第22話 ゼスティアの黒棺
私を抱き上げているのに、ルカ様はふらつくこともなく、しっかりとした足取りで階段をあがっていく。
逞しい体は硬くてとてもしっかりとしている。
どちらかといえば発育の悪い私は、ルカ様に抱き上げられると幼い子供に戻ってしまったような気持になった。
「マリィ、この無駄に広い屋敷には、俺と楼蘭と鈴音しかいなくてね」
「え……」
歩きながら話をしてくれるルカ様に、私は驚いて瞬きを数度繰り返した。
外観からして、このお城はとても広い。
それにルカ様は辺境伯。使用人がたくさんいるのが普通だ。
それなのに、三人しか住んでいないというのは――。
「貧乏だから使用人を雇えない、というわけではないんだよ。ただ、俺はあまり人が多いのが好きではなくて……あっ、マリィは別だからね! マリィなら、何人いてくれても構わない」
慌てたように付け加えるルカ様に、私は困ってしまって眉をよせた。
私は一人しかいない。今のところ。
でも、私は邪魔ではないのかと不安だったから、気を使ってくださるのがとても嬉しい。
「ワーテルの街の人々は、この館のことを黒の棺と呼んでいる。夜になると灯りが燈る部屋があまりにも少なくて、まるで石碑が沢山並んだ墓地のようだって意味なんだよ」
ルカ様は階段を上がりながら、陽気な声音で言う。
口元に笑顔を絶やさない方だ。
先程からずっと嬉しそうで、その明るい口調や、笑顔を見ていると、とても国境から幾度も東国の兵を退けた方だとは思えないぐらいだ。
「ルカ様にはご家族がいらっしゃらないのですか……?」
戦争で亡くしてしまったのだろうか。
「いないよ。でも、今日から俺と君と、二人だけの家族になる。俺は君よりも随分と年が上だから、嫌、じゃないかな。容姿は、どうにかする。髪型の希望があれば変えるし、服装も君の好みのものに変える。性格も何とかするから、なんでも言って欲しい」
ルカ様は真剣な口調で言った。
口を挟む暇がなかった私は、呆気にとられながらルカ様を見上げる。
ルカ様は十二分に素敵な方だ。
――むしろ申し訳ないのは私の方なのに。
きっと顔の傷もまだ癒えていないだろうし、手入れのなっていない肌や髪はぱさついていて、路地裏に打ち捨てられた襤褸屑のような姿をしている。
そんな風に言ってもらえるような価値なんて、私にはない。
もっと幼い頃は、ミュンデロット家を守ることができるのは私だけだという熱意と、激しい怒りが私を強く在らせてくれていたように思う。
――でも今は、それももう損なわれてしまった。
怒り続け憎しみ続けるには私は疲弊してしまっていて、慈愛と気遣いに満ちたルカ様の言葉でさえ卑屈に捉えてしまう。
そんな自分が嫌だ。
受け入れて貰って有難いのに、自己否定と嫌悪感に拍車がかかっていく。
「ルカ様。私は世間からは、淫乱な浮気者だと思われています。……顔立ちだって、体つきだっていいとは言えません。だから……私になど気をつかわなくても大丈夫です」
私は小さな声で続ける。
ミュンデロット公爵家の正式な跡取りだと、胸を張っていられたのはいつまでだっただろう。
本当は、弱くて。虚勢をはりつづけていただけなのかもしれない。
与えられた屈辱や暴力と共に、私の中にあった大切な何かが損なわれてしまったみたいだ。
「ミュンデロット家から、あの場所から私を救って下さった。それだけで、十分です。だから、私のことなど構わず、捨て置いてくださって構いません」
「マリィ、自分を自身の言葉で貶めてはいけないよ。俺の目に映る君は、一人きりでずっと戦ってきた勇敢な女神のような、とても美しい姿をしている。俺がこうして触れることが勿体ないぐらいに、君は美しい」
ルカ様は先程とはまるで違う落ち着いた声音で私を諭したあと、表情を曇らせた。
「それにあのような、醜悪な記事……許せない」
ベッドに押さえつけられ、殴られたあとの私の乱れた姿を模写した絵。
ルカ様はあれを見たのだろう。
胸の奥が痛む。あの時の記憶は、脳裏ずっとこびりついて離れてくれない。
私はそっと目を伏せた。
「あの記事を書いた者たちの商売の許可を、俺の領地では取り下げた。記事は朝のうちに出来る限り回収して、燃やした。本当に、最低で腹立たしい」
酷く冷たい声で、ルカ様は言った。
陽気さも、無邪気さも消えてしまって――そこには、私の想像していた吸血伯がいるように思えた。
ルカ様の中に、何人ものルカ様がいるみたいだ。
けれど――どの言葉も、私にとってはありがたいものだった。
「マリィ、これからは俺がマリィを守る。だから、もう大丈夫だ」
真剣な声音で、真摯な瞳でそう告げられる。
「……ありがとうございます」
かつて、婚約者だったメルヴィル様も、私に同じようなことを言った気がする。
けれどメルヴィル様はすぐにクラーラの虜となった。
私が大切だと思ったものは、大切だと思おうとしたものは、全て奪われてしまう。
そして私の手には何一つ残らない。
ありがたいのに、嬉しいのに。上手く微笑むことはできなかった。
ぎこちなく礼を言った私に、ルカ様がとても優しく微笑んでくれる。
まるで、全て分かっているから大丈夫だと言われているかのようだった。
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