第20話 水の都ワーテル
辺境の街は深い森の手前にある、高い壁に取り囲まれている大きな街だった。
頑丈そうな石造りの壁にはいくつかの門がある。
壁の手前には街を取り囲むように堀があり、清廉な水が溜まっている。堀に繋がる川には大きな水車小屋がいくつもあり、水車がゆっくりと回っている。
堀には橋がかけられて、門と繋がっている。
目を覚ました私は、橋をゆっくりと馬車が通り抜けるのを眺めた。
「王都ほどではありませんが、辺境の街も立派でしょう。辺境の街ワーテル。水の都という意味ですね」
「水の都……」
鈴音の説明に、私は頷いた。
確かに、豊かな水に守られている街、という感じがする。
「ゼスティア辺境伯の館は街の奥にあります。東国とは先の戦いの後、和平を結びましたので、ルカ様はやっと腰を落ち着けて館でお仕事をすることが多くなりました」
「国王様が、矢傷を負ったという?」
「ええ、そうです。そこまで深い傷ではないとルカ様は言っていたのですけれど、お亡くなりになってしまったのですよね……」
「そのようですね。傷口から、毒が回ってしまったとか」
気の毒なことだと思う。王妃様も体調がすぐれないというし――王妃様は私の恩人だ。できればご快癒なさって欲しい。
「東国との戦も、しばらくは起こらないとは思いますから、マリスフルーレ様、ご安心を。もし起こったとしてもルカ様はお強いですからね、きっと大丈夫だと思いますが」
「……東国との和平を結んだ、英雄なのですよね。本当は、英雄として表彰されるべきなのでしょうけれど」
ルカ様が王都にいらしたという話は聞いていない。
表彰を受けたという話もなかったように思う。
「ルカ様はそういったことがお嫌いで……お嫌いというか、興味がないのだと思います。戦乱時は戦場で陣を敷いて天幕で過ごしますが、今はずっとお城に。あまり外に出たがらないのですよ」
「そうなのですね。……私、ご迷惑ではないでしょうか」
人が嫌いな方なのかもしれない。
だとしたら、私がお傍にいるのは嫌ではないのだろうか。
「とんでもない! ルカ様はマリスフルーレ様がいらっしゃるのを、今か今かと待っていると思いますよ」
私は「そうだと、嬉しいです」と答えて、もう一度窓の外を見た。
公爵の庭や窓から見る景色は平和そのものだった。
けれど辺境の街は、戦争に備えているためか街全体が要塞のように見えた。
「水の都というのは、街を水が取り囲んでいるからですか?」
「それもありますけれど、ゼスティア領は水脈が多いのです。街の中には井戸も多くて、水路も多く作られています」
馬車は門をくぐり、街の中を抜けていく。
鈴音の言った通り、水路が至る所にあって、橋がかかっている。
どの水路も、美しい水が流れているようだった。
「外観は無骨ですけれど、街の中は綺麗なんですよ。最近では東国との貿易もはじまって、仕事を求めて移住する者も増えてきました」
「和平をしてから間もないのに、軋轢はないのでしょうか」
「辺境の街の人々は、長い間続いた争いに疲弊しているのです。それは東国の人々も一緒です。戦うのは兵士。命じるのは王。庶民は、巻き込まれるばかりです」
「そうですね……」
「最初は、お互いに思うところはあったでしょうし、今でも思うところはあるのでしょうけれど、おおむね平和に過ごしていますね」
私は頷いた。
わだかまりがないわけではないだろう。けれど――生きることのほうが大切なのだ。
みんな、日々の糧を得るために、感情を抑えつけて必死に生きている。
私は一体何を悩んでいたのだろうと、恥ずかしくなるほどに。
「……王都の夜会に集まる貴族たちが、話していた噂とはまるで違います。信じていた訳ではありませんが、ここまで違うと……」
「街には死体が溢れてるとか、肉片がそこら中に散らばっているとか、ルカ様が血を飲むとか。衛生的ではありませんね。本当にそうだとしたら、街には病気が蔓延してしまいますよ」
鈴音はあまり気にしていないようにそう言って、笑った。
「ワーテルの人々は綺麗好きですし、街には水源が豊富なので、もしそうだとしたらきちんとお掃除をします。……まぁ、街にまで敵兵が攻め込むということは、ないのですよ。ルカ様がいらっしゃいますから」
「ルカ様は……どのような方なのでしょうか。……どうして、私を。……私の醜聞は、ご存知ですよね」
「それは、直接聞くのが一番いいと思います。私が勝手にペラペラと喋ったら、ルカ様は嫌がるでしょうし」
それもそうかと思い、私は口を噤んだ。
殴られたのは昨日。まだ、頬が痛む。
鏡を見ていないからわからないけれど、きっと腫ていることだろう。
こんな状態でゼスティア辺境伯に会うのかと思うと、不意に情けなさが胸にこみ上げてくる。
「ルカ様は、朝の新聞記事を見て大層お怒りになっていらっしゃいました。ゼスティア領に売られたものを全て集めて燃やすようにという令を出し、販売した新聞社の特定をして出入り禁止を命じました。……ゲオルグ・ミュンデロット公爵の孫娘であるあなたを貶めた罪、必ず死をもって償わせます」
鈴音はにこやかに微笑んだまま、怒りに満ちた言葉を紡いだ。
あぁ、怒ってくれている。
私のために、私の受けた仕打ちについて、憤ってくれている。
そのありがたさに、涙がこぼれそうになる。
人の優しさとは、こんなにもあたたかいものだっただろうか。ずっと、忘れていた。
「実を言えばルカ様があなたを迎えにいかなかったのは、私達が止めたのです。……ルカ様が今ミュンデロット公爵の姿を見たら、きっと斬り殺してしまうでしょうから」
「そんなに、怒ってくださったのですね……」
私が、辺境の街では英雄と言われているゲオルグお爺様の孫娘だから。
顔も、見たことがないのに。話したこともないのに。
「ええ。けれど、きちんとした手順を取らない断罪は、ただの殺人になってしまいます。法に基づき裁かれる主などは見たくないので、城で我慢して貰っているのです」
私は小さく頷いた。見ず知らずの私のために憤っていただけるほどに、お爺様とは、それほどまでに立派な方だったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます