第8話  朝食と攻防

 


 私の部屋から荷物を運び出して捨てるように、アラクネアが使用人たちに指示を出している。

 自分の体の一部が損なわれていくような苦しさを感じながら、私は何も言わずに三階へと向かった。

 二階端にある階段を上がった先に、扉が一つある。それを開くと、手狭だけれど一人で使用するには十分な空間が広がっている。


 クラーラの服は、既に部屋の片隅に山のように積まれていた。

 私に確認を取る前に、クラーラは最初からそうするつもりだったのだろう。

 三階の屋根裏部屋に置いてある簡素なベッドは、長く使っていないせいで黴臭い。


 明り取りの窓が一つあり、薄暗い雲から降り注ぐ雨がぶつかって、水滴が滴っている。

 私は、これからこの部屋で、ひとりきり。


 別邸から連れられてきた使用人たちに、私の味方になってくれるような人はきっといないだろう。

 階下には、お父様とアラクネアと、クラーラ。

 知らない人たちが、私のミュンデロット家で勝手に暮らしている。


 何だかとても疲れてしまって、私はベッドに横になると目を閉じる。

 気を抜くと、大きな声で泣いてしまいそうだった。

 寂しい。苦しい。辛い。お母様に会いたい。メラウに会いたい。

 ――みんな、私を置いて消えてしまった。


「……戦争で土地を奪われるとは、このような感じなのかしら」


 涙に潤んだ瞳を、ごしごし擦った。

 屋根に一番近い場所で天井を眺めながら私は小さな声で呟いた。

 いつかお爺様の図書室で読んだ歴史の本を思い出す。戦争は嫌だなと思った記憶を。

 誰かの物を奪うというのは、楽しいことなのかしら。

 クラーラやアラクネアは、嬉しそうに笑っていた。

 私をこの場所に追いやれることが、嬉しくてたまらないという表情だった。

 私には理解できないけれど、それを楽しいと感じる方々も、世の中にはいるのだろう。

 できる限り、感情を殺して生きなければ。

 苦しさも悲しみも、表に出せば簒奪者たちを喜ばせるだけだ。


 せめて暗くなる前にランプを持ってこなければと思い、私はよろよろとベッドから抜け出すとお爺様の図書室へと向かった。

 屋根裏部屋の奥にある壁と同化しているような木製の扉を開くと、図書室の塔へとつながる通路になっている。

 図書室に抜けられる場所はここだけなので、クラーラが私をここに閉じ込めたことは、むしろ私にとってはよかったのかもしれない。

 小さな窓のある薄暗い通路を抜けると、円柱状の建物に出る。

 円柱状の建物の壁にそって、湾曲した特別性の書架が空に届くぐらいに高く並んでいて、どの場所からも本をとることができるように、中央には螺旋階段がある。


 階段半ばの踊り場と、一番下に机があって、そこにはオイルランプが置いてある。

 補充のオイルと、マッチも一緒に置いてあるのは、私がここにいつもいることを知っているメラウが、いつでも塔を照らせるようにである。


 オイルランプを用意しながら「本を持ってきて、明るい場所で読めばいいではないですか」と小言を言うメラウが、とても懐かしい。


 私は取っ手の付いたオイルランプを一つ持ってきて、ベッドの足元へと置いた。


 オイルランプを用意してくれるメラウを思い出すと、情けなさと無力感に打ちのめられそうになる。

 私はベッドに座って目を伏せる。

 ――あぁ、駄目だ。

 我慢していたけれど、窓の外から忍び寄ってくる夕闇と、強く降り出した雨のせいで、不安定な感情が涙となって溢れてくる。

 ぽつぽつと落ちた涙が、お母様の葬儀に出た時に着ていってそのままの、黒いドレスのスカートに吸い込まれていった。


 私は、雨音を聞きながら埃っぽいベッドで朝まで眠った。

 朝になるとすっかり雨は止んでいて、明るい光が窓から差し込んでいる。

 のろのろとベッドから起き上がると、クラーラの山のように積まれた衣服の中から、まだまともなものを引っ張り出してきて着替えた。

 少女らしい派手でフリルやリボンの多い服が多かったので、それは着る気にならずに部屋の更に隅へと押しやった。


 白や茶色の飾りの少ない服を選んで畳んで並べておく。服を畳むのははじめてだけれど、案外難しい。

 白に黒の縁取りのある簡単なドレスを着た。


 クラーラは私よりも発育が良いのか、その服はなんだか大きかった。

 胸を刺すような惨めさと屈辱を感じたけれど、それはただの、布であり、ただの服なのだと自分に言い聞かせる。


 朝食を取るために階下へと降りる。

 一階にある食堂へ向かう。そこでは既にお父様とアラクネアとクラーラが食事をとっていて、姿を現した私にちらりと視線を送ったあとに、彼らは私をいないものとして扱った。


 お父様だけは、何か言いたげに口をひらきかけたけれど、結局なにも言わなかった。

 お父様のような方にも良心の呵責などがあるのだろうかと、不思議に思う。


「……私も、食事をとりたいのですが」


 手近にいた使用人を見上げてそう告げる。

 使用人はお父様に何事かを囁いて、指示を仰いだ。


「あら、マリスフルーレ。あまりにも薄汚くて、気付きませんでしたわ。私、美しいもの以外は見えませんの」


 アラクネアがにやにや笑いながら言う。


「お姉様、おはようございます! 屋根裏部屋には鼠は出ませんでしたか? 私なら、あんな場所では一睡もできません。流石はお姉様ですね! ラスティナ様でしたっけ。実のお母様が死んだばっかりだっていうのに、お元気そうでなによりです!」


 あぁ、まただ。

 私を貶める言葉に――屈するわけにはいかない。


「おはようございます、クラーラ。鼠なら、捕まえて――ほら、そこに。あなたの椅子の上に置いておいたのですが、気付きませんでしたか?」


 私は背筋を伸ばしてはっきりと、言葉を返した。

 アラクネアとクラーラは悲鳴をあげて立ち上がる。

 慌てて椅子を確認している姿が滑稽だった。鼠なんているはずがないのに。

 お父様は立ち上がり私の前まで来ると、髪を掴んで部屋から引きずり出した。



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