第41話 魔女の話
ルカ様と楼蘭が王都から帰ってきたのは、翌日の夕方だった。
宣言通りの早いお帰りに驚きながらも、正面玄関まで迎えに行くと、ルカ様は私を抱き上げてくれた。
「マリィ、ただいま。会いたかった!」
嬉しそうな笑顔を浮かべて、ルカ様は言う。
「ルカ様、お帰りなさい」
出立前と変わらない様子のルカ様に、私は内心安堵していた。
ルカ様が王妃様の葬儀でメルヴィル様やクラーラに会っていたら、クラーラに何かを言われていたらと思うと、不安だった。
ルカ様が吸血伯という噂とは違い、容姿に優れた優しい方だと知ったら――クラーラは私から奪おうとするかもしれないと考えていた。
「マリィ、変わりはなかった? 大丈夫だった?」
「私は大丈夫でした。王都では何か問題はありませんでした?」
「特にはないよ。ルネスと話して、マリィとの挙式が一週間後に決まったよ。祭壇の準備も間に合いそうだ。招待状を送って、祝いの手配を整えよう。これでマリィと俺は正式な家族になれるね!」
「王妃様が亡くなったばかりなのに、いいのですか……?」
抱き上げられていた私は、床に降ろされると今度はぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
体の大きなルカ様にすっぽり抱き込まれながら、私は疑問を口にした。
「ルネスの即位の儀も行う必要があるし、いつまでも喪に服しているわけにはいかないからね。目立つ祝いごとは多ければ多いほどいいそうだ」
「そうですか……ルネス様はいらっしゃるのですか?」
「駄目だよ、マリィ。ルネスは独身だけれど、マリィは俺の奥さんになるんだからね? まさか、ルネス顔の方が好み、とか。ルネスの方が若いし……」
私が気になったこととは違う心配をルカ様がし始めるので、私はルカ様の服を引っ張った。
「違います、ルカ様。私はルカ様が好きです」
「マリィ……!」
ルカ様は感動したように私の名前を呼んで、更にきつく抱きしめてくる。
ルネス様のことは、一度遠目でお会いしただけなので、よく思い出せない。
美しい方だったという記憶はあるけれど、それだけで好きになったりなんてしない。
「ルネス様は、私に会いたくないだろうと思って」
「それはこちらの台詞だよ、マリィ。本当はマリィをルネスなんかに会わせたくない。可憐なマリィをルネスなんかに見せるのは勿体ない。マリィが減ってしまう」
「ルカ様、人に見られても私は減りません」
「いや、減る。俺が見る分が減る」
「……じゃあ、ルカ様の分が減らないように、どうぞお好きなだけ、沢山見てください」
なんだか気が抜けてしまって、私は少し笑った。
「四六時中いろんな角度から見ても怒らない?」
「怒ったりはしませんよ。お好きになさってください」
「じゃあ今日はもう何もせずにマリィを眺めていよう。可憐なマリィを見ていると、中央の貴族たちを沢山見てしまったせいで荒んだ心が癒されていくようだね」
「ルカ様は、社交の場に出るのがお嫌いでしたでしょう。王都までの往復でお疲れでしょう? ゆっくり休んでくださいね」
「うん、ありがとう。……楼蘭も、鈴音もありがとう。今日はもうさがっていい」
ルカ様に言われて、楼蘭と鈴音は立礼をした。「おやすみなさい」と私が言うと、二人とも優しく微笑んで「おやすみなさいませ、マリィ様」とかえしてくれた。
夕食は適当にすませてきたとルカ様は言った。
先に入浴をしていいといわれたので、お風呂をすませて白い頭からかぶるだけの寝衣に着替える。
ベッドに横になっていると、私の隣に滑り込んできたルカ様が私の体を抱き込んだ。
「ひとりにして、悪かった。心細くはなかった?」
「大丈夫です。鈴が一緒にいてくれましたから」
「鈴音がいても、俺がいなくて心細かったと言ってくれると嬉しいんだけれど……」
残念そうにルカ様が言う。
「……ごめんなさい、私……素直じゃないですね。ルカ様がいなくて、不安でした。寂しくて……心配も、していました」
正直にそう口にすると、ルカ様は嬉しそうに目を細めて、私の髪を撫でた。
