第27話 薬膳粥と信じる心

 

 一階にある食堂の中心には、朱塗りのあまり見たことのない丸テーブルが置かれている。

 向かい合って座った私とルカ様の前に、鈴音と楼蘭が食事を運んでくれた。


 ルカ様が言っていた通り、本当に他に使用人がいないみたいだ。

 鈴音と楼蘭を使用人と言ってしまっていいのかは分からないけれど。

 人手がいないのに私の世話までしなければいけなくなったことを、申し訳なく思う。

 ――明日からは私も、働こう。

 お父様たちがミュンデロット家に来てからは、自分のことは自分で全て行ってきたのだし、こうして世話をしてもらうとどことなく落ち着かない気持ちになった。


「マリィは、ここにくるまで、あまり食べていないだろう? だから鈴音が薬膳粥を作った。でも、はじめて一緒に食べる食事にしては、少々地味かもしれない。けして歓迎してないとか、ゼスティア家が貧乏だとか、そういうことではなくてね」


 平皿には、白乳色の粥が並々とよそってある。

 真ん中に赤い実がひとつあるのが可愛らしい。

 粥の中には細かい薬草のようなものが、一緒に煮込まれている。

 けれど薬草臭さはまるでなくて、香ばしく、美味しそうな香りが立ちのぼっている。


「ルカ様、お心遣い感謝しています。私は豪華なお料理よりも、こうしたお食事の方が嬉しいです。……でも、ルカ様には、少し物足りなくはないのですか?」


「それはよかった! 俺の事なら気にしなくていいよ。元々あまり食べる事に興味がないんだ。鈴音には、感謝が足りないとよく怒られるよ。折角食事を作っても、俺が昨日何を食べたのかも覚えていないから、張り合いがないらしい」


「食事に、興味がないのですか?」


 私が首を傾げると、ルカ様は困ったような表情を浮かべて頷いた。


「どう言えばいいのか分からないんだけど、昔からあまり食べる事に関心がなくて。生きるためには必要だから口に入れることはするけれど」


 ルカ様の口調からは、悲しみも苦悩も感じられなかった。

 ただありのままの事実を言っているだけのように聞こえたけれど、私はなんだか不安な気持ちになる。

 ――何か、理由があるのかしら。

 それを私は尋ねても、いいのかしら。

 どこまで踏み込んでいいのか分からない。

 人と関わって生きてこなかったせいで、上手く人との距離がつかめずに結局黙り込んでしまう。


「冷めないうちにどうぞ、召し上がれ」


「ありがとうございます」


 ルカ様は黙り込んだ私を気にした様子もなく、にこにこと微笑みながら言った。

 私は頷くと、目の前の木製のスプーンを手にした。


 粥を口に運ぶと、薬草の香ばしい味と粥の甘く優しい味がする。

 はじめて食べた味だけれど、何故だかとても懐かしい様な気がした。

 胃の底に粥が流れ落ち、じんわりと体があたたまるのが分かる。


 ルカ様は召し上がらずに、私を嬉しそうに眺めている。

 食べているところを見られているのは、少しだけ落ち着かない。

 お母様がお亡くなりになるまでは、公爵令嬢としてマナーをきちんと学んできた。

 食べ方や、立ち振る舞いはきっと大丈夫だと思うけれど。


「おいしい?」


「はい。美味しいです。ローゼクロス王国の味ではない、気がします。……これは鈴の、東国のお料理でしょうか?」


「そうだよ。嫌ではなかった?」


「美味しいです。嫌とは、思いませんけれど……どうして嫌かと、聞くのでしょうか」


 これは尋ねてもいいのだろうか。

 分からないけれど、私は今までずっと誰かと会話することを拒んで生きてきた。

 お母様にお父様のことを尋ねず、お父様にお母様を苦しめた理由を尋ねず、メルヴィル様に私と結婚する理由を尋ねなかった。


 全て自分の中で勝手に想像して、勝手に解決してきてしまった。

 その結果、私は全てを失った。

 もしかしたら、きちんと話し合っていたら、メルヴィル様が私をミュンデロット家から救い出してくれたかもしれないのに。一度も頼ろうとしなかった。


 だから、ルカ様には出来る限り、自分の言葉を包み隠さず向き合いたい。

 ――それで嫌われてしまったとしても。

 私の両手にはもう何も残っていないのだから、失うものも守るものもなにも。


 もしまた、奪われてしまった時、再び何もしなかったことを後悔しないように。


「王国は長らく東国と戦争をしていただろう? 中央の貴族たちは、東国の民のことを東の蛮族と呼んでいる。マリィももしかしたら、東国を嫌っているかもしれないと思って」


「嫌う理由はありません。……私は戦地に赴いていませんし、直接危害を加えられたこともありません。鈴や楼蘭に会うまでは、東国の方に会ったこともありませんでした。……よく知らない方々のことを、嫌ったりはできません」


