言わないので、私も聞かなかった。


 私たちは式の準備で忙しく、招待状の記名の手伝いや、ドレスの採寸などをしていたら一週間なんてあっという間だった。


 挙式が行われるのは正午から。

 儀式はさほど長くなく、一刻もかからないのだと鈴音が言っていた。


 ルカ様は珍しく早起きをして、私のドレス姿が見たいと朝からそわそわと落ち着かなかった。


 王家の馬車に乗ってルネス様がやってきたのはそんな最中のことだった。


 白い服に青いマントを羽織ったルネス様は、繊細な印象の美しい方だ。

 デビュタントの時に一度お会いしただけなので、顔もすっかり忘れていたけれど、メルヴィル様にどことなく似ている。やはり兄弟なのだろう。


 私とルカ様は、玄関のホールでルネス様を出迎えた。

 ルネス様は柔和な笑みを浮かべて、礼をする私を邪険にせずに優しく声をかけてくれた。


「マリスフルーレ、会いたかったよ! 君が噂のミュンデロットの青い薔薇だね。噂に違わず美しいね。何度言ってもルカが会わせてくれないから、私の方から来てしまったよ」


 メルヴィル様の事がありルネス様には嫌われていると思っていた私は、予想外の言葉に驚いて目を見開いた。

 ルカ様が私を隠すようにして、私とルネス様の間に立った。


「ルネス。俺の許可なくマリィに話しかけるな」


「怖いなぁルカは。マリィ、こんな恐ろしい男などはやめて、私の元へおいで」


「マリィ。ルネスはこんな軟弱な見た目で、相当な女好きなんだ。あまり見ると、マリィの清らかな瞳が穢れるから、近づかないようにするんだよ」


「ルカがこれほど饒舌に話しているところ、私ははじめて見た気がするね。マリィ、君の清らかさが、血に塗れた辺境の吸血伯の心を解きほぐしたのだね。ミュンデロットの青い薔薇は、視線だけで人を射殺すと評判だったルカをこれほど虜にさせるんだね。……私も、君の虜になってみたいな」


 にこやかに、臆面もなくルネス様は恥ずかしいことを言った。

 ルネス様の口調もどこか空虚で、どこまでが本気なのかまるで分からない。

 それは出会ったばかりの頃のルカ様にとてもよく似ていた。


「……ルカ様、私気付いてしまったのですけれど」


 私はルカ様の服をくいくい引っ張った。


「できれば気づかないふりをしていて。俺が誰を参考にしたかとか、そういう話は、また今度ね」


 ルカ様が少しだけ恥ずかしそうにしているのが面白い。

 ルネス様は私たちのやりとりを眺めた後、嬉しそうに微笑んだ。


「仲が良さそうで羨ましい。私も仲間に入れて欲しいな。駄目かな、マリィ」


「ルネス。マリィをマリィと呼んでいいのは家の者だけだ。勝手に親し気にするな」


「別にいいよね、減る物でもないし。ね、マリィ?」


 私はルカ様の背後から顔を覗かせてルネス様を見上げる。

 遠目に見た時は、こんな方だとは思わなかった。


「減るので、駄目です」


 構わないと言うと、ルカ様が悲しむので私はしっかり否定した。


「健気で可愛いね。益々欲しく……ルカ、そんなに怒った顔で睨まないでくれるかな。今日はめでたい婚礼の日でしょう。君たちをお祝いするために、私も一足早くかけつけたんだから」


