第58話(後編) 卒業式は知らない名前を知る機会
志麻さん、新田くん。
竜胆さん。
丸野さん。
鬼塚くん。
火村さん。
南雲さん。
天海さん。
真田先生。
夜宵くん。
瑠璃垣さん。
白百合さん。
大宅くん。
珠樹さん。
生徒会長、教頭、校長、エトセトラ…………
永井佑に嵐山風子。
みんな、みんな名前がある。名前の知らない人は、ただ単純にボクがきいたことのないだけ。聞けば分かる。
じゃあ、ボクは?
簡単な事だ、自分の名前なんて覚えていない人間なんていない。
いない、はずなんだ。
「……………………」
卒業式後、普通の学生なら短時間で終わって友達と遊んだり好きな事をするべきなんだろう。でも、とてもそんな気分にはなれなかった。
居場所を求めるように、文芸部の部室へ足を運んでいた。
「ボクは…………」
受験をした。
新学期、新入生の時、クラスで自己紹介もした。
どうして気付かなかったのか。なぜ気づけなかったのか。時折襲うノイズの正体は――
「名前……」
ボクの名前。
一度は掴んだ気がするけれど、それもデジャヴな気がしてならない。約1年間、ボクは高校生活を送ったはずなのに、どうして。
学校の書類、模試、それだけじゃない。ノートや教科書にも名前は記載したはずなんだ。それなのに、視野に入れられるのを拒むように見ることはできない。『そこにある』ことだけを認識している、奇妙な状態。手元のスマホから、自分のアドレスを見ようとしても、ピントが意図的にずらされる。
意識が無意識に拒絶している。
「なんなんだ……これ」
ボクは『ボク』という存在とでもいうのか。
そんなわけがない。でも……その確証がない。
白昼、静かな廊下から、開いているはずの扉が叩かれた。
「お困りかな?」
「……先輩」
いつもと変わらない。
何も変わらない。
ふわっとしたパーマのかかった髪。着崩したブレザーにベージュのカーディガンを羽織ったその人は、くすんだブラウンの瞳で微笑む。
「浮かない顔だねぇ後輩君」
先輩は、いつもボクを『後輩』と呼ぶ。
単純に揶揄い半分でそう呼んでいるんだと、いつも思っていたし……悪い気はしなかった。
でもそれは、多分違う。
「先輩……ボクは誰なんですか」
「惜しい、本当は自分で気づいて欲しかったんだけどねぇ」
変わらぬ態度で部屋に入り、先輩は本棚へ手を掛ける。
「私が行なっていた検証は、作品づくりの為だけじゃぁない。君のためでもあったんだよ?」
「何を……言って」
「夏にひとつ、作品を仕上げたことは覚えているかな?」
「……はい」
「本来なら秋から冬にかけて、君は物語の続きを紡ぐはずだった。けれどそうはならなかった。私は願ったけどね」
確かに、ボクは作品の続きを書くことはなかった。ただ、それは先輩の検証に付き合ったり、友人と遊んだり……学校の活動で……忙しかった、り……?
「君は、秋からこの冬にかけて変なことは感じなかったかい?」
「別に、何も……」
はっきりしない返しに、先輩は視線を合わせないまま天井を仰ぐ。
「ふぅん……質問を変えよう。君は学園祭の時、何をしたかな?」
……何かした記憶はある。
でも誰と何をしたか、ぼんやり霞む。学園祭は先輩と回ったはずなんだ。
「私と一緒に各催し物を回って楽しんだ。それはまるで、創作上のキャラクターのように。でも、具体的にどんなことをしたか覚えていない。半年も経ってないのにね」
妖しさはなく、ただの苦笑。
「同じ頃の体育祭では私の圧倒的な活躍の映像を見て『インドアじゃないんだ』、と驚きつつそのギャップに惹かれた」
「自分で言ってて恥ずかしくないんですか?」
「ぜんぜん」
いつものようにツッコミを入れると、やはりいつものように切り返された。
ようやくこちらに目を向けたが、笑ってはいなかった。
「君は『不思議破天荒な文芸部の先輩』に対して、『常識人系ツッコミ役後輩』として見事にカタにハマってくれた……でもね、君の役名は『後輩』なんかじゃないんだよ!」
先輩が声を荒げるのは初めてだった。
疑問にも思ってなかった呼び方。それはボクにとって、先輩からの愛称だと思っていた。
「なぜ自分が、物語を作ったときに人物はその名を与えたのか……思い出すんだ」
本棚に空けたひとつのスペース。
そこから取り出されたのは、ボクの作った物語。
『夏の想い出』
少年・ハジメが、夏の間に出会った少女・ナツキと恋する物語。散々赤ペンを引かれて、手直しした物語。
名前なんて『なんとなく』だった。
なんとなく頭に浮かんだから。
きっかけなんて、適当なはず……先輩から原稿を受け取ると、一瞬視界が歪む。
それは原稿の記憶だろうか。
この部屋と同じ場所で、先輩に似た……でもキラキラした目の人が、目の前にいた。
『名前なんて思い浮かばないですよ』
『じゃあ佑と風子にしたらいいんじゃないかな?』
『さすがに友達の名前は……』
『面倒だねぇ……じゃあ自分と私の名前にしたまえよ』
『えぇ……ボクと先輩ですかぁ? これ恋愛寄りなんで本名だと世界観が……』
『つべこべ言ってないでさっさと書きたまえ、夏休みが終わるまでにできなかったらペナルティだよ──
────ハジメくん!
ノイズはない。
鮮明に聞こえたその声は、ずっと昔に聞いた、『先輩』のもの。
この部に入って、初めて創作することになって、いきなり課題を出されて迷ってたら、先輩に登場人物の名前を決められて。
そして主人公の名前は……ボク。
ボクの名前は、ハジメだ。
そして先輩の名は──
「──ナツキ……先輩」
「まったく、結局私が頑張ることになったじゃぁないか。これじゃカンニングだよ」
名前を呼んで、彼女は察したのかわざとらしく不機嫌に詰める。
「なんか……すみません」
「……ホワイトデーの行動には驚いたね。あんなこと、一度もされてないから」
「え?」
「ともかく、『卒業式は知らない名前を知る機会』という事象は終了……冬は終わり、また春が来る。よろしく頼むよ」
「はいはい」
窓際から差し込む光が、部室を包み込む。それはいつか見た夢の世界と同じような、真っ白な世界。
視界は白く、意識は薄れる。
でも今度は自分の意思で眠りに落ちる。
卒業式は知らない名前を知る機会……知らない上級生だけではなく、卒業生なら同級生の名を知る機会でもある。でも今回は自分の名前を知るタイミングだったわけで。式は終わり、まもなく新学期。今度は新たな後輩に期待する番だね。
そう、ボクらはカタにハマってる。
◇
短いですが、冬はこれで締めです。次章で終わりの予定なので最後までお付き合いいただければ。
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