第16話 挙式での罠
隣国の東国との大規模な戦闘が、国境付近であったのは私がメルヴィル様と婚約してから一年と少しした後のことだった。
私はもうすぐ十八歳。
もう大人に近い年齢なのに相変わらずの日々を過ごしていて、切ることのできない髪はさらに長くなって膝の辺りまで届いて邪魔だった。
メルヴィル様との結婚が決まったのは、国王であるディーア様がお亡くなりになったからだった。
国境の戦闘に軍を率いて参加されていた国王様は、流れ矢に当たってしまったらしい。
その傷から毒が周り、長らく伏せっていたけれど回復はなさらなかったそうだ。
王妃ロゼッタ様は国王を亡くされた悲しみから体調を崩されてしまい、王位に第一王子のルネス様がつくことになった。
メルヴィル様がミュンデロット家に婿入りするのは、王位継承を巡っての派閥争いが起こるのを避けるためである。
東国との戦争と和睦、その後の片付けで忙しかったのだろう、メルヴィル様とは随分と会っていなかった。
正式に結婚したら、何か変わるだろうか。
お父様からの連絡を受けた後、私はベッドで膝を抱えて座りながら、ぼんやりと考えていた。
手入れをしていない私の手は、夜の洗濯や掃除のせいで肌荒れがひどい。
髪は長いだけで艶もなく、着る服もないので、洗って着古したクラーラのお下がりを身に纏っている。本当に天井裏に住み着いた鼠そのものだ。
こんな私が、結婚をする。
結局メルヴィル様には嫌われてしまって、和解もできないまま会えない日々が続いているのに。
――中庭には沢山の来賓の方々が集まっている。
国王が亡くなり王妃様が伏せっている状況で、王国民たちに明るい話題を届けたいのか記者の方々も来賓の貴族たちに混じって何人か訪れていた。
婚礼用の白いドレスを着せられて、私はメルヴィル様の隣に座っている。
中庭での立食パーティだった。
今日は皆に婚礼を伝える披露宴で、正式な婚礼の儀式は明日行うことになっている。
アラクネアはお父様がいるのに相変わらず貴族の男性を何人も近くに侍らせていて、お父様は他の方々とお酒を飲んでいた。
クラーラは薄い桃色の豪華なドレスを身に纏っていて、記者の方々に取り囲まれていた。
クラーラにはまだ婚約者はいない。誰かと結婚する気はないのかと尋ねられて、「お姉様が幸せになってくれなければ、心配で結婚する気にならないのです」とよく出来た妹を演じているようだった。
メルヴィル様は口数が少なく、私に視線を向けることもほとんどなかった。
いつか誤解がとけるだろうか。私の言葉が真実だと、分かって頂けるだろうか。
もう少し、話をしたい。
クラーラに邪魔をされない場所で。きちんと。
結婚をすればきっと、そんな機会もあるはずだ。
そうしたらもう少し――仲良くなれるだろうか。
私はそんなことを考えながら、メルヴィル様の隣に大人しく座っていた。
祝いの祝辞が述べられて、祝杯のお酒がグラスに注がれたのは数刻前。
残すのは失礼にあたるので、飲み慣れていないお酒を一息に煽った。喉が焼けるように熱かったのを覚えている。
それが悪かったのだろうか。
頭がぐらいついて、座っていられないぐらいに気分が悪い。
「……少し、気分が悪くて。申し訳ないのですが、少しだけ中で休みます」
隣の席で祝いの言葉に礼を返しているメルヴィル様に、私は告げた。
メルヴィル様は軽く頷いただけで、声をかけてくれるようなことはなかった。
中庭からなんとか屋敷まで戻る。
屋根裏部屋ぐらいしか休める部屋が思いつかなかったので、廊下に手をつきながらふらふらと歩いて、階段を登ろうとした。
不意に強く手を引かれたのは、そんな時だった。
混乱した頭で状況を把握した時にはすでに、私は来客用の部屋に押し込まれベッドの上に押し倒されていた。
「痛……っ」
ぐるぐると世界が回っている。
気持ちが悪い。
私の上に覆いかぶさっているのは、知らない男だ。お父様と同じぐらいの年齢に見える。
「嫌ぁ……ッ!」
私は悲鳴を上げて、じたばたと両足を動かした。
私にできる抵抗はこれしかない。両手はひとまとめにされて押さえつけられていて、白いドレスの隙間には男の足が入り込んでいる。
「暴れるな!」
男が怒鳴る。
頬に重たい痛みが走る。殴られたのだと、分かった。
怖くて、苦しくて、気持ち悪くて、痛くて、悔しい。
誰なのかは分からない。
私が男だったら。
私に力があれば。
こんなふうに、好きなようにされたりはしないのに──!