「……ルネス。メルヴィルのことは、いいのか」


 小さく溜息をつくと、ルカ様が尋ねる。

 メルヴィル様の名前に私はぴくりと体を震わせた。

 ミュンデロット家にも、招待状を出してある。

 お父様のことはよくわからないけれど、クラーラならきっと、喜び勇んで私を貶めるために参加するだろう。

 でも、もう怖くはない。

 ルカ様のことだ、彼らを呼ぶには相応の理由があるのだろうし、私にはルカ様や鈴音や楼蘭がいる。

 クラーラやメルヴィル様が何を言っても、傷ついたりはしない。


「仕方ないね。……もう、終わってしまったことだからね。……罪は、罪。しかるべき罰を。それが王というものだよ」


「しかるべき、罰を……」


 ルネス様の言葉を繰り返した私をルカ様が振り返り、頬を撫でるついでに顔にかかった髪を耳にかけてくれた。


「マリィ。君の失ったものを、とりかえそう。……大丈夫。マリィは、俺の傍に居て」


 何かが、起ころうとしているのだろう。

 それがどんなことなのか、分からないけれど。

 私はルカ様の傍にいる。何が起こっても。

 何を言われても、何を見て、聞いたとしても。

 ルカ様を愛している、この心だけは、変わらない。



 鈴音に呼ばれて衣裳部屋で体の手入れをしてもらった後、絹の白い靴下と白い下着をつけた。

 ここに来たばかりの時よりも多少は肉付きの良くなった体は、発育は悪いなりにも僅かばかりの女らしさを取り戻していた。


 あまり体の曲線を出さない作りの白いドレスは、胸のすぐ下からふんわりと膨らんで長いレースが足元まで伸びている。

 たっぷりとした足元から優雅に長く伸びる布地は歩く度に形を変えて、寝室の天蓋に泳ぐ魚たちの姿を連想させた。


 頭の形に添った円状の髪飾りからは星のように赤い宝石が連なり揺れている。薄いヴェールが肩にさらりとあたるのが心地良い。


 顔の傷も、すっかり癒えた。

 鏡の中には、そこには自分で言うのは烏滸がましいのだけれど、ミュンデロットの青い薔薇の姿がある。


 在りし日のお母様も、きっとこんな姿だったのだろう。

 私は鏡の中の自分の顔をに手を伸ばして触れる。

 鏡の中からお母様が微笑んでいる気がした。


「マリィ様、なんてお美しい。……マリィ様がいてくれて、よかった」


 涙ぐんだ鈴音が、私の両手を握りしめる。


「私と楼蘭では、死に魅入られたルカ様を、明るい場所へと連れ戻すことはできませんでした。ルカ様は、寂しい方です。深い怒りと悲しみを、心の底に抱き続けていた。……それは、私も楼蘭も同じでした」


「鈴も楼蘭も、東国から亡命してきたのでしょう。辛く苦しい思いを、したのでしょう?」


「私には姉がいました。姉の名前は、鈴蘭。姉は私よりも力の強い魔女でした」


 鈴音ははじめて、東国に住んでいた時の話を私にしてくれた。

 私はその小さな声を聞き逃さないように、慎重に耳を傾ける。


「姉の血は、毒でできていたのです。蘭花の毒。その毒は、薬にもなりました。姉は自らの血を調合し、戦で傷を負って苦しむ兵士たちに与えていました。薬は痛みを嘘のように軽くしました」


「……毒が、薬になるのですね」


 ――病に臥せっていたお母様の体からは、気怠く甘い花の香りがした。

 鈴音の話を聞きながら、私はそんなことを思い出していた。


「はい。東国で大規模な魔女狩りが起こった時、姉は兵士に連れていかれました。魔女狩りは、魔女たちを暗殺者に仕立てあげるためのもの。魔女たちは従わず、皆その体を人体実験の材料にされたのです」


「……ルカ様から、聞きました。領土が欲しいというだけで、人はそこまで残酷になれるものなのですね」


 ルカ様の昔話は、本当に起こった話だったのだ。

 酷いことをする。胸が痛んで、私は俯いた。


「東国は、細々と暮らす分には過不足のない程度の場所なのです。豊かになりたいとさえ思わなければ。豊かな者が羨ましいと、妬まなければ。民はきっと安寧に暮らしていけた」


 鈴音は深く息をついた。

 それから窓の外へと視線を向ける。


「楼蘭は、姉の恋人でした。天上御殿に姉を助けに行った楼蘭は、そこで酷い光景を見たようです。鈴蘭は助けに行った時には既に死んでいたそうです。……私は力の弱い魔女でしたので、見逃されていました。けれど実験材料がなくなったのでしょう、やがて次の魔女狩りがはじまりました」


「そうして、鈴音は楼蘭と共に逃げてきたのですね」


「はい。……あとはお話した通りです。私たちはルカ様に拾われました。私と楼蘭は、鈴蘭を失った傷を埋めるように、夫婦になりました。私達には、お互いしかいなかったのです。亡くなった姉は、きっと私を恨んでいるでしょうね」


「そんなことはないと思います。……鈴。亡くなった方はきっと、残してきてしまった家族の幸せを願っている筈です。私のお爺様や、お母様がそうであったように、鈴のお姉様もきっと」


 鈴音は窓の外に向けていた視線を私に戻した。

 それからもう一度私の手を握りしめて、ぽたぽたと涙を溢した。


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