第6話 ミュンデロット家の支配

 


 その日のうちに、質素な葬儀が行われた。

 お母様は棺に入れられ、お母様が生前好きだったという青い薔薇の花を体の周りに敷き詰められていた。


 痩せて小さく疲れ果てて見えたお母様。

 けれど中身を失ってしまった空っぽの器の形はとても美しく、花に囲まれて穏やかに眠っているように見えるその姿は、在りし日の、ミュンデロットの青薔薇の姿を連想させた。


 メラウは棺の中のお母様を見て泣きながら「ラスティナ様、お美しい……ラスティナ様は、永遠にミュンデロットの青い薔薇です……」と呟いていた。

 他の使用人たちも泣いていた。皆、お母様の葬儀に参列したいと望んだけれど、お父様はそれを許さなかった。


 使用人たちを屋敷に残して、黒いドレスを着せられた私は、お父様と共に馬車に乗って教会へと向かった。

 公爵家の墓地がある教会には、既にゲオルグお爺様が眠っている。


 メラウやホルストに連れられて、一年に一度墓参りに訪れていたけれど、まさかこんな形で、ここに訪れることになるとは思っていなかった。


 まるで全てが準備されていたかのように、お母様の葬儀は静かに迅速に行われた。

 公爵家の広い墓地の一角に、大きな穴が掘られて、お母様の棺はそこに安置された。

 どんよりと曇った空から、ぽつぽつと雨が降り出している。

 夏の訪れを予感させる生温く湿気の強い空気の中に混じる雨が不愉快だった。

 土の香りに混じり、墓地を取り囲むようにして鬱蒼と茂っている草木の青青しい香りが墓地に充満していた。


 寂しい葬儀だった。

 お母様はミュンデロット公爵家の一人娘なのに、参列者は私とお父様と、ホルスト、それから神父様だけだ。

 ぼそぼそと聞こえる神父様の葬送の聖句を、私はぼんやりと雨に濡れながら聞いていた。


 お父様はいつの間にか傘をさしていた。

 雨に濡れている私になど、まるで興味がないように。

 ホルストも、私に視線を向けることはなかった。

 髪から滴った雫が、ぽたぽたと顔に落ちる。この雨と一緒に、私も湿った土の中に溶けて消えてしまいたいと願った。

 雨が涙を隠してくれることだけが救いだった。お父様の前で、泣きたくない。


 お母様の棺が、土の中に埋まっていく。

 手伝い人の方々が、スコップで土を無造作に穴の中に放り込んでいった。

 ほんの数分の出来事だった。すっかりお母様は土に埋まってしまい、その姿は跡形もなくなってしまった。


 土の下でお母様は寂しくないのだろうか。

 あれはお母様の抜け殻だから、きっと魂は別の場所にあるから、――お爺様と会えた、かもしれない。

 そうだと、いい。

 そうしたらきっとお母様はもう苦しくない。

 お爺様とお母様、それからきっと、お婆様も死者の国にはいるだろう。


 私も一緒に、そこに行きたい。

 不意に、強い感情が湧き上がってくる。


 嗚咽が漏れそうになったけれど、唇を強く噛んでそれを堪えた。

 ちらりと仰ぎ見たお父様は、お母様の死を嘆き悲しんではいなかった。

 それどころか、口元には微かな笑みが浮かんでいる。それは、安堵の表情だった。


 信じられないものを見てしまったような気がして、私は息を詰まらせる。

 激しい憤りで、体がちりじりに砕け散ってしまうような気がした。


 葬儀を終えて、再び馬車で公爵家に戻った。

 館に足を踏み入れると、そこは私の知る館ではなくなっていた。


 玄関にはお母様が亡くなったばかりだと言うのに、大きな花瓶に大輪の花があでやかに飾られていたし、趣味の悪い絵画がそこここに掲げられていた。

 今まであった飾り棚や絵画はひとまとめにされて、玄関の横へと塵のように集められていた。


「あら、旦那様! おかえりなさいまし!」


 甲高くどこか媚びる様な女の声が階段の上から聞こえる。

 玄関から上階へと続く大階段から、お父様と同じ年ぐらいの女性が姿を現した。