お母様が亡くなってから今までのことが、めまぐるしく頭の中を過っていく。
お父様やアラクネアやクラーラに全てを奪われ、皆が寝静まった夜に残飯を漁り、冷たい水を浴びた。
逃げ出したかったけれど、ミュンデロット家を守れるのは私だけだと信じていた。
いつかは何かが変わると薄氷のような希望を抱きながら、必死にしがみついてきた。
でも、全ては無駄だった。
第二王子であるメルヴィル様の妻となる私に、狼藉を働こうと思うような愚かな貴族などは存在しない。
それならばきっと、これは全て最初から仕組まれたことのはずだ。
祝酒を一杯飲んだだけで気分が悪くなってしまった私が屋敷に帰ること、行き場がないので屋根裏部屋に戻ろうとすること、そこを待ち伏せしていたのだろうこの男。
――私はあっさりと罠に嵌ってしまった。誰の差し金かなんて、考えなくても分かる。
男の手が私のドレスをたくし上げる。足に触れられて、全身に悪寒が走った。
お母様が亡くなった時に死んでしまっていたら、どんなに楽だっただろう。
どうしてお母様は私を連れて行ってくれなかったのだろう。
涙が溢れて、零れ落ちる。抵抗をやめた私を男は見下ろして、下品な笑みを浮かべた。
「お姉様、お姉様、大丈夫ですか?」
場違いな愛らしい声が響いたのはそんな時だった。
扉には鍵はかかっていない。
あっさり開かれた扉の前にいたのは、雑誌記者を引き連れたクラーラだった。
「きゃああっ、お姉様! なんてことなの……!」
クラーラが大声で叫ぶ。
雑誌記者の方々が、部屋になだれ込むようにして入ってくる。
今の状況を、素早く絵に残している。カリカリと、黒檀が紙を引っ掻く音が響く。
「メルヴィル様という方がありながら、ダイス卿と不貞をはたらくなんて……! それも、こんな喜ばしい日に!」
ダイス卿という名前には聞き覚えがあった。
お父様と同じぐらいの歳の伯爵で、若い女性が好きで何人も妻を取り替えている方だと、いつかの夜会で噂話を聞いたことがある。
知り合いなんかじゃない。
この状況で、合意の上で不貞を働いていたと思うだなんてどうかしている。
「きっとお姉様はダイス卿が披露宴にいらしていたから、我慢できなかったのね! 可哀想なメルヴィル様……! あぁ、私はなんて説明してさしあげればいいの? 酷いわ、お姉様! 残酷過ぎます!」
クラーラが大声で騒いでいるのを聞きつけたのだろう、お父様やアラクネア、そしてメルヴィル様が部屋の様子を見にきたようだ。
私は天井を見上げてぼんやりしていた。
殴られた頬が痛く、触れられた肌が気持ち悪くて、今すぐ喉を切り裂いて死んでしまいたかった。
「マリスフルーレを部屋へ戻せ。披露宴は終わりだ」
お父様の厳しい声が聞こえる。
アラクネアとクラーラは雑誌記者相手に何かを喚き続けている。
使用人たちに抱え上げられて屋根裏部屋へと戻される私をメルヴィル様は冷たい瞳で睨んで、「娼婦め」と憎しみの籠った声で言った。
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