第64話 主人公はポジティブなもの



「ボクが正一ただしハジメとして執筆すれば、世界から抜けられる……ってことですか?」

「確証はないけどね。君がループしていた時と異なる行動……執筆をしたら世界が揺れ、私が介入したとはいえ君は自分を取り戻した。なら、もう一度揺さぶってみるのはアリだろう?」


 ボクの執筆がそんな大仰なことになっている……よね。実際『ボク』は『ボク』から『ハジメ』になっている。少しずつ世界は変わっているんだ。


「とはいえ、ここからの創作は君自身が書きあげなければならない。勿論手伝うけど」

「何かいいアイデアでも?」

「ないよ」

「漠然としてるなぁ」


 世界を揺さぶる創作なんだから緊張感を持ってほしいものだ……と思いつつ、ボクも実感はない。現実の正一ボクがどんな状況かもはっきりしない状況ではフワフワしたままだ。


「意外と時間が経ってないかもね」

「それじゃ、先輩は超心配性ってキャラになりますけど……?」

「それくらい君の事が好きなのさ」


 うそ偽りない超ド級のストレートがいきなり飛んでくるものだから、この人は油断ならない。ボクの心臓の早鐘など知らぬ存ぜぬで、先輩は立ち上がった。


「ま、1日で色々と詰め込み過ぎたね。今日はもう帰って休みたまえ」


 身体に異常もないので、今日はそこで解散となった。

 後でお礼を永井と嵐山さんに送ると、


「ジュース奢れよな」

「また遊ぼうね~」


 なんとも恵まれている。

 記憶の断片でも彼らは実在した。だったら早く現実に戻りたいものだ。戻って、また一緒に遊んで…………まだやりたいことは多い、はず。


 気がつくと、自宅の玄関に到着していた。

 扉を開けて入ると、家の中はとても静かだった。


「ただい、ま…………?」


 妹が帰って来ていてもおかしくないが……友達の家だろうか。姉もまだ大学から帰って来ていないようだ。


「姉……妹…………」


 疑うわけではないが、ボクに姉妹はいたのだろうか?

 思い返すとこの1年、姉妹とボクの間で名前を呼んだことはない。日々を繰り返しているだけで、『正家』の記憶も抜け落ちている。


「ほんとに覚えてないんだなぁ…………」


 ハジメという存在を自覚しているわりに、その経歴は未だ霧がかったようにぼんやりしている。だからと言って恐怖しているわけではない。それもこれも、現実に戻れば思い出せるだろう……多分。


「創作、か」


 手早く作った夕飯を食べながらひとり、ごちる。

 本来のボクも執筆はしていたという。とはいえ、何を書けばいいのかは決まっていない。そもそも、夏に書いた物語も時間が掛かった。無から作り出すのは、また難儀しそうではある。

 

 でも、先輩がいるし決して不可能じゃない。


「意外とポジティブだ」


 物語の主人公はポジティブな事が多いけど、この世界の主人公がボクなら、前向きでもおかしくないね。


 おっと、またカタにハマりそう。

 

 結局夕食を終え、入浴後も誰も帰ってくることはなかった。

 ボクがボクを取り戻した影響かな?


「……というか、眠ってる中で眠るってどういうこと?」


 今更ながらにツッコんでしまう。

 病院のベッドに眠ってるボクの中で、これまたボクは自宅のベッドで眠っている。この睡眠に脳のメンテナンス効果はあるのかな。


「ははっ、変なの」


 ループしてるとか、眠ってるとか、記憶がぼやけてるとか、わからないことが多いくせに、どうでもいいことが気になってしまう。何でも気にして、調べるナツキ先輩のせいだねこれは。


「だったら明日も会うために……さっさと寝ましょぅ…………」


 誰もいない家、自室で静かに瞼を閉じる。

 ハジメくん脱出作戦は明日から開始だ。


 

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