第65話 朝食をヒロインが作りにくるのは定番


 翌朝。

 携帯のアラームが鳴る前に目が覚めた。スズメのさえずりはいつもと変わらない。朝日は部屋の照明より強く、ボクにスポットを当てる。


「カーテンから差し込む光と小鳥のさえずり……か」

「それとヒロインの朝ごはんだよぉっ!」


 それはまさしく、『静寂を切り裂く』。

 ライトグレーのエプロンを着飾ったナツキ先輩が勢いよく扉を開けた。


「なんというか……今更感はありますね」

「おいおぃ、せっかく美人の先輩が朝から来てあげたんだよぉ? まずは感謝が先だろうに」


 この際侵入方法は考えない方が良さそうだ。きっと窓の鍵が開いていたんだろう、きっとそうに違いない。

 こちらの推測などお構いなしに、先輩はやれやれと肩をすくめた。


「さっさと降りてきたまえ」

「はーい」


 やはり先輩以外に人気ひとけはない。世界は変わったのだろう。


 1階の食卓にあったのは分厚いサンドイッチだった。パン、レタス、ベーコン、チーズ、オムレツ、ベーコン、レタス、パン……ぎっちりと挟まれた具の断面図がご挨拶。


「こ、これはボリューミー……」

「別々に食べるなんて面倒だからねぇ、ささ、着きたまえ」


 エプロンを外し、先輩も同席。

 その姿を寝ぼけ眼でまじまじと眺めていたせいか、先輩が妖しく笑った。


「あんまり見惚れるのは照れるねぇ」

「いや、んーまぁ、はい……」


 否定する必要もない。嘘でもないし、そういうことにしておこう……あまり思考が回らないし。

 一緒に淹れられている紅茶を一口啜ってから、先輩の愛情籠ったサンドイッチを頬張る。寝起きの身体に染みわたる塩分。育ち盛りの高校生には意外と入る量で……


「おいしいです」

「それはなにより」


 平和だ。

 朝にナツキ先輩ヒロイン起こしに来て、手料理を食べて、そして学校へ行く。どこぞの物語にありそうなワンシーンだ。それでも先輩といるだけで、特別なことに感じられる。


「もう何でもカタにハマりそうですね」

「世界がお約束に満ちているからねぇ」


 それでもループしていないのは、やはり世界が変わっているから。世界を揺さぶれば、この何気ない場面もなくなる。


 ひょっとして『ボク』は――――


「お腹は満たされたかな?」

「え…………」

 

 気づけばサンドイッチは手元から消えていた。本当に美味しいものはあっという間とはよく言う。なんならもう一つ欲しいくらいである。


「ふふ、はもっと多めに用意してあげるさ」

「期待しときます」


 片づけはボクが済ませて、ナツキ先輩と2人並んで学校へ向かう。すれ違う人間もいなければ、同じ方向へ向かう生徒もいない。いつもと同じ道、同じ道筋にいるのは、ボクと先輩の2人だけ。


 ひょっとして『ボク』は――――

 先輩とずっと一緒にいたかったのかな?


「ハジメくん、遅れるよ」

「分かってますって」


 ペンを執る前に、世界は少しずつ歪に変化する。

 それでも前に進むんだ。


 先輩とまた、何気ないワンシーンを過ごすために。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る