第23話 久々の笑顔

 

 階段をあがって廊下を進み、大きな扉の前でルカ様は足を止めた。


「主寝室はここ。俺とマリィの部屋だね。一緒で大丈夫? もし嫌なら、別々にしても……本当は一緒がいいけれど、別々でもいいからね」


「できれば、一緒がいいです」


「本当? よかった! 悩んだのだけれどね、鈴音と楼蘭に、夫婦は同じ部屋で眠るものだときつく言われてしまって。もちろん俺も、一緒がよかったんだけれど」


「お二人はご夫婦で、お子様もいらっしゃるとか」


「そうそう。ワーテルの街に屋敷があってね、東国と和睦を結んでから鈴音が母を呼び寄せて、そこで皆で暮らしているよ。この屋敷で暮らせばいいのにと言ったんだけど、それではルカ様の婚期が遠のいてしまいますので、駄目です! と言われてしまって」


 ルカ様は鈴音の声音を真似して言った。

 女性のように高い裏声を出すのがあまりにも面白くて、私は少しだけ声をだして笑ってしまった。

 ――笑ったのはいつぶりだろう。

 口元を押さえて戸惑っていると、ルカ様が扉の前で私を抱き上げながらくるくる回った。


「マリィ! はじめて笑ってくれた! なんて可憐なんだろう!」


「ルカ様。扉の前でいつまで話をしているのですか。マリスフルーレ様が目を回してしまいますよ。あまり落ち着きがないと、ルカ様の手からマリスフルーレ様を取り上げて僕が運びます」


 楼蘭が、寝室の扉を開いてルカ様を叱った。

 低く落ち着いた声だったけれど、かなりの迫力がある。


「鈴音ならいいが、楼蘭は駄目だ。マリィに触れていいのは夫の俺だけだからな」


「いい年をして子供みたいなことを言うのはやめてください。それに僕は既にマリスフルーレ様に触れました。馬車まで運びましたから」


 持ち上げていた私をもう一度抱きなおして、ルカ様が言う。

 楼蘭の言う通り、くるくる回されすぎて少し目が回った。


「楼蘭、なんて狡いんだ……! マリィを最初に抱き上げたのが俺ではなくて楼蘭だなんて! 最初に抱き上げた記念日を俺から奪うなんて……!」


「ルカ様、いい加減にしてください。僕は既婚者ですよ。マリスフルーレ様に邪な気持ちを抱こうものなら、鈴音に殺されてしまいます」


「そうか……、確かに鈴音は怖い。それもそうだな。……騒いで悪かったな、楼蘭」


 鈴音はとても優しそうに見えるのだけれど、怖いのかしら。

 楼蘭が首を振ると、ルカ様はやや蒼褪めながら納得した。


「マリィ、鈴音は優しそうに見えるが中々気性の激しい女なんだ。楼蘭が浮気をしようものなら、あなたを殺して私も死にます、といって刃物を取り出してくるような性格をしているんだよ」


「それは……情熱的ですね」


「でも、安心して。女性には優しい。マリィのことを、俺の次に心配していたのは鈴音だったんだ」


「馬車の中でお話をさせて頂きました。鈴が、優しい方というのは分かります」


「そうか、よかった。信頼できる者に、マリィを任せたかったから、鈴音を気に入ってくれてよかった」


「ここには、僕と鈴音、そしてルカ様。昼間、掃除と洗濯に来てくれるご婦人が数人だけです。僕たちも夜には家に戻りますから、夜はルカ様だけしかいません」


 楼蘭がルカ様の後に続ける。


「マリスフルーレ様が不自由なさらないといいのですが」


「お気づかい、ありがとうございます。私はいいのですが、ルカ様はそれで、困ることはないのでしょうか」


 お母様の生きていたころの公爵家も人が少なかったけれど、それでも使用人たちは十人以上はいたように思う。

 夜一人になってしまって、大丈夫なのかしら。


「食事は鈴音が作っていて、夕食は毎日置いていくんですよ。食事さえ用意しておけば、あとはルカ様一人でなんとかなりますからね。鈴音は私はルカ様の母親かなにかだと思われていると言って、嘆いていましたよ。早く嫁を娶れと」


「早く娶らなくて正解だっただろう? マリィが俺の元に来てくれたんだから」


「それはそうですね。マリスフルーレ様、ふつつかな主ですがよろしくお願いします」


 得意げに言うルカ様を呆れ顔で見た後に、楼蘭は深々と頭を下げた。


「……気を使えない男たちは、どれだけ、牛歩で来たら気がすむのかしら。マリスフルーレ様は長旅でお疲れなのですよ。お風呂も沸いているんです。早く休ませてさしあげたいとは思わないのですか」


 苛立たしげな声が、部屋の中から聞こえる。

 部屋の中で腰に手を当てて胸をそらせながら、鈴音が怒っていた。

 微笑んでいて口調は優しいのに、はっきりと怒っていることが分かる声音だった。

 ルカ様と楼蘭は慌てたように部屋に入る。

 鈴音が怖いと言うのは本当らしかった。



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