私は――ずっと、素直ではなかったのだろう。
メルヴィル様に心を開かなかった。それはきっと、自分は一人で大丈夫だと強がっていたからだ。
今なら、なんとなく理解できる。
お母様が亡くなった時に現われたお父様に、子供らしく泣きじゃくって、悲しいと言っていれば、あそこまで酷い扱いを受けなかったのかもしれない。
激しい怒りと憎悪と、自尊心と矜持。
それが私から、素直さを奪った。
もう、やめよう。
気持ちを伝えることで何かが変わるのなら、意地を張り続けて失ってしまうよりはずっといい。
「……話はしなかったけど、メルヴィルにも会ったよ。随分と印象が変わっていたね」
「そうですか……」
「それから、マリィの義理の妹。……クラーラと言ったかな。ルネスと話をしていたら近づいて来たから、さっさと逃げてきた。心配しなくても大丈夫。何も、言われていないよ」
「はい……」
「俺のマリィが湖の妖精だとしたら、あれは……なんていうのかな、石の裏にこびりついている苔のようなものだね。俺は、あの女が嫌いだよ」
ルカ様はそうはっきりと口にして、私の形を確かめるように背中や腰を撫でた。
布越しに触れる無骨な手に、体が少し緊張する。
それと同時に、甘い痺れのようなものが、ぞくりと体を満たしていく。
「ルカ様……」
「……さぁ、マリィ。今日はそろそろ休もうか。……明日は久々にちゃんと仕事をしないといけないからね。挙式の準備というのは中々大変らしい」
「……はい」
少しだけ、名残惜しい。
目を伏せると、髪に口付けられるのが分かった。
「寂しい思いをさせたお詫びに、昔話の続きでもしようか。君が、望むのなら」
「はい……ルカ様の声、好きです。もう少し、聞いていたいです」
私は甘えるように、ルカ様の胸に頬を寄せる。
大丈夫だと自分に言い聞かせても、心には鋭い刃物で切り付けられたような傷が残っている。
エミリアさんに言われた言葉を、忘れることがなかなかできない。
ふとした瞬間に思い出してしまう。
ルカ様や鈴音を貶められた時に感じた激しい怒りが通り過ぎてしまえば、弱く無力な私が残る。
だから無性に――甘えたくなってしまった。
「……じゃあ話をしようか。……返事はいらない、眠ってしまっていいからね」
私は体の力を抜いた。ぱたりとベッドに落ちた手に、じゃれるように手のひらが絡みついた。
「――隣国は、黒い棺の国を攻め落とすことができませんでした。隣国は切り立った山ばかりの土地で、多くの兵士で一斉に攻めるということができませんでした。馬止めの柵に進軍を阻まれている間に、矢の雨がふりました」
東国では沢山の人が命を落としたのだろう。
戦争には多額の資金が必要だ。
武器を買い、軍を維持するだけでもかなりの費用がかかる。
その分のお金を自国の民のために使えばいいのに。
多くの領土を求めずに、今あるものだけを大切にしていたら、血が流れずにすんだのに。
「隣国は考えました。ならば内側から――壊してしまおうと。隣国には魔女と呼ばれる不思議な力を持った女が産まれることがありました。彼女たちは、人を助けるために力を使っていました。隣国の王は魔女たちに命じました。黒い棺の国の人々の中に紛れ込み、内側から崩壊させろ、と」
鈴音は、自分を魔女だと言った。
人見の力がある、と。それは人の真実を見抜くだけの力だという。
嘘か本当かを判別するだけのもの。
鈴音も王からそれを命じられたのだろうか。
だから、東国から逃げてきたのだろうか。
「魔女たちはそれを拒みました。王の命令に従わなかったのです。彼女たちは投獄されて、実験に使われました。そうして出来上がったのが、魔女とは名ばかりの、偽物の魔女だったのです」
偽物の、魔女。
それは戦争のために作られた、魔女のこと?
私はルカ様に尋ねようとした。
けれど「さぁ、おやすみ」とあまりにも優しい声でルカ様が囁くから、髪を撫でる手が心地よくて、深い眠りへと落ちていった。
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