第3話 静かな生活

 

 私の顔を、お母様は見たくないかもしれない。

 けれど、お母様に会いたい。



 二つの気持ちを抱えながら――私はお母様に会いに行くことをやめられなかった。

 本当はメラウから全て聞いたのだと、お母様に伝えたかった。

 けれど、お母様は私の為を思って、お父様のことを秘密にしている。



 だから私は何も知らない顔をして、いつもどおり無邪気さを装いながら、お母様に会いに行って「お母様、マリィです」と、ご挨拶をしていた。


 お母様の病状は、よくならない。

 ――それは全てお父様のせいだと、暗い怒りを抱えていたけれど、ひたすらに隠して。


 別邸でお父様と浮気相手は、ミュンデロット家の財産を使って使用人を雇い、派手な暮らしをしているらしい。今では別邸が本宅のような賑やかさだという。


 事情を知る私は、もうお父様に会いたいとは思わなかった。

 お母様が元気になって――元の美しさを取り戻して、公爵家を取り仕切ってくださる。

 そんな日が来ることを期待して日々を過ごしていた。


 ミュンデロット家の財産は、お父様が握っている。

 別宅は華やかなようだけれど、私が成長するにつれて、我が家の使用人たちは少しずつ減っていった。



 お母様が大事にとっておいてくださった私のためのお金で、執事のホルストが我が家を切り盛りしてくれていたけれど、あまり多くは残っていないようだった。

 我が家に残った必要最低限の使用人たちが身の回りの世話をしてくれて、公爵令嬢としての基本的な知識やマナー、読み書きや算術などの勉強を教えてくれた。


 全てが眠りについてしまったような静かな生活だったけれど、不自由はなかった。

 屋敷は清潔に保たれていて、お母様の体調に合わせた体に優しいお食事は、質素だけれど、油と砂糖に塗れた豪華なお食事よりも私は好きだった。


 十歳になった私は、暇があればゲオルグお爺様の蔵書が保管されている図書室で時間を潰した。

 お爺様の蔵書は多岐に渡っていた。


 王国の歴史や、隣国の事、戦争についてや、軍略や、貿易、鉱物や、畜産、農産や、水路整備などの本が、書架には沢山並んでいる。

 そこは、領主としての全ての知識がおさめられたような場所だった。


 図書室はミュンデロット家の三階から階段をのぼった先にある小さな塔にある。

 円柱型の作りの建物の中に、螺旋階段があり、壁面は全て書棚になっている。

 踊り場には机と椅子があり、天窓や小さな窓からは光がよく入りいつでも明るかった。


 歴史書によれば、私の生まれた国であるローゼクロス王国は、長く隣国と戦争を繰り返しているようだ。

 静かで時が止まったような公爵家に籠っていると、そんな実感はまるでない。

 どこか遠い世界の話のように思えたけれど、今も国境では誰かが戦っているのだろうか。

 隣国は、東国という名前だと、本には書いてあった。


 文化も言語も異なる場所。

 東国では漢字という文字が主に使われていて、東国の人々は一枚布を織り込んだような変わった衣服を纏っているらしい。

 ローゼクロス王国は小さいけれど平らで肥沃な土地だ。


 対して東国は切り立った山の多い、人が住める場所が少ない土地。

 東国が攻めてくるのは、領土を広げたいから。領土を広げるという意味が、私にはよくわからなかった。


 私は小さな世界で満ち足りている。

 一日一回豆粥を食べることができればそれで満足だし、きらびやかな衣服も重たいだけだ。


 東国の人々は――今ある暮らしで、満ち足りないのかしら。

 戦争とは遠い世界の話だ。沢山の人の命が失われるもの。

 私は筒状の本の海のような場所で小さくなって目を閉じる。

 戦争は、嫌だなと思った。



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