第33話 朝の戯れ



 主寝室に戻ると、ルカ様はまだ眠っていた。

 私は白いエプロンを外して畳んで、ソファの片隅に置いた。

 それから大きなベッドに上がってルカ様の体を揺さぶってみる。


「……起きてください、ルカ様。朝ですよ」


 私は誰かを起こした経験がない。

 これで、いいのかしら。どう声をかけたらいいのかしら。

 どうにも起こしているだけなのに――何故か気恥ずかしい。


「……マリィ」


 鈴音は叩き起こしていると言ったけれど、軽く揺さぶって声をかけただけで、ルカ様は薄く目を開いた。

 閉じられた瞼から、ルビーのような赤い瞳が覗くのをまじまじとみつめた。

 朝の光に照らされた赤い瞳は神秘的で、とても綺麗だった。


「マリィが……朝から俺の心臓に止めを刺しに……」


「ルカ様、ど、どうされたのですか? 私何かいけないことをしましたか? 起こしては駄目でしたか……?」


 目覚めた途端に胸を押さえて呻くルカ様を慌てて覗き込む。

 心配になって背中を摩ると、腕を軽く掴まれた。

 背中に柔らかい感触がある。ベッドの上に倒された私の上に圧し掛かるようにして、ルカ様が私を見下ろしている。

 圧し掛かるといっても重さはまるでない。

 体重をかけないようにしてくれているらしかった。


「可愛い、マリィ、可愛い……俺はこんなに幸せでいいのかな、マリィ……」


「ルカ様……」


 私はほっと息をついた。

 胸が痛いのかと、心配してしまった。

 お元気そうでよかった。


「メイド服を着ているマリィも可愛い……鈴音が着ているとなんとも思わないのに、マリィが身に纏うだけでまるで天使だね。やっぱりマリィは天使だった、そんな気はしていたんだよ」


「ルカ様、ただのメイド服です」


「メイド服の威力を、マリィは分かっていない……!」


 すごく力強く言われてしまった。

 私は困り果てて、ルカ様の服をくいくいと引っ張った。


「ルカ様、おはようございます。……朝食が出来たので、一緒に食べましょう?」


「……俺はもう少し、マリィを堪能したい……でも朝食も一緒に食べたい……どうしたら……」


「じゃあ、もう少し堪能してください。朝食はそれからにしましょう」


 私はルカ様に手を伸ばす。

 ルカ様は物凄く嬉しそうな表情を浮かべて、私の体を抱きしめた。

 首筋にぐりぐり顔を擦りつけてくるのが、なんだかとても動物っぽい。


「マリィは早起きだね。それにしても、どうしてそんな服を着ているの? まさか、鈴音に虐められたんじゃ……!」


「違います、鈴は優しいのでそんなことはしません」


 勘違いされたら困るので、私はきちんと言った。


「ごめんね、今のは冗談だよ。俺も鈴音のことは信用してる。マリィに、酷いことは絶対しないと思ってる」


「はい。あの、私……鈴に、頼んだのです。お城には人が少ないから、何ができることがあれば少しでも手伝いたいって」


「マリィはそんなこと気にしなくてもいいんだよ。もし気になるのなら、人を増やそうか」


「鈴が、ルカ様は人嫌いだと言っていました。……私もあまり賑やかなのは好きではないので、今のままの方が安心できます。……ルカ様が不自由を感じなければの話ですが」


「確かに鈴音の言う通り俺はあまり人が多いのが好きじゃないし、今までの生活を不自由だなんて思ったことはないよ。でも、マリィに気を遣わせるのはいけない」


 抱きしめられたままなのでルカ様の顔は見えないけれど、でもきっととても困ったような表情をしている気がする。

 低くよく通る声が、触れあった皮膚を通して伝わってくるのが心地よくて、私は目を細めた。

 しっかりした胸板に頬を擦りつけると、規則正しい鼓動の音が聞こえる。


「ルカ様、私がしたいから、そうしているんです。これは私の我儘です。……ルカ様は昨日、我儘を沢山言っていいと言いました。だから、許して欲しいのですけれど……」


「可愛い……俺は死ぬかもしれない……」


「今の話で、どうしてルカ様が死んでしまうのですか……? 滅多なことを言わないでください」


「マリィに注意された……はじめて注意された……怒った声も可愛い……」


 譫言のように繰り返すルカ様に、私は小さく溜息をついた。

 こんなに――大袈裟に好意を伝えてくれなくても。

 でも、嬉しいのは確かで、喜んでしまっている私がいるのも否定できない。


「あの、ルカ様。ルカ様を起こすのは私の仕事になりました」


「マリィ、毎日俺を起こしてくれるの?」


「はい。頑張りますね」


「……マリィが起こしに来るまで、俺は絶対に起きないことにするね?」


「たまには、お一人で起きて下さいね」


 妙な宣言をするルカ様を軽く咎める。

 ルカ様は、叱られたくてわざと子供みたいなことを言っているのかしら。

 そう思うと――私はなんだか面白くなってしまって、くすくすと笑った。

 ルカ様が「笑い声も天使だ」とか言いながらぎゅうぎゅう抱きしめてくるので、朝食に向かう時間が少しだけ遅くなってしまった。


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