第38話 嘲り

 

 ワーテルの街の大通りには沢山の商店が並んでいた。

 背の高い立木の並ぶ表通りには、カフェやパン屋や服飾店や靴屋等の看板を見ることができる。

 お城の主寝室で見たような東国の布地や、ルカ様がこのところ好んできている衣服、不思議な形をしたランプなどが売られている。

 金色の髪の人々に混じり、鈴音や楼蘭のような黒い髪と黒い目を持つ方々が通りを歩いている。


 王国の民もルカ様のように東国の服を着ていたり、東国の民が王国民のように首元や袖にレースがあしらわれた衣服を着ている。

 一見して人々の間には戦争の傷跡や、民族の壁などはないように見えた。


「マリィ様、今お金を払ってくるのでちょっと待っていてくださいね」


 袋に入った小麦粉を抱えて鈴音が言った。

 お菓子作りの材料を売っている店の店頭には、自家製のマフィンが並んでいる。


 ふんわり膨らんだマフィンには、チョコレートが入っているものや、木の実が入っているもの、ベリーが入っているものなど様々で、どれも美味しそうに見えた。


 店の奥で支払いをしている鈴音から少しだけ離れて、私は整然と並んでいるマフィンを観察する。

 メルヴィル様と参加した晩餐会などでは、こういったマフィンの上にたっぷりとしたバタークリームが乗っていた。


 勧められるままに一つだけ食べたけれど、舌が痺れるぐらいに甘くて、食べきるまでかなり大変だった。

 折角勧めて頂いた手前、メルヴィル様には気づかれないようにしていたけれど、そういった小さな嘘の積み重なりが私たちの関係を冷え切ったものにしてしまったのかもしれない。


 素朴なマフィンを眺めながら、私は考える。

 確かにクラーラのことはあったけれど、出会ったばかりのころのメルヴィル様はクラーラよりも私を優先しようとしてくれていた。

 心を開くことが出来ず、メルヴィル様の気遣いや優しさを頑なに拒絶していたのは私だった。


 私は――私の境遇を恥じていて、素直に助けを求めることすらしなかった。

 助けてと、一言伝えていたらなにかが変わっていたかもしれないのに。


「――あなた。あなたが、マリスフルーレ・ミュンデロットね」


 どこか高圧的な響きの混じる声音に、私はマフィンが並んでいるショーケースから視線をあげた。

 いつの間にか大通りの馬車用の広い道の端に、赤と金色の目立つ豪華な馬車が停まっている。


 私と馬車を挟んだ中央の私から一歩離れた場所には、金色の髪を結いあげてピンでとめるだけの小さな帽子を付けた、赤いドレスを着た美しい女性が立っていた。


 深い藍色の瞳を長い睫毛が縁どっている。

 桃色の唇はぽってりと膨らんでいて、化粧をしているのだろう、夜露に濡れたように艶やかだった。


 私と同年代か、少し年上のように見えた。

 女性が誰なのかは分からないので、私は返事に迷う。

 はっきりと身分を伝えるべきか、それとも隠すべきなのか悩んでしまい黙っていると、女性は痺れを切らしたように口を開いた。


「口がきけないの? 今のは質問ではなくて確認よ。あなたがマリスフルーレであることは、知っているもの。浮気者のマリスフルーレ。髪型を変えても服装を変えても、すぐにわかるわ」


 女性は筒状にまるめた新聞記事を手にしていた。

 端を掴んで広げると、――そこには、私の醜聞と姿絵が載っている。


 もうほとんど治っている顔の傷が、ずきりと痛んだ気がした。

 足を這う脂ぎった手の感触を思い出して、背中を吐き気がするほどの悪寒が走り抜ける。


「どうやって辺境伯に取り入ったのかは知らないけれど、節操のない女ね。メルヴィル様の婚約者でありながら、ダイス卿と不義を働き、ルカ様にも媚を売っていたということよね。その貧弱な体で――随分とまぁ、男が好きでいらっしゃること」


 女は新聞記事をもう一度くるくると筒状に丸めると、棒状になった記事の先端で私の胸を軽く押した。


 何か言い返さなければと思う。


 ――暴れるなと怒鳴られて、殴られたんだった。


 体を押さえつけられて、私は。

 あの時に戻ってしまったように、足が竦む。

 今はあの時じゃない。私には――ルカ様や鈴音や、楼蘭もいてくれる。

 そう自分を奮い立たせでも、呼吸が早くなるだけで言葉はなにひとつでてこない。


「使用人の服を着て歩き、憐れみでも誘っているつもり? そうして、ルカ様にも同情して貰ったのかしら。ルカ様は東国との和平を結んで、長年の戦乱を終わらせた英雄よ。あなたのような、――売女は、相応しくない」


「……それは」


 そんなことは、私が一番よく分かっている。

 私の傷が、ルカ様にいらない迷惑をかけてしまっている。

 女の言い分は、そう間違ってはいない。


「ダイス卿は、あなたと過ごした夜を――社交界で、面白おかしく話しているわ。マリスフルーレがどれほど淫らだったのかと、自慢げにね」


 私は息を飲んだ。

 そんな嘘を、どうして――。

 私は、理解していなかった。あのことは、私とミュンデロットの関係は、全て終わったというわけではないのだと。

 ルカ様の元に来ても、私の名は私の知らないところで、勝手に貶められている。


「あなたはメルヴィル様の悪口をよく言っていたらしいわね。第二王子メルヴィル様よりも、結婚するなら第一王子ルネス様が良かったと。恥知らずもいいところだわ」


「そんなことは言っていません。私は、卿と関係を持ったことも、一度もありません」


 女の言葉に聞き覚えがあった。

 あれは私のデビュタントの日。

 クラーラと義母アラクネアが話していた。

 クラーラは、結婚するなら第一王子のルネス様がいいと言っていたんだった。


「あなたの言葉を一体誰が信じると言うのかしら! ミュンデロット公爵家は、メルヴィル様とクラーラ様が無事に継いだわ。恥知らずのあなたは塵のように捨てられるはずだったのに、ルカ様を騙して取り入ったのね」


 嘲る言葉が、心を突き刺す。

 女の言葉よりも――蘇る記憶が、私の足を震わせる。


「その貧弱な体でルカ様を篭絡して、ゼスティア辺境伯家を乗っ取るつもりなのでしょう。私のワーテルの街を穢すことは許さないわ!」


「私はルカ様に救って頂きました。感謝をしています。もし私の存在がルカ様の足枷になるのなら、私は素直にここを出ていきます」


 そうだ――私は。

 ずっと、甘えていた。ルカ様の優しさに。

 私は、ルカ様に迷惑をかけることしかできないのに。


「じゃあ、さっさと出ていきなさい! ルカ様だって本当は迷惑だと思っているわよ。だから、あなたを王妃様の大切な葬儀の場に連れて行かなかったんでしょう? 公の場に連れて歩くのが恥ずかしいからだわ」


 それは、違う……!

 ルカ様の気づかいや優しさまでもを貶められたような気がした。

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