第32話 豆腐のスープ

 


 調理場の隣の部屋は支度部屋なのだろう。

 クローゼットにメイド服が並んでいて、掃除用具や洗濯道具などが置かれている。


「本当はドレスを着て頂きたいのですけれどね」


 少し困ったように鈴音が言う。


「私、お手伝いがしたいのです。だから、動きやすい服の方がありがたいです」


「では、やはりメイド服ですね。動きやすいですし、どれだけ汚しても大丈夫ですし、何せマリィ様が着たら、とても可愛いと思いますので!」


「ありがとうございます。それでは、明日からはきちんと着替えてから、調理場に行きますね」


 ずらりと並んだメイド服は、今まで私が着ていたどの洋服よりもずっと輝いて見えた。

 それは多分、こんな私でも役に立てることが嬉しかったからだろう。


 鈴音とおそろいのメイド服に着替えた私は、白いエプロンをつけて調理場に立った。

 大豆を絞ったものを固めて加工したものが豆腐。

 それは街で売っているので大豆から作ったりなんてしないのだと、鈴音は得意げに教えてくれた。


「何事も、効率ですよマリィ様」


「効率、ですか」


「はい。楼蘭は、全て自分で作ってこそ――などと馬鹿げたことを言いますけれど、街のお豆腐屋さんで売っている豆腐や油揚げは、それはもう美味しいんです」


 ワーテルには東国の方々が多く移住をしてきていて、商売をしているので、お豆腐屋さんも何軒かあるのだという。


「毎日豆腐と油揚げ作ってる豆腐職人の豆腐の方が美味しいに決まってます。だから私は豆腐をいちから作ったりはしません」


「便利な世の中なのですね……」


 街の商店というものに行ったことがない私は、感心しながら鈴音の話を聞いていた。

 包丁で香草を切る手伝いをしたあと、小さく切った豆腐と三つ葉などの香草と水をお鍋にいれて火にかける。

 少し煮込んだところで、鈴音は大きめの瓶を棚から取り出してきた。


「いいですかマリィ様。料理初心者の味付けは、乾燥スープの素に勝るものなしです。はい、ご一緒に!」


「か、乾燥スープの素に勝るものなし……ですか……?」


 私は鈴音の言葉を復唱する。

 鈴音はこくこく頷きながら、瓶の中の乾燥した粉末を鍋に入れた。


「豆腐と乾燥スープの素。これだけで、お手軽な豆腐スープが出来上がります。もしマリィ様がもっと手の込んだものをルカ様に食べさせてあげたいと思うのなら、楼蘭に聞いてくださいね。あれは面倒くさい男ですから」


「……楼蘭は料理が得意なのですね?」


「得意というか、なんというか、楼蘭は蕎麦を粉から打つような男なんです。ルカ様には手料理が相応しいとかなんとか言うから、この間なんて血で血を洗う大喧嘩になりました」


「楼蘭と喧嘩に……!?」


 私はびっくりした。二人とも、大人だから喧嘩なんてしないと思い込んでいた。


「ええ。蕎麦なんて街の商店で打ち立ての蕎麦を買ってきて、茹でるのが一番美味しいんですよ。毎日蕎麦と向き合っている蕎麦打ち職人に、素人の楼蘭が勝てる訳がないでしょう?」


「血で血を洗ったのですか……」


 よほど激しい喧嘩だったのだろう。


「洗いましたね」


 鈴音は否定しなかった。

 蕎麦というものは食べたことがないけれど、きっととっても手の込んだ料理なのだろう。

 私は料理をしたことがないので、鈴音の教えてくれる料理は、私にもできそうだからありがたい。

 今日教えてもらったものなら、私でも明日も同じように作れる気がする。


「鈴、乾燥スープの素とは、どれぐらい入れたらいいんですか?」


「味見をしながら適当ですね」


「そ、そうですか……」


 私は頷いた。

 今日の豆腐スープの味をしっかり覚えておかなければ。私の味覚だけが頼りだ。

 出来上がった豆腐スープに新鮮な三つ葉を散らし、香味油を一回りかける。

 それだけで、美味しそうな豆腐スープが出来上がった。

 とてもいい香りがする。私は感嘆の溜息をついた。

 左程時間も手間もかかっていないのに、鈴音は凄いと思う。


「本当は油で揚げたパンなどを添えるんですけど、ルカ様は油っこいものが好きじゃないんですよね。マリィ様はいかがですか?」


「私も油がたくさんあるのは苦手で……これだけで十分です」


「嫌いでも、お肉など時々はしっかり食べないと駄目ですよ、マリィ様」


「努力します……」


 鈴音ににこやかに釘を刺されて、私は小さな声で返事をした。

 幼い頃こうやって食事について怒られたことは一度もなかったけれど――なんだかやっぱり、お母様みたいだなと感じる。少しだけ、くすぐったい。


「さぁ、朝食の支度が出来ました。マリィ様、もしよければ、ルカ様を起こしてきてくれますか? 毎日ルカ様を叩き起こす手間が省けるだけで、私はとっても助かります」


「はい……!」


 鈴音にお願いをされたのが嬉しくて、口元が勝手に綻ぶのが分かる。

 鈴音は優しく微笑んで、「これからは毎日お願いしますね」と言って私の背を軽く押してくれた。


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