 大きく胸のあいたドレスからは、半分程豊満な胸が見えており、体の線を強調したドレスのスカートには大きくスリットが入り、太腿の付け根から白い足が見えている。

 人工の睫毛が目の上下にびっしりとつけられていて、庭の花壇でひっそりと生きている毛虫を連想させた。

 豪奢な金色の髪を緩く巻いていて、青い目をしている、派手な女性だ。


「アラクネア、不自由はしていないか?」


 お父様が優しく尋ねる。

 その女性が、お父様と別邸に住んでいる浮気相手だと察することはすぐにできた。


「このお屋敷ったら、地味で暗くて、嫌になりますわ! 今まであった家具は全部捨ててしまいますの。別宅から持ち込むのも大変ですから、新しく買い換えますわね!」


 アラクネアは艶のある声でそう言いながら、お父様の隣で立ちすくんでいる私に近づいてくる。

 そして、両手を腰に当てると胸をそらして、私を睨みつけた。


「まぁ、なんて薄暗い子なんでしょう! 髪の色も目の色も地味。やせ細っていてまるで孤児のようですわ。私のクラーラとは大違い!」


 芝居がかった大仰な仕草で、甲高い声でアラクネアが言う。

 一瞬、言葉が理解できなかった。

 侮辱されているのだと気づいたのは、少し遅れてのことだった。

 こんなに直接的な悪意をぶつけられたのは、はじめてだった。品のない言葉を聞いたのも。

 だから、理解するのに時間がかかってしまった。


「アラクネア、マリスフルーレだ。……マリスフルーレ。今日から君の母親になる、アラクネアだ。クラーラも、おいで」


 今日から、私の母親になる――?


 私は黙ったままお父様を見上げる。

 アラクネアは片手で髪をかき上げた。わざとらしい、女優のような仕草だ。


 お父様に呼ばれて、階段の上から小柄な少女が小走りでやってくる。

 少女はフリルの塊のようなスカートを履いていて、ピンク色のドレスを着ている。

 頭にも大きなリボンをつけていて、やや癖のある髪はアラクネアと同じ金色だった。


 瞳の色は薄い灰色。顔立ちはアラクネアによく似ているけれど、瞳の色はお父様に似ている。


「マリスフルーレは何歳になる?」


「……今年で十歳になりました。来年、十一歳です」


 お父様に問われて、私は小さな声で答えた。

 屋敷の中を使用人たちがばたばたと動き回っている。

 誰もかれ知らない人たちだった。

 メラウの姿はどこにもなく、一緒に葬儀に行ったはずのホルストの姿もいつの間にか消えていた。


「それは奇遇だな。この子は、クラーラ。私とアラクネアの娘だ。マリスフルーレと同じ十歳だが、産まれたのはマリスフルーレの方が早い。つまり、クラーラはお前の妹になる」


 それを奇遇だと、お父様は言うのだろうか。

 自分の不義をひけらかしているだけだというのに。私にはまだそれが理解できないとでも思っているのだろうか。


「はじめまして、お姉さま!」


 クラーラという少女は、明るく微笑んで私にお辞儀をした。

 それはまるで礼儀のなっていない、庶民の挨拶だった。

 私はスカートを指先で抓むと、貴族の礼を行う。


「マリスフルーレ・ミュンデロット公爵令嬢です。……こんにちは、ただの、クラーラ」


 私はできる限り優雅に微笑んだ。

 ――怒りで、腸が煮えたぎるようだった。私はこの人たちに、媚びをうってはいけない。

 お母様は亡くなり、メラウも使用人たちもいなくなってしまった。

 屋敷の中は悪趣味な調度品で埋め尽くされて、これからミュンデロット家を――この人たちは我が物顔で支配するのだろう。

 私だけは、支配されるものかと思う。

 メラウは言った。私だけが、ミュンデロット家の正当な後継者だと。

 私がこの家を、守らなくては。

 アラクネアは顔を真っ赤にして、クラーラは大きな目を見開くと、よく意味が分からないの、かぱちぱちと瞬きをした。

 お父様は怒りに眉根を寄せて、私の頬を強く張った。


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