第34話 鳥肉団子のスープ
鈴音に料理を教えて貰ったり、皿洗いをしたり。
ルカ様のお仕事を手伝ったり、溜まっている書類を整理したり、本を分類ごとに分けたり。
そんなことをしていると、一日はあっという間に過ぎていった。
ルカ様と楼蘭と鈴音に見守られながら、私は毎日を過ごした。
日を追うごとに、ミュンデロット家の記憶が薄れていく。それと同じように、顔の傷も薄く目立たなくなっていった。
新しい生活に慣れ始めたある日。ある程度料理ができるようになったと自信がついた私は、鈴音に夜は一人でも大丈夫だとお願いをした。
「マリィ様、無理はしないでくださいね」
「大丈夫です。鈴音は、早く家族の元に帰ってあげてください。楼雅君が待っています」
鈴音と楼蘭の子供はまだ三歳。ロウガ君という名前だ。
まだ、会ったことはない。
「ありがとうございます、マリィ様。本当にお優しいですね」
楼蘭とともに自宅に戻る鈴音を見送った私は、調理場へと向かった。
今日は一人きり。ルカ様に、美味しい夕食を作って差し上げたい。
調理場に向かう私のあとを、「マリィ、どこにいくの?」と言ってルカ様がついてくる。
「あの、夕食を作ります。少し待っていてくれますか?」
「一緒に居たら駄目?」
「いいですけれど、少し、緊張します」
「そう……それじゃあ、離れていた方がいいのかな」
「一緒で大丈夫です。ルカ様、あんまり上手にできないかもしれませんけれど、見ていてくださいますか?」
「もちろん。ありがとう、マリィ。いつも、頑張ってくれて。本当は君がしなくていいようなことまで、してくれて」
「いいんです。この方が落ち着きます。……それに、楽しいんです。役に立てることが嬉しくて、楽しい。お礼を言いたいのは私の方です」
ルカ様も、鈴音も、私のやりたいと言ったことを尊重してくれる。
きっと、鈴音が行ったほうが早いこともあるだろうし、私に教えるのだって大変だろう。
それなのに、「助かる」「ありがとう」と言ってくれるのが、嬉しい。
調理場にあるテーブルの椅子にルカ様は座って、私を眺めている。
私は鳥のひき肉と長ネギを手にした。
「今日は、鶏肉団子のスープをつくりますね。あっさりしていて、多分美味しいと思います」
「マリィのつくったものならなんでも美味しいと思うよ」
にこにこしながら私を見ているルカ様の視線を気にしないようにしながら、私はお湯を沸かした。
鳥ひき肉の中に細かくした長ネギと生姜をいれてぐにぐにと混ぜ合わせる。
それを一口大にまるめて、沸騰したお湯の中にいれていく。
細かく切った長ネギをたっぷりいれて、お酒と乾燥スープを入れて味見をする。
「ルカ様、味見、してくれますか?」
「ん。いいよ」
「はい、どうぞ」
私はルカ様の前に、小皿にスープをいれて持っていく。
ルカ様は小皿と私の顔を交互に見て、不思議そうに首を傾げた。
「こういうの……はじめてだな」
「はじめて?」
「あまり、食事に興味がなくてね。鈴音が作ってくれて、食べろ食べろと騒ぐから、仕方なく食べていた。今までは。でも、マリィが作ってくれると思うと、特別に感じる」
「それは鈴に失礼というものですよ」
「ふふ、そうだね。マリィはまっすぐで、正しいね、いつも。とても、眩しい」
「……私、ルカ様に嫌なことを言ってしまったら、ちゃんと教えてください。……私は、正しいと思って何かを言って、いつも誰かを怒らせるのです。それは、いいことではありません」
「そうかな。俺にはマリィの言葉はとても心地いい。そのままのマリィでいて欲しい。君の言葉で怒るような者たちのことなど、気にする必要はないのだから」
ルカ様はそう言うと、椅子から立ち上がって私の髪を撫でた。
髪を撫でて、頬を撫でて、目尻に口づけが落ちる。
――こうして触れられたのは、最初の日の夜以来だ。
頬が染まるのがわかる。恥ずかしい――けれど、嬉しい。
「優しく誠実で、凛として美しい、俺の青い薔薇」
「……ルカ様」
いつかお母様に言われたことを思い出す。幼い日。お母様が亡くなる前。
最後に交わした言葉だ。
私は、お母様に言われたように――生きることができているだろうか。
「ありがとうございます、ルカ様。……ルカ様も、私の大切な方です。私の希望、私の光です」
「俺は……そんなにいい人間じゃないよ」
「ルカ様がそう思っていたとしても、私にとってはそうなのです。ルカ様がいらっしゃらなかったら、私はきっと……もう、いなかったでしょうから」
「マリィ……」
不意に手を引かれて、抱きしめられる。
きつく、強く。私はその背中に腕を回すと、ぎゅっと服を掴んだ。
「君は、あたたかいね、マリィ。あたたかくて、小さい。……こんなに小さな体で、苦しみを全て受け止めてきたんだね」
「ルカ様……私はもう、大人です。あまり子ども扱いしないでください」
「そうだね――分かっているよ。夜、君がいてくれる。俺と一緒にいてくれる。それだけで、暗いばかりだった黒い棺が、明るくあたたかく感じる」
「私も同じです。私もずっと、一人でしたから……ルカ様がいてくださると、それだけで心強いのです。本当はずっと、寂しくて、心細かったから」
そんな言葉――口にしたらいけない。
私は強くなくてはいけないとずっと、自分に言い聞かせてきた。
けれど今は、素直に口にすることができる。私は強くない。
でも今は、鈴音や楼蘭や、ルカ様がいるから――寂しくない。
「あ……ルカ様、大変です……! お鍋がふきこぼれてしまいます!」
「もっと抱きしめていたい。駄目?」
「今は駄目です。また、あとで。たくさん抱きしめていいですから」
「わかった。約束だよ、マリィ」
ぱっと手を離してくれたルカ様の腕から出ると、私は吹きこぼれそうになっているお鍋を火から降ろした。
小皿のスープを味見したルカ様が「美味しいよ」と、褒めてくれた。
私はお鍋を持ったまま、振り返って微笑む。
「よかった! 私、たくさん料理を覚えます。ルカ様が、毎日の食事が楽しみになるぐらいに、美味しいものを毎日つくってさしあげますね」
「ありがとう。……とても、嬉しいよ」
ルカ様はそう言って、穏やかに微笑んでくれた。
それだけで、胸にふわりと花が咲いたように、喜びで満たされる。
あぁ――この日々がずっと続いてくれますように。
そう、願わずにはいられなかった。
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