第36話 出立
悲報が届いた翌日、王都への出立の準備を整えたルカ様と楼蘭の見送りに、鈴音と共に向かった。
「マリィ、行きたくないけど行ってくるね」
「はい、お気をつけて」
まだ朝靄のかかる街はしんと寝静まっている。
城の正面門の前には、武骨な黒い馬車が停まっている。
ルカ様に長い間、私を名残惜しそうにきつく抱きしめていた。
「あぁ、行きたくない、本当に行きたくない」
「ルカ様、気を付けていってきてくださいね」
王妃様は、国王ディーア様を亡くされた悲しみで体調を崩されて、そのまま帰らぬ人になってしまった。
お母様も――お父様に裏切られて、心を病んで寝ついてしまった。
王妃様も同じ。
強すぎる感情は、心を蝕むのだろう。
もしかしたら私とメルヴィル様のことも、その心労の一因になってしまったのかもしれない。
申し訳ないと思う。心の中で謝罪することしかできないけれど。
「マリィと離れるのがつらい」
「ルカ様……あの」
「うん。何でも言って。不安があれば、なんでも」
私は自分の体を押し付けるようにして、ルカ様に抱きついた。
「葬儀には、メルヴィル様や、ミュンデロットの家の者たちが、参列すると思います。……ルカ様は、私のことを、嫌いになってしまうかもしれません」
いつも、そうだ。
クラーラの言葉で、簡単に皆惑わされてしまう。
私は最低な女だと――皆が思い込む。
「大丈夫。……マリィ、大丈夫だから。彼らに会った俺が、彼らを切り殺さないことを祈っていて」
ルカ様の声が僅かに低くなる。
いつもは大仰な仕草の多いルカ様だけれど、時折全ての感情を削ぎ落としたような声音になることがある。
なんとなくだけれど、私はそれが本当のルカ様だろうと思っている。
ルカ様には、言ったことはないけれど。
鈴音がルカ様を寂しい人だと言っていたように、ルカ様には何か――口にできない傷があるのだと思う。
たぶん、私と同じように。
けれど無闇に、不躾に傷に触れる必要はない。
ルカ様もミュンデロット家でなにがあったか、私から聞き出そうとしたりはしない。
その口ぶりからある程度のことは知っているのだろうと、予想はできたけれど。
強引に聞き出そうとはせずに、ただ傍にいてくださる。
それだけで、私の心はずいぶん軽くなった。
失うことを恐れていた私だけれど――ルカ様は、時間は沢山あると言ってくれていて、私も最近それを信じられるようになってきている。
「マリィ。きっと、愚かなミュンデロットの簒奪者たちは、堂々と葬儀の場に現れるだろう。メルヴィルは、正式にクラーラと契り、ミュンデロットを継いだらしい」
「そうですか……」
私はルカ様の胸に顔を埋めながら、小さく頷いた。
ミュンデロット家はメルヴィル様とクラーラのものになった。
あの場所には私のものは、私の大切だったものは何一つ残っていない。
私の居場所はルカ様の傍にある。
ミュンデロット家はずっと前から私の場所じゃなかった。
だから、大丈夫。私の心は、落ち着いている。ちくりと胸が痛んだけれど、それだけだった。
「マリィ。葬儀に参列して、ルネスと話をしたらすぐに戻ってくる。ミュンデロット家の者たちには、関わるつもりはないよ」
ルカ様は私を安心させるように、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
ルカ様は、不安は何でも口にしていいと言った。
――でも、これは、言ってもいいのだろうか。
面倒な女だと思われないだろうか。うるさいと、嫌われたりしないだろうか。
怖い。でも――言わないのはもっと怖い。
「ルカ様。私、怖いです。……私は、ルカ様を、クラーラに奪われるのが、怖い」
少しだけ体を離して私は小さな声で言った。
ルカ様の瞳が見開かれる。その口元が、だらしなく笑みの形に歪んだ。
「……マリィ!」
「……っ」
驚くほどきつく抱きしめられる。
痛いぐらいの力に、私は眉を寄せた。
「やっぱり行くのはやめよう! こんな可愛いマリィを置いて、王都になど行けない! 楼蘭、俺の代わりに適当に献花をしてきてくれ!」
「……ルカ様、流石にそれは駄目ですね」
楼蘭が深い溜息をついている。
何だか私の深刻な悩みが、ルカ様の態度を見ているととても恥ずかしい気がしてくる。
楼蘭の見ている前でただ単に惚気ているだけ、のようになってしまって私は頬を染めた。
「ルカ様、従者の身分では献花も、ルネス様と言葉を交わすこともできません。それに、婚礼の儀式の招待状も渡すのですよね」
楼蘭は、招待状と言った。
私は驚いて目を見開いた。それは多分、私とルカ様の婚礼の儀式だろう。
――王妃様が亡くなったばかりなのに。
それにルネス様をお呼びしていいのだろうか。
私が口を出せることではないのだけれど、メルヴィル様を裏切った私の婚儀に、メルヴィル様のお兄様であるルネス様が来てくださるとは思えない。
「楼蘭、そこをなんとか」
「なんともなりません」
有無を言わせない声音で楼蘭が答える。ルカ様は残念そうに溜息をついた。
「マリィ、ルネスとの話し合いを終わらせたら、俺とマリィの婚礼の儀式をワーテルの街の広場で行おうと思っている。広場に祭壇も作って貰っていてね」
「そうなのですね。嬉しいですけれど……ルカ様は、ルネス様をお呼びになるのですか?」
「まぁ、一応ね。俺の評判がどうであれ、ゼスティア辺境伯家は王家にとっては国境守護の要。ゼスティア辺境伯家にとっても、王家とはうまくやっていきたいし、招待状を送るのは一応、礼儀だから」
「相手が私なばかりに、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」
「迷惑だなんて! マリィはなんにも心配する必要はない。ただ俺の傍で穏やかに過ごしてくれたらそれでいいんだ。色々と遅くなってしまって、申し訳ないけれど」
「私のことは、気にしないでください。……こうしてここにいられるだけで、私は幸せですから」
「マリィ、さっさと献花を済ませて、ルネスと話をしてすぐに帰ってくるからね……! 今日の夕方か夜には必ず帰るから!」
ルカ様はそう力強く言う。
私はさすがにそれは、どんなに頑張っても難しいのではないかしらと思いながら頷いた。
「急がず、お気をつけて。私は大丈夫ですから」
「ルカ様、この鈴音がマリィ様の御身は必ずお守りします」
両手を胸の前で合わせる珍しい礼をする鈴音に、ルカ様は「頼んだ」と短く答える。
名残惜しそうに私から体を離して、額に軽く口付けるとルカ様は馬車で出立した。
私はできるだけ綺麗に微笑んでその姿を見送った――つもりだった。
笑うことは慣れないけれど、最近は鏡を見て練習などしているので、上手に微笑むことができていると思いたい。
私は鈴音と共に、馬車が見えなくなるまで正面門の前に佇んでいた。
「……マリィ様、今日ははりねずみまんじゅうでも作りましょうか! 甘いものを食べると、元気がでるのですよ」
不安が、消えたわけじゃない。
でもきっと、ルカ様はいつものように、戻ってきてくださる。そう、信じたい。
私の心情を察してか、鈴音が励ます様に言ってくれた。
「はりねずみまんじゅう?」
なんだかとても可愛い響きだ。私は、くすくす笑った。
鈴音も、安堵したように微笑んだ。
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