第13話 婚約の打診



 お父様に呼び出されたのは、私が王家の馬車でアラクネアやクラーラよりも随分と早く帰宅した、数日後のことだった。

 何があったのかと思いながら私はお父様の執務室の扉を開いた。

 そこには難しい表情をしたお父様と、私を睨みつけるお義母様、お義母様の後ろに隠れるようにしているクラーラの姿があった。


「マリスフルーレ。デビュタントの日に問題を起こしたこと、既に耳に入っている。だが、どういうわけかお前に、王家から婚約の申し込みがあった」


「……私に、ですか」


 ――婚約の申し込み。

 私はお父様の言葉をもう一度心の中で反芻した。

 どうしてなのだろう。釈然としない顔をしているお父様と同じように、私もわけがわからなくて、戸惑う。

 メルヴィル様には助けていただいたけれど、親しく話をしたというわけではないのに。


「一体どういうことなの! 私の可愛いクラーラではなくて、こんな薄汚れた鼠に婚約だなんて!」


 アラクネアが半狂乱の様相で叫んだ。

 怒りの表情で震えるアラクネアに触発されたように、クラーラが両手で顔を押さえてしくしくと泣き出した。


「相手は第二王子のメルヴィル様だ。お前と結婚をさせて、メルヴィル様を公爵家の跡継ぎにしてはどうかという打診だ。メルヴィル様もお前を気に入っているという」


 私を、気に入っている?

 あの短い邂逅で、そんなことが起こるとは思えない。

 私はメルヴィル様に助けて頂いたけれど、顔を背けてお礼を言うことしかできなかった。

 微笑んで、話をすることなんてあの場ではとてもできなくて、それだけで精一杯だったのに。


「お姉様、メルヴィル様に何かしたのではないですか? メルヴィル様がお姉様を気に入るなんてありえない。まさかお姉様、わざと問題ごとをおこして、メルヴィル様の気をひいたのですか? 最低です!」


 クラーラが泣きながら言う。

 わざと気をひくだなんてできるわけがないのに。

 私に絡んできたのはクラーラだ。私は頼んでなんていない。

 捻りあげられた手首は今でも少し痛むし、恥ずかしくて情けなくて、苦しかった。

 だれもかれもが目を背けるか、口元をにやつかせながら遠巻きに私たちを見ていたのに、メルヴィル様だけは私に手を差し伸べてくれた。

 メルヴィル様は余程心ある方なのだろう。まさか助けていただけるとは、思っていなかった。

 思い出すと、心の中があたたかくなる。


「お姉様ずるいです。私が、メルヴィル様と結婚したいのに……!」


 クラーラはアラクネアの腰に抱き着きながら、子供みたいな泣き声をあげた。


「クラーラが哀れだとは思わないか、マリスフルーレ。お前は姉だ。婚約を譲ってやったらどうか。……クラーラも、ミュンデロットだ。公爵家を継ぐのなら、相手はクラーラでも構わないだろう」


 お父様が困ったように言う。

 私は目を伏せた。私の望んだ婚約ではない。それは王家からの打診だ。

 だから、私の一存ではどうにもならないのに。


「……私は、どちらでも構いません」


 メルヴィル様がどういうつもりなのかは分からないけれど、私がその婚約に執着する理由は全くない。

 ほんの少しの喜びとあたたかさを感じられただけで、私にはもう十分に思えた。

 私の状況を察して、憐れみや気遣いで婚約を申し込まれたとしたら、メルヴィル様にはもっと相応しい方がいるだろう。

 だから――クラーラがどうしてもというのなら、それでもいい。


「お父様。私は言われた通りにするだけです。王家からの命に、背くことなどできませんから」


「あ……あぁ、分かれば良いんだ。公爵家からは、相手はクラーラでも構わないかと王家に返事をしておこう。お前は……そうだな、いつまでも家にいられても困る。お前の婚約についても、考えておく」


 公爵家の財政は、恐らく傾いている。

 お父様はまともに働く様子もないし、アラクネアたちは目に余るほどに散財している。

 ミュンデロット家の財産のおこぼれを欲しがる貴族たちが、社交界ではアラクネアを囲むようにして群がっていた。


 取り繕ってはいるが、財政を維持するために借金を作っているはずだ。

 時折金貸しがこそこそと裏口から出入りしている姿を、屋根裏部屋から見ることができる。

 そこにきて王家からの婚約の打診は、我が家にとっては喉から手が出るほどに嬉しいだろう。

 王家からの支度金があれば、借金を賄うことが出来る筈。


 そして不足分は、私をどこかに嫁がせることで手に入れることができる。

 若い嫁を欲しがっている金回りのいい貴族や商人は、左程少なくない。

 相手がどんな方になるのかは分からないけれど、ここにいるよりもまだ、いいのだろうか。

 ミュンデロット家は奪われてしまうけれど、もう、奪われてしまっているのと同じだけれど、今の私にはどうすることもできない。


 手のひらを返したようににこにこ微笑みながら「ありがとう、お姉様」と言うクラーラに返事をせずに、私は屋根裏部屋へと戻った。


 私は――どうすればよかったのだろう。

 結局、メルヴィル様が結婚したいといっているのは私です、などと言いはったとしても、お父様から殴られるか怒鳴られるだけで、結果は同じだっただろう。


 ベッドに寝ころび目を閉じると、辺境の吸血伯が私の命を奪い、お母様の待つ死者の国へ連れて行ってくれる夢を見た。

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