第9話 屋根裏での五年間



 「お前のような娘には食事はない。部屋で反省をしていろ」


 そう言って、お父様は私の髪を掴んで食堂から引きずり出すと、廊下の壁に叩きつけるようにして放り投げた。

 衝撃に髪が抜けて、私は壁にしたたかに体を打ち付けて、ずるりと床に倒れ込んだ。

 私の目の前で、扉が閉まる。


「いたい……」


 足首を少し捻ったみたいで、ずきずき痛んだ。

 私は壁に手をついて立ち上がると、よろよろと調理場へと向かった。

 昨日から――まともに食事をしていない。

 お母様は亡くなって、皆いなくなってしまったのに、空腹は感じるのだからおかしなものだ。

 

 調理場では、朝食の提供を終えた料理人たちが一息つきながら、それぞれ簡単な食事をとっている。

 入ってきた私の姿を見てぎょっとしたように、皆手を止めた。


「おはようございます、料理人の方々。何かあまりものがあればください」


 私は皆に聞こえるように、はっきりと大きな声で言った。

 聞こえないふりをされるのが嫌だった。それにおずおずと小さくなっているつもりはない。ここは、私の家なのだから。

 自分を奮い立たせるように、心の中でそう言い聞かせる。

 料理人たちは困惑したようにお互いに目配せをした。

 それから「悪いが、もうなにも残っていない」と言った。


 私は料理人たちが私をじろじろと見ている中、水瓶の中の水を、コップに汲んで飲んだ。

それから部屋に戻った。

やがて扉の外からやかましい足音が聞こえて、扉の前でぴたりと止まった。「お前の食事は部屋の前に置いておく。食堂には顔を出すな、不愉快だ」とお父様の声がした。


 扉の前には乾いたパンの欠片と、干し肉の切れ端が置かれていた。


「……まるで餌付けをされる動物みたいね」


 そう呟いて、部屋に皿を持っていく。

 乾燥したパンだけを齧った。干し肉は取っておけそうなので、食べずに置いておいた。


 少し空腹が満たされる。部屋から出たくはなかったので、図書室に行って軍略についての本を持ってきた。

それを呼んで時間を潰していると、扉が薄く開く。


 扉の隙間から投げ込まれたのは、死んだ鼠だった。 


「可哀想に……」


 私はクラーラの要らない服で可哀想な鼠をくるむと、開いた窓からそれを捨てた。

外から誰かの悲鳴が聞こえてきたけれど、私には関係ないので窓を閉めて読書に戻った。


 それからはの生活は、そんなことの繰り返しだった。

 昼は本を読んで過ごし、与えられた干し肉を時々齧った。

 それでも空腹がおさまらないときは、皆が寝静まった夜に調理場で残飯をあさり、浴室で体を洗った。

 外の水場で洗濯を行い、部屋に張り巡らせた紐に干して乾かした。

 使用人たちは私をいないものとして扱っていて、アラクネアとクラーラは私に会うたびに嘲笑い、私が何か言い返すと、お父様がすぐに飛んできて私の頬を叩いたり、背中を蹴ったり、髪を引っ張ったりした。


 背中まであった髪が太腿のあたりまで伸び、私は気づけば十五歳になっていた。

 廊下ですれ違うと楽しそうに私を罵倒してくるクラーラも、私が相手にしないので飽きたのだろうか。

 徐々に、無駄だと悟ったのか、あまり関わらないようになっていた。

最近は外でお茶を飲むことがお気に入りらしく、窓の外から明るい笑い声が聞こえてくる。

 ――いつまで、こんな生活が続くのだろう。

 これではまるで、屋根裏部屋の虜囚だ。

無益で無駄な時間ばかりが流れている。


 そろそろ身の振り方を考えないといけない。でも、何ができるのかしら。

 ここから一人で外に出て、一体何が。

 それに、私がここを出て行ってしまったら、誰がミュンデロット家を守るのだろう。

 そんな事を考えながら毎日を送っていたある日のこと。

突然部屋の扉が開いてお父様がやってきた。


 久々に会ったお父様は、私の姿を見てどうしてか息を飲んだ。

 髪の毛は伸びたけれど、毎日夜中に洗って清潔にしている。

身長も伸びたけれど、クラーラのおさがりが部屋に投げ込まれるので、服だってそれなりにはきちんとしている。

 そこまで驚くほどに、おかしな姿ではないと思うのだけれど。


「……ラスティ」


 お父様は小さくお母様の名前を呟いた。

 まるで、夜中に幽鬼にでも出会ったような青い顔で、震える声で。

 それから頭を手で押さえると、軽く首を振った。


「――マリスフルーレ。お前の、デビュタントが決まった」


 私の姿は、お母様に似てきただろうか。

 部屋に鏡はないから、分からないけれど。

 亡くなったお母様が現れたと思って、お父様は怯えたのだろう。

 けれど――それにしては、怖がり過ぎではないだろうか。そこまでの罪悪感がお父様にあるとは、私には思えない。


「ローゼクロス王家から手紙が来た。クラーラは社交界に姿を見せるのに、正式な後継者であるマリスフルーレはどこに行ったのかと。体が弱いと返事をしていたが、それなら王妃様直々に姿を見に来ると言われてしまってな」


 このような状況におかれている私が、デビュタントを迎えるなどおかしな話だと思ったのだけれど、ローゼクロス王家は私の存在を覚えてくれているらしい。

 王妃様は、私を心配してくださっているのだろうか。

 だとしたら、とてもありがたい。私には誰も、味方なんていないと思っていたから。

 内心の喜びを表に出さないようにして、私は頷いた。


「そうですか、分かりました。……ところで、ミュンデロット家の財政は問題ないのですか? 最近、商人の出入りが随分と多いようですが」


 アラクネアとクラーラの暮らしぶりは随分と派手だ。

 お父様はきちんと働いているのだろうか。

 最近は心配になるぐらいに、アラクネアやクラーラと遊びに出かけてばかりいる。

 この場所から外を眺めているだけでもそれが分かるぐらいなので、実際には私が気づいている以上に派手な生活を送っているのだろう。


「お前に心配をされる必要はない。そう思うなら、屋敷をさっさと出ていけ。不必要な娘を養う余裕などないからな」


「ミュンデロット家は、私の家です。おかしなことを言うのですね、お父様」


「その減らず口が、いつかお前の身を亡ぼすぞ」


「死の際になっても、私は――お父様、あなたの罪を、声高に叫ぶでしょう」


「お前に何ができる。知ったような口をきくな! 私の娘はクラーラだけだ!」


 若々しかったお父様の顔には、この五年でずいぶんと皺が増えている。

 顔立ちはよく、スタイルもよかったのに――今は疲れているように見える。

 神経質そうな瞳をぎょろぎょろさせながら、お父様が地団駄を踏むようにして足を鳴らすと、屋根裏部屋の床が僅かに軋んだ音を立てた。


「そうですか……」


 私は顔にかかって邪魔くさい長い髪をかきあげた。

 お父様はじっと私を見ていたけれど、「クソ……ッ」と、小さく舌打ちをして、私から目を逸らして部屋を出ていった。


 私は小さく溜息をついた。

 ――王妃様にお会いできれば、私の現状を知って頂ければ、何か変わることがあるかもしれない。

 少しだけ、希望の光が見えたような気がした。


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