第21話 辺境伯ルカ・ゼスティア

 


 馬車は街を通り過ぎていく。

 街角では色取り取りの布や、見たこともないような装飾品やランプ、東国のものと思われる衣服なども売られている。石造りの街にそれはとても鮮やかに映えている。

 やがて馬車は、大きな建物の前でゆっくりと止まった。


 ゼスティア辺境伯邸は、鈴音が『城』と言っていたように、確かに大きな黒い城だった。

 外壁に囲まれた街の中にあって、さらに高い城壁に囲まれている。


 黒と灰色の石でできていて、いくつかの尖塔がある。

 ミュンデロット公爵家がそのまま二つや三つ入りそうなぐらいに広大な敷地の中に立つ巨大な城だ。


 楼蘭が馬車の扉を開くと、鈴音が先に降りる。

 二人が夫婦だと聞いたあとでは、並んで何かを話している二人の間に、どことなく親密な空気が流れているような気がする。

 馬車を降りていいのか迷っていると、私を呼ぶ大きな声が聞こえた。


「マリスフルーレ!」


 声の方向へと視線を送る。

 濡れた烏の羽のような黒髪に、赤い目をした男性がこちらにやってくるのが見えた。


 黒い髪は真っ直ぐで、長い前髪が半分顔にかかっていて、もう半分を耳にかけている。

 目尻が少し垂れているせいだろうか、優しげな顔立ちの美しい男性だ。

 軍服といえばいいのだろうか、装飾の少ないかっちりとした服に身を包んでいる。


 余計なものを削ぎ落としたように精悍で、今まで見た誰よりも綺麗な男性だった。


「マリスフルーレ! 長旅で疲れただろう、よくきてくれたね、嬉しいよ! 俺はルカ・ゼスティア。はじめまして」


 吸血伯。誰よりも強く冷酷な、辺境伯。

 私が何度も夢に見た、死神の姿。

 けれど――ルカ様は、満面の笑みを浮かべて、快活な声でそう言った。


「はじめまして、ルカ様。マリスフルーレ・ミュンデロットと申します」


 私が淑女の礼をすると、ルカ様は興奮したように赤い瞳を見開いた。


「マリスフルーレが俺の名前を呼んでくれた! 鈴音、聞いたか、マリスフルーレが俺の名前を! 今日の日付と時刻をきちんと記録しておくんだよ。記念日にするから」


 私は瞬きを何度かしながら、ルカ様の顔を見上げる。

 快活な声音に、よく変わる表情。明るく無邪気な方という印象だ。

 どことなく冷たそうな色合いをした見た目とも、噂ともまるで違う。


「ルカ様、落ち着いてください」


「ルカ様、マリスフルーレ様が戸惑っておりますよ」


 楼蘭と鈴音に咎められて、ルカ様ははっとしたような表情を浮かべる。


「ごめん。嬉しくて、つい。マリスフルーレ、抱き上げても?」


「はい……」


 断る理由はないので、私は戸惑いながらも頷いた。


「いいの? 本当に? 俺が触ってもいいのだろうか、本当に?」


「は、はい。もちろんです」


「ありがとう!」


 抱き上げるのに許可を取る必要はないのだけれど、ルカ様があまりにも遠慮するので私は大丈夫だと言う意味を込めて両手を広げた。

 ルカ様はそれはもう嬉しそうに微笑むと、私を抱き上げてくださる。

 そもまま城の中に入ると、エントランスでくるくると何回か回った。


「ルカ様、やめてください。マリスフルーレ様が困惑しています」


「鈴音! 今の時間も記録しておいてくれるか? 初めて抱き上げた記念日にしょう!」


「全部記録しておいてあげますから、ルカ様はマリスフルーレ様をお部屋に連れて行ってくださいね! 私たちは先に戻って準備をしていますから、あまりマリスフルーレ様を困らせないでくださいね!」


 鈴音にややきつい口調で言われても、ルカ様はあまり聞いていないようだった。

 鼻歌混じりに私を抱き上げながら、エントランスを抜ける。

 広いホールには、いくつかの階段がある。

 とても広いけれど、飾り気のない室内だ。明かりとりの窓から、陽光が注いでいる。


「マリスフルーレ。マリスフルーレ……マリィとよんでもいいかな?」


「はい。お好きなように」


 私は頷いた。

 懐かしい響きだ。お母様は私のことを、そう呼んでいた。


「ありがとう、マリィ。いらっしゃい、俺の可愛い花嫁。花嫁でいいんだよね? 大丈夫? 俺のこと、一目見た瞬間から嫌いになったりはしていない?」


「していません。……ルカ様のように素敵な方が、何故私なんかに手を差し伸べてくださったのか、疑問に思うばかりです」


「それは君が欲しかったからだよ。欲しくて、ミュンデロット公爵から買い上げたんだ。あっ、違うんだよ、マリィ。金で買いたかったというわけじゃなくて、他に円滑にことを進める方法が見つからなかったからで……!」


「大丈夫です、分かっています。……そうではなくて、昨日の、私の醜聞は知っていますでしょう?」


「その話はまた今度ゆっくりしよう。時間は沢山あるんだし、君には休息が必要だ。さぁ、行こう。まずは主寝室に案内しよう。鈴音が苛々しながら待っていると思うからね」


 ルカ様はにこやかに優しく言って、階段を上がる。

 私は抱き上げられたまま、これは夢なのではないかと考えていた。

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