第11話 吸血伯の噂

 

 贅を尽くした城の中央にある大ホールの中心には、ダンスを行う広い空間があり、その周囲に白いクロスのかけられたテーブルが並べられている。

 豪華ながらも品のある調度品や花のいけられた花瓶が美しく、中央にある大シャンデリアには沢山の蝋燭が並び橙色の光が燈っている。

 窓が少ないので陽光だけでは不十分なのだろう。それでも大小あるシャンデリアの灯りのおかげでホール全体が明るく輝いている。


 私と同年代の少女たちが、緊張した面持ちでホールに一列に並んでいる。

 クラーラは知り合いがいたのかすぐにどこかに行ってしまい、アラクネアも参加している貴族男性を侍らせるようにして会話に花を咲かせているようだ。


 介添人を連れて、王家の方々にご挨拶を行うのが常識なのだろうけれど、私は一人きりだった。

 華やかなドレスを着た貴族の少女たちに混じり、地味な服を着た一人きりの私は、まるで場違いな場所に紛れ込んでしまった路地裏の鼠のようだ。


 ――足が、震える。

 私はもっと強いと思っていた。

 お母様がいなくても、皆がいなくなってしまっても、屋根裏に厄介払いされても、それでも平気だと自分に言い聞かせてきたのに。

 こんな場所で一人きりで立っているなんて。

 本当に情けなく、恥ずかしい。


 私のことを噂しているのだろう。ひそひそと大人たちが何かを話しているのが聞こえてくる。

 私に手を差し伸べる者は居らず、アラクネアに阿り私に侮蔑の視線を送り、わざとぶつかって転ばせて恥をかかせようとする方までいる始末だ。


 ――なんだかとても、苦しい。

 水の中で溺れているみたいに、息が苦しくて、足がもつれる。

 まるで、呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。


「マリスフルーレ」


 名前を呼ばれて、はっとして顔を上げた。

 滅多に名前を呼ばれない私は、その名前さえ自分のものだとは思えなくて、一瞬誰のことかわからなかった。

 いつの間にか、私はホールの奥にある王と王妃様、そして二人の王子が並んだ謁見の場の前に立っていた。


 大人たちがあんな格好で王に挨拶を行うなんてとざわめく。貴族の子供たちが、挨拶もできないのかと笑っている。

 私は震える指先で、スカートの裾を摘まんだ。

 凛とするのよ、私。

 公爵家の青い薔薇と呼ばれていたお母様のように、せめて心は折られないように、強く在らないと。


「はじめてお目にかかります。ミュンデロット公爵家の長女、マリスフルーレ・ミュンデロットです。……以後、お見知りおきを」


 簡素な挨拶ではあるけれど、他に思いつく言葉がない。

 礼をして下がろうとした私に、王妃様が声をかけて下さる。


「マリスフルーレ。あなたは、ミュンデロット公爵家の正当な後継者。いつでもそれを忘れず、背筋を伸ばしなさい」


 先程私の名前を呼んだ声と同じ。

 ――王妃様が、私の名前を知っている。

 それだけで、心が救われたように感じられた。足の震えが止まり、心が軽くなる。

 私はできるかぎり、綺麗に微笑んだ。

 王妃様に言われたように、堂々としていなければ。亡くなったお母様に、いつか胸を張って会いにいけるように。


「はい。……ありがとうございます」


 会場のざわめきが強くなる。

 ミュンデロット家の女主人のように振舞っているアラクネアの子供で、先にデビュタントを果たしていたクラーラではなくて、私を後継者だと王妃様直々におっしゃった。

 そのことが、少なからず貴族たちに衝撃を与えているようだった。


 けれど挨拶が終わり舞踏会がはじまると、そのざわめきもおさまった。

 王妃様に認められていたとしても、お父様がミュンデロット公爵でいるかぎりは、アラクネアとクラーラの方が優位。

 社交界に集まる貴族たちは、甘く腐った蜜を吸うことに敏感で、それをすぐに理解したのだろう。


 挨拶が終わって帰りの時間までやることのなくなった私は、壁際に立ってぼんやりしながら、貴族たちの話を聞いていた。

 私に話しかける人はいないし、私が話に行く相手もいない。

 ひとりきりだったけれど、もう足は震えなかった。

 王妃様の言葉が、明るく光る灯のように私の心には燈っていた。


「……東国との戦争は、どうなった?」


「いやね、優雅な社交界で血生臭い話をしないでくれない?」


 大人たちの会話が、耳に入ってくる。

 それは――私にとっては興味深いものだった。

 それとなく会話が聞こえる距離まで近づいて、耳をそばだてる。


「国境で小競り合いが続いていますが、我が国が脅かされることはありませんよ。対岸の火事のようなもの。気にする必要などありません」


「でも、もし攻め込まれたらどうなるのです?」


 貴族の男性の言葉に、女性が不安そうに返した。


「蛮族共に栄華あるローゼクロス王国が侵略されるなど、ありえないことです。それに、あの辺境伯……」


「毎夜倒した敵の頭蓋を並べ、血を啜っていると言うあの方?」


 ――辺境伯。

 その名前が出た途端に、皆が恐ろしいものでも見たように眉をひそめた。

 私は驚きを顔に出さないようにする。

 ――毎夜血を啜るなど、そんなことがあるのだろうか。

 それでは、まるで獣だ。


「怖い。そんなの、人ではないわ。同じ王国民ではなく、化け物ではなくて?」


「吸血伯の領地には、そこら中に死体が転がっているそうですよ。殺した敵兵が多すぎて、埋葬する暇もないとか」


 東国からの侵略については、お爺様の蔵書に書かれていたので知っていた。

 けれど現状がどうなっているのか、私は知らない。

 アラクネアとクラーラはドレスや貴金属をいくつも購入したり、家の内装を何度も変えたりしている。

 料理人に高級な食材を使った料理を何皿も作らせて、ほとんど残しては捨てるのも毎日だ。

 そこには戦争の気配なんて微塵もない。


「東国の者たちは、ベッドではなく床の上で寝起きをしているとか。それに、床に座って食事をするらしい」


「まぁ、なんて野蛮なの!」


「皆さんは辺境の吸血伯を見たことがありますの?」


「社交界には一度も顔を出したことがないらしい。血のような赤い目をした、それはそれは恐ろしい姿だとか。気に入らない者の首を切り、生き血を啜ると聞いたこともある」


「なんて残酷なのかしら……! どうして国王陛下はそのような恐ろしい方に辺境伯の地位を? 剥奪し、投獄するべきですわ」


「国境を守っているのは吸血伯だ。最早誰も手が出せないのだろうよ」


 辺境伯というのは古くから国境を守る爵位である。

 ゼスティア辺境伯の名前は、王国史にも何度か登場している。

 東国からの侵略を幾度も押さえてくれた栄誉ある家だ。


 貴族の大人たちの噂話が本当かどうかは定かではないけれど、今の辺境伯が強く恐ろしい方だということは理解できた。

 その方がいるから、私たちは優雅に舞踏会を行い、歓談し、豪勢な食事を食べている。


 血を啜るのも、首を刎ねるのも、たとえ本当だとしても、辺境伯様がいらっしゃるから私たちは平和でいられるのだ。


 ――今もその方は戦っているのだろうか。

 目を閉じると、大きな鎌を持ち、すっぽりと黒いローブを被った男性の姿が浮かぶ。

 辺境を守る、吸血伯。

 どくんと、胸が震えた。

 どんな姿なのだろう。――会ってみたい。

 今この場所にいる貴族の大人たちより、私にとっては辺境伯様のほうがよほど魅力的に思えた。



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