 確かに夜会では、大人達が世間話のように戦争の話をしていた。

 彼らは東国の人々を、蛮族と呼んでいた記憶はある。

 ――けれど、蛮族はどちらなのかしら。

 中央の貴族たちは戦争はまるで他人事だった。

 それどころか、国を守ってくれていたルカ様を悪しざまに言い、爵位を剥奪し投獄するべきだとまで言っていた。

 着飾り酒を飲み、豪華な食事を食べること以外になにもしていないのに。

 その間も敵兵を打倒してくれていたかもしれないルカ様の事を貶める権利は、彼らにはない。

 守られていることにさえ、気付かない人々だ。


「マリィ、君は本当に気高く聡明で……ゲオルグ様によく似ているね」


「お爺様ですか……?」


「マリィは、ゲオルグ様に姿かたちは似ていないよ? ゲオルグ様はお世辞にも可愛くも美しくもなかったからね」


 ルカ様が慌てたように否定した。

 私はまさかそんなことを言われるとは思わず、思わず口元をおさえて笑ってしまった。


「……我が家には、お爺様の姿絵ひとつ残っていないのです。だから、どんなお姿だったのか、知らなくて」


「ゲオルグ様は姿絵が嫌いだったんだよ。じっとしているのが苦手だと言ってね」


 ルカ様は懐かしそうに言った。


「そうだね、何と言えばいいのかな。……公爵というよりは、軍人、という感じだったかな。兎角戦うのが好きな方だったね」


「お爺様の書架には、兵法書も沢山ありました。……もう、燃やされてしまいましたけれど」


「ゲオルグ様の兵法書なんて貴重な物を、燃やすような馬鹿がこの世に存在しているんだね」


 私は一瞬唇を噛む。

 以前メルヴィル様にミュンデロット家の内情をお伝えしたときは、揶揄うなと言われてしまった。

 メルヴィル様を、怒らせてしまった。

 どうせ誰も信じてくれない。それからは、言ってもしかたないと、心のどこかで諦めてしまった。

 ルカ様は、私を信じてくれるのだろうか。

 伝えても、いいのかしら。


「……我が家の使用人たちが、……窓から全て庭に落として、燃やしたのです。……書架は、私が大切にしていたただひとつの場所でしたから」


 私は少し悩んだ後、口を開いた。

 ルカ様は私をきっと信じてくださる。私の無実を、信じてくれたのだから。

 そう自分に言い聞かせる。


「マリィ――誰が君を傷つけた?」


 ルカ様の声が、低くなる。

 感情が失われたように平坦で、冷酷さが滲んだ声音に、私は俯いていた顔をあげる。

 ルカ様は凍えるように冷めた瞳をしていた。

 その赤い瞳にあるのは、触れたら全身が切り裂かれてしまうような冷たさだった。

 とても原始的な恐怖に体が支配されるのが分かる。

 ――ルカ様のことは怖くない。

 けれど、まるで森の中で野生の狼に遭遇してしまったような、そんな緊張感が体を走った。


「……あぁ……俺としたことが。ごめんね、マリィ。俺はそれを知っているのに、君の口から言わせようとしてしまった。君の話が、聞きたいと思ってしまった。俺は、駄目だな」


 ルカ様は冷たかった表情を、柔和な物へと変えた。

 俯いて反省の言葉を口にするルカ様に、私は大きく首を振った。


「ルカ様、ごめんなさい。……私の方こそ、折角のお食事なのに、する話ではありませんでした」


「そんなことはないよ! 俺はマリィが、自分のことを話してくれて、嬉しい」


「……でも、あまりいい話ではありません。楽しくもないし、……ただ、辛いだけの、不愉快な話、です」


「どんな話でも、マリィがしてくれるなら嬉しいよ。それに俺は、君が思ったことや感じたことが知りたい。できれば、考えていることを、口に出してくれると有難い。俺は鈍感だし、できるだけマリィの気持が知りたいと思ってる」


 困ったように微笑むルカ様の表情は、優しさと気遣いで満ちている。

 けれど、その表情の下にはきっと先程の冷徹さも隠されているのだろう。

 ルカ様は何人もの敵兵を倒してきた方だ。ただ、優しいだけではないのは分かる。


「……ありがとうございます」


 小さな声で、何とかお礼だけを言った。

 それ以上の言葉は、喉の奥につまってしまって出てこなかった。

 気遣いが嬉しくて、今何か言葉を紡いだら、泣き出してしまうのが分かっていた。

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