第17話 屋敷からの開放



 屋根裏部屋に閉じ込められた私は、ドレスを脱ぐ気にもならず、起き上がることもできずに、部屋に運ばれた時のまま、床の上で転がって只管天井を見上げていた。


 自然に息が止まってくれたらいいのにと思う。

 元々この体は、お父様の血が半分流れているから、穢れている。

 知らない男に殴られて打ち捨てられるのは、穢れた私には相応しいのかもしれない。


 ぱしん、と床の方で物音がしたから、緩慢に視線を向けた。

 そこにあったのは、新聞だった。

 新聞の一面に大きく、服を乱され、殴られ呆然としている私の姿が描かれている。

 その横には大きな文字で『ミュンデロット公爵令嬢の裏切り』と書かれている。

 私はこんな時だけ、ミュンデロット公爵令嬢扱いをされるらしい。

 ――あぁ、疲れてしまった。


 もう終わりにしたい。

 よろよろと私がベッドの上から起き上がったのは、新聞が投げ込まれてから数刻経った昼過ぎ。


 窓の外には明るい陽射しが差し込んでいる。

 冬が終わり、もうすぐ春になる。


 まともな暖もないこの部屋の冬は、外にいるのとあまり変わらない。

 凍死してしまわないようにできる限り夜は起きて動き回り、昼間に浅い眠りについていた。

 そんな努力までして、私は生きたかったのかしら。

 何のために? 私がいなくなっても、悲しむ人なんて誰一人いないのに?


「私は……十分頑張りましたよね、お母様……?」


 窓の外に向かって、私は呟く。

 返事はなかったけれど、お母様が両手を広げて微笑んでいるような気がした。


 ――お母様の元へ行こう。


 死者の国は、ここよりもずっと幸せな場所だろう。

 きっとお母様もお爺様も、もう十分だといって私を迎え入れて下さる筈だ。


 窓を開き、窓の縁に足をかけようとした。長くて白い婚礼用のドレスが纏わりついて、とても邪魔だ。上手く足が動かない。

 ドレスをたくし上げて、窓辺によじ登ろうともう一度足を延ばす。


「マリスフルーレ! 入るぞ!」


 お父様の声がして、私は動きを止めた。

 ――邪魔をされたくない。

 みつかって、窓のない別の部屋に閉じ込められるのは嫌だ。

 ここから落ちるのは、お父様がいなくなってから。一人きりの時の方がいい。


「起きていたのか。……何をしようとしていた?」


 開け放たれた窓の前にいる私を、お父様が疑わしそうな目で睨む。


「何も。窓の外を、みていました」


「……そうか」


 お父様は苦虫を噛み潰したような顔をした後に、首を振る。

 その手には、くしゃくしゃになった手紙のようなものが握りしめられていた。


「辺境伯のルカ・ゼスティアが、お前を嫁に欲しいと言っている。こちらの言い値でお前の身を売ってほしいと、使者が手紙を持って我が家に来た」


 ゼスティア辺境伯。

 ――それは私が、デビュタントの時にお噂を耳にしてから、幾度も夢に見ていた、私の命を奪ってくださる、吸血伯。

 ――でも、どうして?


「もうすでに話し合いはすんだ。頭金は貰ってしまったから、お前はすぐにゼスティア家の使者の馬車に乗り、辺境伯の元へと迎え」


「……私が、ゼスティア様の元へ?」


「そうだ。辺境伯はいくらでも構わないと言って、馬車に大量の金貨をつんできていた。足りない分は後日送ると。恥さらしのお前を貰ってくれるというのだから、断る理由もないだろう! さっさと支度をしろ!」


「――わかりました」


 窓から、飛び降りてしまおうと思っていた。

 けれど――どうしてかわからないけれど、ゼスティア辺境伯様が私を貰ってくださるという。

 それなら――私はゼスティア辺境伯様に、命を奪っていただこう。

 噂通りの方なのなら、きっとそうしてくださるはずだ。


「マリスフルーレ。お前はもう娘でもなんでもない。二度と顔をみせるな」


 お父様は最後に吐き捨てるようにそう言った。

 私は薄汚れたドレスを着たまま、ふらふらと、屋根裏部屋を出た。

 お父様はお金に目がくらみ、私を売り払うことをすぐに決めたのだろう。


 それでもいい。

 こんな場所で一人きりで窓から落ちるよりは、吸血伯に落された私の首から、血を啜られたい。

 ほんの少しでいいから、必要とされたい。

 夢遊病者のように玄関に向かった私を待っていたのは、立派な身なりをした男性と、侍女の服を着た小柄な女性だった。


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