第42話 真夜中の違和感

 


 夜半過ぎに目覚めてしまったのは、このところ毎日隣にあった温もりが消え失せていたからだろうか。


 薄く開いた私は「ルカ様……?」と小さな声で呼びながら手を伸ばした。

 いなくなってからどれぐらい経っているのだろう。

 さらりとした手触りのシーツはつめたくて、人の気配さえ残っていなかった。


 月明かりが窓から差し込んでいる。

 自分の呼吸さえうるさいぐらいの静寂の中、私は体を起こした。


 暗闇に目が慣れてしまえば、星と月明かりだけで十分に夜目がきく。

 そろりとベッドから足を降ろして、羊毛でできた足首まである室内履きに足を通す。

 背中までの短いふわりとしたマントを羽織ると、私は部屋を出た。


 暗闇に支配された石造りの長い回廊は、遠い昔に眠りについた石廟の中に迷い込んでしまったようだ。

 むき出しの足がなんだか心許ない。


 ルカ様は夜中にひとりで起きることもあるだろう。

 例えば水を飲んだり、お酒を飲んだりもするかもしれないし、眠れないから本を読んだり、仕事をしたりするかもしれない。


 正面の執務室の扉を開いてみたけれど、誰もいなかった。


 ルカ様がどこかに行ってしまったからといって、探す必要はない。

 ひとりの時間を持ちたいのかもしれないし、探すのはかえって迷惑かもしれない。


 それでも部屋に帰り、ベッドに戻る気にはならなかった。


 昨日のエミリアさんのことが、思い浮かぶ。

 彼女はクラーラに、どことなく似ていた。

 もしかしたらエミリアさんは――ルカ様に会いに来るのではないのかしら。

 今日のことをルカ様に泣きついて、私を悪者に仕立て上げようとするのではないだろうか。



 クラーラが、メルヴィル様によくそうしていた。


『お姉様は嘘吐き』

『お姉様は酷い人』

『実の母親を亡くしたから、心を病まれている』


 幾度クラーラのそうした言葉を聞いただろう。

 メルヴィル様ははじめから全て信じていたわけではないと思うけれど、いつしか私が否定をしたり弁解をするほどに、クラーラの言葉は真実味を帯びてきてしまった。


 ――ルカ様も。

 ルカ様は私を大切にしてくれている。

 でも、もしかしたらという不安が影のように付きまとっている。


 信じたいのに。

 信じきれない自分が、嫌だ。


 今すぐベッドに戻って、何も気づかなかったふりをして眠ってしまえばいいのだろう、きっと。

 けれど、そんな気にはなれない。漠然とした不安が、私の足を寝室から遠ざけさせていた。


 城の中では私の知っている場所の方が少ない。

 一階に降りて調理場へと向かう。


 念のために確認してみたけれど、調理場にも食堂にも、ルカ様の姿はない。

 私は二階に登る階段のあるホールの前で足を止めた。


 ――か細い悲鳴のような声が、聞こえた気がした。


 ホールには二階に登る階段しかない。

 けれどその声は私の足元から響いている気がした。

 空耳かと思えるほどに小さな声だ。


 城に居るのが私ひとりじゃなかったら、ここまでの静寂があたりを支配していなかったら、きっと聞き逃していただろう。


 軽く唇を噛んだ。

 何かが――起きている。


 ルカ様が、長い時間私の傍を離れることなんて、今まで一度もなかったのだから。

 私は、何が起きているのかを知る必要がある。


 向き合わずに逃げ続けてしまえば、いつかきっと空虚さに心を蝕まれることになる。


 些細な嘘が、隠し事が、私とメルヴィル様の関係性を破綻させた。

 私はきっと変わらなくてはいけない。


 虚勢ではない強さを手に入れなくてはいけない。

 そうしなければ、ルカ様は私の目を両手で塞いで、私を全てから守ろうとし続ける。


 それではきっと、いけない。

 ――私はそれほど、弱くはない。弱くはなかった筈だ。


『誠実で優しく、凛としていて』


 お母様は最後に私にそう言った。

 誠実さとは嘘をつかないこと。

 優しさとは、全てを受け入れること。

 凛とするとは、折れない強さを持つということ。


 私は――そうなりたい。

 だから、気付かないふりをしてはいけない。目を背けてはいけない。


 二階に上がる階段の下の床や壁を探った。

 手のひらで質感を念入りに確かめると、階段の丁度裏側に壁と同化している扉があることに気付いた。


 鍵はかかっていない。

 開いてみると、小さな小部屋があった。

 殺風景な小部屋の奥に、もう一つの扉がある。

 音を立てないようにゆっくりと扉を開くと、階下に続く螺旋階段をみつけることができた。


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